ようこそ!

わたしたち教師は,「教えるということ」に誠実に向き合い,「教えるということ」を丁寧に続け,「教えるということ」に責任をもって日々の教室に居続けたい。
子どもが好きで教えることを生涯の仕事として選び,今,その職に就き,専門的な仕事人として誇り高く生き,これからも成長し続ける教師であり続けるためにも,私たちは日々の「授業」を丁寧していきたい。

自分の問いを立てる。
その問いを解決するための方法を考える。
学習計画を立てる。
他者とかかわりながら創造的な学習を続ける。
学習の過程で振り返り計画を見直す。
学習の軌跡を残す。
ひとまとまりの学習を振り返る。
自分の力を客観的に言語化して自覚する。
次の学習に向かう。

このような子どもを自律的な学習者と呼ぶなら,わたしたち教師は,どの子どもも自律的な学習者として育てていきたい。ともに学んだ教室から離れて一人になっても,教室から本物の社会へと舞台を移しても,どんな場面に出くわしても,目の前の子どもが,教室での学びを手がかりとして一人でも生きていける自律的な学習者として学び続け,創造的な人として生きていく生涯学習人となるよう教えていきたい。

 


国語の授業には「学びどき・教えどき」があるように思います。学習者が単元にであったときから,教師は,その学びどきと教えどきとの重なりを観察したいものです。

教師のしごとのひとつは,国語の力を身に付けるための効果的な単元をつくり,教師の授業コミュニケーション力をはたらかせて,学習者にかかわっていくことです。学習者の学びどきと教師の教えどきが,そっと重なるとき,教室は静かな中にも熱い学びが生まれ,そこから学びが動き出し,ひとつの流れをつくっていくように思います。「学びどき・教えどき」。そんな国語教室を創造したいと思っています。

教室談話における教師の関与について,わたしは,とりわけ「教師が教室の声を聞くこと」を中心に教室の事実を省察してきました。期待する学習を成立させるためには,教師はどのような関与を,いつ,どの程度,どのような声で,だれに行うのがいいのか,あるいはよくないなのか,そのようなことを明らかにしたいと考えています。

学習者が自らの課題をもち,その解決に向けて自ら学習をデザインし,主体的に学習をすすめ,学習の成果を自覚し,自分にある力を謙虚に実感し,さまざまな機会にその力やそこから応用できることをはたらかせるようになってほしい,とわたしは,考えています。誰もが,生涯,互いの声を尊び,書くことに楽しみ,読書に身を置き,学び続け,学び合える人になれるといいと考えています。

ひとつひとつの学習が価値ある学習になっていくことを願っています。教師として学習者がつくりだす学習の過程にどのように関与していくことがふさわしいのか,そのためには自身にどのような修練が必要なのか,その修練の方法はどのようなものなのか,わたしの関心は尽きません。とりわけ,単元の設定については教師になってから常に考え続けています。

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tatutomi あっとまあく cc.saga-u.ac.jp