ちょっとしたことを綴っておこう。モレスキンのノートとモンブランの万年筆、時々たつログ。
たつログ
えとせとら
大学ホームページ
美術館で感じたこと
学生の頃はよく美術館に行った。本物を見ることは、本物から見つめられていることだと感じ、絵筆を持つ小磯良平や佐伯祐三と目を合わせている気持ちになったし、ルノワールやミケランジェロと同じものを見ている気分にもなった。土門拳とは同じファインダーを覗き、シャッタースピードや絞り値で言い合いをしている錯覚に酔った。
きょう、数年ぶりに美術館を歩いた。
しかし、なんだろう、きょうはつくり手のメッセージの押し付けのように感じた。僕が見ようとしているものを見ているのではなく、できあがったものを見せつけられているような時間は退屈だった。
翻って、僕の授業。
学びたいことを授けているだろうか。余計なことを押し付けてはいないか。
大人の、そして教師の都合をやめよう。
眺める、とは問い続けること
子どもが学ぶこと、-僕に何ができるか。
子どもが分りたいと夢中になること、-僕に何ができるか。
子どもが成長すること、-僕に何ができるか。
明日の授業、-僕に何ができるか。
そんなことを問いながら車窓の高い山を眺めている。
よか一日
ひとりぼっちの宿の朝はすっかり秋の気配。
早起きして本渡教会へ。小一時間の黙想は僕のきょうを形づくってくれる。
さあ、ここから上天草へ。
とにかく、授業ライブにのめり込んでしまう。
中学生、500字、25分。
生徒と教師の本気の学びに僕の陳腐なコメントは不要。お昼をいただきながら、「この調子です」の言葉だけで十分。
来月の研究発表会まで、まだまだ成長する教室。
「軽トラに乗った教授ってかっこいいですね」とどなたか分からない地元の方が中学校で出迎えてくれたこともうれしかったし、授業もリアリティあふれる魅力に満ちていたし、海鮮丼も最高だったし、もう何もかもまるごと「よか一日」。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
天草の夜はゆっくり暮れて
出島メッセで中学生と授業
心待ちにしてた。9月19日。僕は出島メッセ長崎で授業をすることに上品な興奮を覚えている。
昨晩から長崎に泊まり、もちろん美味しいものを食べ、そしてきょうは朝から神さまとの黙想。
港で生徒を迎える。
ここから、これから、中学生たちは長崎市内で体験活動を行う。そして、その振り返りを出島メッセで500字に書く。
僕も同行。暑い初秋の長崎で生徒たちは挑み続ける、楽しみ続ける、そして学び続けている。
さあ、本日、最後のプログラム。
学びには必要な立ち止まりと、それよりもっと必要な流れがある。結局、教師の仕事は立ち止まりをさりげなくつくり、自然な流れができるようにかかわることだ。
教材研究なんて大げさなことではない。子ども研究なんて白々しいことでもない。授業づくりとは子どもを愛することそのものだ。
50分間、僕は上品な興奮と静かな熱さと、そして、やっぱりここに帰りたい、こここそが僕の居場所だという郷愁の時間の中にいた。
授業、この尊い息づかい。僕は、生徒を運ぶ船が見えなくなることがあたりまえのようで、あたりまえでないようで、心の熱さを整理するのに時間がかかりそうだと思った。
魚中ロス。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。僕は教室にいるから僕であるような気がします。ありがとう、魚中、ありがとう、吉野さん。理想教育財団の応援もありがとうございました。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
確かに秋はそこにいる。
さあ連休だ
仙台土産は長崎で食べても美味しい
個を大事にするって、すごくいい
学年末の評価よりも今の自分のよさを知る。
できないことを洗い出すことより何ができそうかを一緒に考える。
これまでの教師の「気になること」はそれほど気にしなくていいことだったのかもしれない。これまでの「まずこれだけは」よりももっと前があったようだ。
学習指導要領という枠組みは大事。だけどあなたが幸せになることはもっと大事。
僕のモレスキンには高橋校長先生のライブの名言が残る。
仙台、ろりぽっぷ小学校。
この小学校、すごくいい。僕が校長先生に伝えたことはひとこと「個人差を大切にした個人差のかたまりの学校ですね。此処で、みんな個人差を知り、自分を知り自分を好きになり他者を好きになる。個人差って自分らしさなんですよね。」
心から晴れ渡る気持ちで学校をあとにした。後味、よすぎる。
ということで、帰り道は盛岡冷麺。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
杜の都、国分町
大地の恵み、労働の実り
北の大地を連れて帰ってきた。
僕が買って帰る土産はいわゆる「素材」が多い。今回は枝豆。これだけの量だから、ひとつずつ切って軽くおさえて、思いのほか時間がかかる。ただ、この時間がいい。
道を歩いてたら、大きな荷物を抱えたご婦人がおってさ、どがんしたかなって、声ばかけたらさ、なんて言わしたと思う?
旅の景色を妻にしゃべりながらの土産の世話の時間は楽しい。一段落したときは、いつのまにか僕のひとり旅は夫婦旅になってしまっている。
ということで、
僕の鞄の上に乗っかっていたあの二束の枝豆が、
こうなって
さらにこうなって
旨みいっぱいの枝豆。大地の恵み。
そして、「いいよ」校長先生が送ってくださったこれが、
こうなって
本当の甘みあふれるトウキビ。大地の恵み。
僕のきょうの小さな仕事。時間はかかったけれど、学び手のまなざしを思い浮かべながら丁寧にやり遂げたから、
小さなごほうび。労働の実り。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。乙戸さん、また会いたいです!
「いいよ」校長先生
9月4日。飛行機は久しぶりではないけれど心はずませて空港に向かった。きょうから夏休み。
離陸後、すぐに我が家が見える。上空から自分の家を見るのが楽しみ。
羽田で乗り継ぎ。軽い朝食。
いつも思うんだけど、これだけたくさんのピカチュウが画面に映し出されるとみんな笑顔になる。旅のはじまりの仕掛けとしてはばつぐん。
いつもの広場。
途中、焼きカレーパンでお昼。
さあ、着いた着いた。
今夜も「別邸 下川亭」で北の味覚に舌鼓。
海鮮の宝箱。
さあ、明日は仲間に会える。
9月5日。単元づくりのはじまりは子どもがきっかけ。子ども研究から。そのあとは教師の探求。
単元びらきのあとは子どもと育てる。単元ははじまってから育つ。だからこそ、子どもにとって分かりやすいことがいちばん。あれもこれもと、教えたくなる気持ちは分かるけれど、それは教師の都合。教師の自己満足。「教えたぞ」というマーキング。残念なおはなし。
そんなのやめよう。ということをみんなで共有できているこの学校の校内研究会は誠実。みんなが伸びようとしているから心地いい。
ということで、きょうも満足の疲労感。だから、みんなで乾杯。それがいちばん。
9月6日。僕の旅は道草。風の吹くまま気の向くままの旅。
南千歳から帯広へ。1年半ぶりの再会。待ち合わせは六花亭。
日本の何処にでも仲間が居る。こんなとき、僕はいつも父と母に語ってる。「ひとりぼっちじゃないよ」って。友だちに囲まれている息子、それは大きな親孝行だと思ってる。
夜は釧路からの秋刀魚と芽室のとうきび。
教師が教師と教育を語る。教師が教師と教育じゃないことを語る。
教師はどんなことでも教育に結びつけてしまう。関係させて味わうことができる。そこから教育を見る。身体の奥に教師が動きはじめる。
だから、教師が教育じゃないことを楽しむことはとてもいいこと。若い頃、「達富君、君の鞄にはどんな本が入っていますか。」と清原先生が聞いた。「綴り方と芦田恵之助と談話分析です」自慢げにこたえた僕にやれやれという顔で清原先生。「まだまだですね」。
以来、しばらくはダム建設と北極の植物と小津安二郎を連れて歩いた。
帯広の夜の6時間。僕たちはクロカンと盆踊りの太鼓の叩き方ととにかく教室とは無縁のことを話し続け、とにかく楽しんだ。
それが明日を生きる教師にとって、とても大事なことだと分かっていながら。
僕の友だち。校長先生。今夜、僕は彼にニックネームをつけることにした。
「いいよ」校長先生。
飲んで語っているとき、ずっと「いいよ」って言ってくれる。彼の「いいよ」は優しい。そして強い。「いいよ」から応援があふれてくる。「いいよ」に安心感がある。「いいよ」が父のようだ。大好きって、安心に似てる。
「いいね」ではなく「いいよ」。そう、「いいよ」。何度も聞きたくなる「いいよ」。
「いいよ」がとっても似合うこの校長先生に出会えてよかった。
僕はこの出会いをいつまでも両手で包んでおきたいと思っている。そして、僕の小さなてのひらから「いいよ」がこぼれ落ちそうになったら、こぼれる前に、またここに来る。もちろん、はやく来なきゃ、って急ぎすぎないことを楽しみながら。そのときは、ダムのつくりかたを教えてあげる。そして小津映画を語り合いましょう。
9月7日。「たつとみさん、明日の朝はきっと二日酔いでしょうから、朝ごはんはお粥がいいですよ。」、帰り際の言葉がうれしかったから、頭もお腹もすっきりしていたけれど、やさしいお粥にした。
お腹に染みこむ。ほんと、あたたかい味だ。
お昼の飛行機までは長くて広くてゆっくりの散歩。いろんなことを黙想しながら歩く。ただただ歩く。ふうっと歩く。いや、それだけじゃない。いつの間にか語っている。僕の声を聞いてくれる見えない誰かに語っている。
ふと、駅前を見ると、テントに人だかり。気になる。
枝豆、一束、250円。
即決!2束、お買い上げ!
こんなにたくさん。湯掻いたあとのことを考えると、、、とつぜん、腹が減ってきた。
よし、店をさが、、、探さなくても知っている。帯広の駅近くならインディアンカレー。よしっ、インディアンカレーに行こう。
満腹。
あとは長崎を目指してひとっ飛び。帯広空港から羽田乗り継ぎ。
僕は文庫本を開くことなく、ずっとモレスキンに綴り続けた。言葉があふれる。言葉がこぼれる。こぼれた言葉が大きな布のように広がる。旅は言葉を連れてくる。言葉をつないでくれる。言葉は旅の空の下で確かな流れをつくる。
僕の旅は道草。
富士山。日本一の山。だけど、僕の心はこれに負けやしない。言葉が動いている。僕の内側から動き出している。言葉。そう、言葉。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。旅の中で、僕は何度も何度も祈っていました。きょうもありがとうございます。
じゃあ、ここまでで受付終了!
国語科単元学習づくり。
あなのやくわり
カミツキガメは悪者か
さっそく来週くらいからはじめましょう。
単元づくりのはじまり
二人の仲間がさっそく声をかけてくれた。
固有種が教えてくれること
言葉をもつシジュウカラ
この二つの単元を国語科単元学習として丁寧に作ることにした。
さて、芽室のコーンを食べながら、帯広のインディアンカレーでビールを飲みながら、車窓の大地に言葉の学びを探そうとっと。
何かしたくなってきている
誰か一緒に説明文単元つくりましょ!
名文紹介
いちばん歳の離れた友人の言葉
(前略/あのパンデミックの中、ヨーロッパで一人暮らしをしていた彼、)しかし、その状況を乗り越えられたのは、現状の課題に対して、「問いを立てること」でした。 「気が滅入らないためにはどうしたらよいか。」から始まった切実な問いは、「一人の時間をどう楽しむと良いか」「音楽だと何を購入できるか。」などと問いがつながり、ギターを購入したり、日本に手紙を書いたり、知らない街に目的もなくドライブしたり、ひたすら歩いたり、パン作りをしたりという行動につながっていきました。
「人から問われないと考えられない大人ではいけない」という、本校の研究への思いは、もしかしたらあの時の経験から来ているのかもしれないと気づいた、八月九日の夜でした。
どうしようもないくらい連れ回したい兄弟の言葉
(僕の勢い余って書いた文章を読んで)うーん、なんかここまで書かれちゃうと、身が引き締まるというか、責任が重いというか、安請け合いしちゃったなあ、と恐縮してしまうところです。教室の事実として、「一枚に書く」ことが常態化しているし、なんなら、普通の作文(2学期の目標等)は苦もなく書けるようになっちゃった、というのも、他教科の担任が預かり知らない事実です。「第4の書く」で提案できたら、よかったなあ、という率直な感想です。でも、「振り返りのモデル文」は実践していなかったので、今後の課題です。
うれしい便り。名文。今夜はこの文を肴にバーボン。
僕を呼ぶ声
呼子港。長崎に越してくる前に家族旅行で来たことはある。20年ぶりの景色だ。佐賀で働いているといっても佐賀を知っているわけではない。こうして研修会などで声を掛けてもらうことがなければ来ることもない。だから、きょうはとってもうれしい呼子への小さな旅だ。
知っているのは二人だけのはずなのに、みんな仲間のような感じがする。家族的な雰囲気というのが僕は大好きだ。
だから、ついつい調子に乗ってしまった。言ってはいけないことはないけれど、言うつもりじゃなかったこともたくさん話してしまった。だから本当にいい気分。
「また来ますから」って声を残して、小さな旅の続きを楽しんだ。
さて、夕飯は鶴居村の炭で土産にもらった干物を炙ろう。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
明日から教育実習
解決を急がないことも大事
きょう、僕はほんとうに尊い時間に包まれていた。15歳の《問い》って、どうしてこんなに瑞々しいんだろう。それはガラス細工のように繊細で、どこまでも伸び続ける大地の根のようで、広げきれない翼みたいにしなやかで、ときにあやうく、ときに頼りがいがある。僕は15歳の《問い》の魅了されている。
中学生の兄貴分の僕の弟分が語りはじめる。
とにかくマッピングしてみましょう、と15歳が受け取る。
じゃあ、これをもとに感じたことを伝え合いましょう、とさらにつないでいく15歳。
生徒の中にいて安心に満たされるというのがいい。生徒をなんとかしなければと思い巡らせなくていいのがいい。生徒と時間を創造し共有しているという実感がなおいい。
だから、僕が言ったことばはひとつだけ。
「問いの解決を急ぎすぎないようにしよう。」
大切な中学校。尊い生徒。かけがえのない時間。すべてにありがとう。
帰り道、お腹が空いているはずなのに、今しがたのことを思い出すことに耽っている僕のグラスから泡が消えていく。本当はもっと美味しいお店なはずなのに、きょうばかりはしいたけ肉そばとビールよりも15歳の《問い》。
そうそう、さっきの中学校。いろんなところに語彙が落ちている。例えば、さりげなく廊下に立てかけられていた小黒板。
「生徒の生活の中に語彙が置いてある」。こんな中学校、僕は見たことない。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。ほんとうにありがとうございます。
道草は小浜の温泉
天草の海は
フェリーから見える天草の海はほかの海とは違う。
イルカと出会えることもあるがそんなことではない。天草四郎が渡ったからでもない。天草の海は、洋々としている。
小学校の廊下に「1枚」に書いた学びのあしあと。
この掲示物をつくっているときの教師は幸せだっただろうな。掲示物を見上げた子どもは誇らしげだっただろうな。その子どもの顔を見つめている校長先生や教頭先生は息継ぎをするのも忘れるほど見入っただろうな。この掲示板に足を止めた保護者は安心に満たされただろうな。
そんなことを思い浮かべている僕はうんうんと楽しくなっている。
天草の海は洋々としている。
そして、僕の常宿、松屋はきょうも僕を抱きかかえるように迎えてくれる。
天草は全部が洋々としている。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
朝ごはんはここから
久しぶりの佐賀
きょうの西日本新聞に達富が登場している(らしい)。たくさんの人から電話があったりLINEやメールが届いたり。
みなさんが気に掛けてくださっていることがうれしい。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
北の大地にクワガタ
きょうは朝から単元づくり
「ないた赤おに」、「大造じいさんとがん」、「きつねの窓」。
この夏、最後の単元づくりの5時間。涼しいはずの北の教室が熱い。
言語活動モデルの完成までを一気に仕上げた。あとで1人でやることもいいけど、一気にみんなでやってしまうことも効果的だ。
同じことをそれぞれに一緒にやる。この「一緒」が、一緒に成長するこつなんだと思っている。
教師として楽しむなら、教師としての成長するしかない。僕はその勢いを受け、とっても楽しく学べたことをうれしく感じ入っている。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。ここには学びと癒やしが共存しています。本当に、
夜は「別邸 下川庵」でごちそう。
旧店舗よりもゆったりとした空間でしたたかに酔っ払ってしまった。
大村に学ぶ
大村はまはただ一つのことをさまざまな場面を使って語っている。たった一つのこと。
僕たちはきょう、そのことを学んだ。「指月の指」。ただ一つのこと。
大村の一つのことは本当に明解でたいへん分かりやすい。もう少しだけ、僕はそのことを追いかけようと思っている。
大村に学んだ後は空港へ直行。
屋久杉の前でひと休み。数時間後には、気温20度を下回る大地へ。
ポケモンが好きなわけではないけれど、全部の画面に映し出されるとうれしくなる。さて、きょうから3日間は暑さを忘れよう。
北のゆうこりんにごちそうになった「しまほっけ」。絶品。こんなほっけ、生まれてはじめて。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
風は南から
南風の会。今年の4月に生まれた会も今日で3回目。天草から兄弟たちも参加し、ホテルの会議室は大いに盛り上がった。
兄弟姉妹の実践、考え、《問い》、どれもが尊い。
小西さんの「故郷」を読む単元。小西さんの授業には心の動きがある。生徒の息づかいがそのままつまっている。この単元を締めくくったとき、どうしても一冊の冊子にまとめたくなり、無理を言ってカラーの表紙と小西さんの単元に込めた思いと、そして僕からの小さなつぶやきを添えて纏めた。
この冊子を増刷し、今回の参加者に届けた。これは間違いなく残しておきたい一冊。
こうはんは定例になった「達富授業を言語化する」の3回目。今回は「少年の日の思い出」を読む単元。まあ、これは大したことないので省略。
新たな研究会が育つと胸が高鳴る。
さあ、明日は「はまかぜの会」。これも、育てていきたい。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
こんなにいい日だったのに、一つだけ後悔。
美味しかったんだけど、お腹いっぱいになっちゃって、夕飯も入らなくなってしまったおそろしい一品。鹿児島とんかつカレーうどん。
また食べたいけれど、もう食べない逸品。
夜はいつもの仲間と一献の杯。
飲むだけで食さなかった僕は、帰り道に背徳のラーメン屋を素通りできなかった。
誘惑の「のり一」。
浅瀬に仇波
他者が作成した学習指導案をああだこうだと指摘するのは好きじゃない。もちろん、誰かの作ったものを自作のものだと偽りそのまま提出したり、生成AIに作らせたりしたものはそれ以前に見る必要を感じないけど。
基本的に生産者は尊重されるべきである。悪事に使うものの発明はいただけないが、学習指導案はそもそも子どもの成長のためのものであるから、成長を願った教師の思いは尊重されてあたりまえである。それを重箱の隅をつついたり、鬼の首を取ったよう少しのことをひけらかしたり、本当のみっともないことだ。
それより、「この指導の意図は何か。」「どのように子どもに語るのか」「個人差をどう考えるのか」と問うことが大事である。
さあ、きょうから鹿児島。
「ああ、難しい」を禁句にしよう。「よう分からんもんね」という言い訳にふたをしよう。
自分の思考をもっともっと深いところに沈めよう。浅瀬に仇波では教師としての成長は見込めない。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。これから、鹿児島です。
平安を祈る
友人が「天声人語」を送ってくれた。昨日の日付だが、きょう味わうのがいい。
考えることも疑うことも忘れて、自失の姿であった大村先生を思い浮かべることはできない。では、そのとき自分だったらどうだったかと問うてみる。まったく自信がない。
僕は、問うことを大事にしたいと考えている。《問い》からはじまる国語教室を実現したいと願っている。問う力が十分だったら、考えることや疑うことが可能だったのだろうか。《問い》を立てても無力だったのか。
この夏、何度目かの『夜と霧』や『ハンナのかばん』にふれている。「このとき」「自分だったら」「何ができるか」。《問い》ばかりの読書の時間は重たい。
今朝、届いた「天声人語」。明日から鹿児島、そして北海道への旅。この「天声人語」を連れて行こう。
8月15日、僕は平安を祈っている。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
風は南から
達富授業を言語化する 第3弾
夏のわすれもの
さて最終日
合宿3日目。僕は思っていた以上の手応えの中、最終日を迎えている。予定していた以上の単元づくりや評価問題づくりのひみつを語ってしまっている。こうして仲間に全部伝えていきたいと願っている。
九州を散々に困らせた大雨もようやく落ち着いたようだ。自宅の様子や駐めてきた車の状況や帰り道の確保など、そちらのことも気にはなりつつ、大村はまの単元づくりの方法を学ぶ教師たちに僕は惚れてしまってる。
さあ、最終日。
きょうは、AIを使って大村はま流の評価問題を作る方法を徹底的に共有する時間。
参加者のすべてを満足させることができるかどうか、僕はかなり本気だ。
出来上がった評価問題。2時間でここまでの質の評価問題、試験問題ができるとは誰も思っていなかった。知識・技能の問題から思考・判断・表現の問題まで、そして何よりの成果は「単元内の言語活動を通した学習」が問題になっているという事実。
このような評価問題が日常的なものになれば、子どもの単元に向かう姿勢も変わるし、学んでいることと試験とがきちんとつながるにちがいない。
とにかく、学びひたる教師のもとで子どもは学びひたる。僕はそういう教師の中の一人で居続けたかったんだ。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
合宿、なかび2日目
昨日は6時間。きょうは10時間。僕たちは学び通してる。学び浸ってる。学び切っている。
こうして「とことん」学び通すことを経験してしまったら、60分や90分の研修会がもの足りなくなってしまうだろう。
昨日は『大村第1巻』の僕が30年間に線を引き続けてきた箇所を話しことばにしてみんなに届けた。たとえ話も実践例も交えながら。本気で。
だから19時30分からのビールは格別だった。
きょうは、その30年間来の考察の上に言語活動づくりの本質を重ねたい。そして、言語活動モデルの基本を共有したい。
まずは席替えから。席替えの意図と予想される効果について考える。こんなところにも今回の合宿の意図がある。
説明文を読むことの言語活動モデルの作り方。もしかしたら僕が創り出したものの中でいちばん残しておきたいものかもしれない。
言語活動モデルを作るということは子どもを知っているかどうかをもう一度点検すること。子どもを知ったふりをしていないか。自分の子ども理解は本物だったのか。そんなこと、モデルづくりをすればすぐにばれる。子どもを知らない教師、子どもを知ろうとしない教師、教師の都合だけで生きている教師に言語活動モデルをつくれるはずはない。
ここに集まった教師たち。みんなみんな真摯な教師たち。何時間もかけて、ああだこうだと唸っている。それは子どもを知っている証し。もっと子どもを知ろうとする姿勢。
さて、今夜の乾杯は19時からの赤ワイン。
鹿児島、何かの思い出の場所にしよう。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
いよいよはじまる
I ☆ YOKOHAMA
おおきに
これまでの達富スタイルは「のび太くん・しずかちゃん」。きょうからここに「中島くん」が加わった。番組をまたいでいるのはご愛嬌ということにしてもらおう。
中島くん。さっそくいい味を出してくれた。というより、大阪の教師たちのノリが中島くんをおおいに盛り上げて迎えてくれたという感じ。大阪のセンス最高、大阪教師の理解かんぺき、大阪人の愛!大好きやで!
センスは愛。「先生、参加者5名の研修会って何なんですか?どうしたんですか?」「私もえっ?てなりました。」「そやろ、かなんわ。」軽くいじってくれるのが心地いい!
ほんま、八重の会のほうがうんと大人数やし元気やしやる気あるし、充実してるもんなあ、やっぱりええなあ!
きょうは汚いお店で粉もんを食べるのできひんかったけどまた来るしそのときはたのむわな。
ほな、帰るわ。
神さま、きょうもいつくしみをおおきに。
ひとり酒
ここからはじまる僕の旅
福岡県の教師たちと
8月1日。福岡県教育センターでの研修。150名を超える申し込みだったらしい(昨日の佐賀県での希望者5名の研修はいったい何だったのだろう)。
かなり本気の3時間(ちなみに佐賀県では4時間)。大村はま国語教室を令和に語る難しさと手応えを感じた3時間だった。
心地よい福岡。充実の福岡。ここからはじまる福岡。
月曜日の豊前市、行橋市に引き続き県教育センター。福岡県の研修の熱さに魅了されたこの1週間。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
国語の授業として認められるもの
例えば言語活動。
子どもが楽しんで取り組むならどんなことでも言語活動にすればいい。というのは間違っていると思う。
その意図を検討せずレーダーチャートを作ったり、脆弱性に気づかないまま心情曲線に表したり、とりあえず動画を編集したり。安易な言語活動や思考の道具を取り入れるのは、危険だし、用心しなければならないと思う。否定はしない。だけど国語の授業として認められるかどうか、十分な再検討と点検が必要である。
ここに値打ちのある思考があるのか。子どもが問いを立てられるのか。子どもの発見と感動があるのか。本当に豊かな学びが実現するのか。ことばの学びが連続していくのか。
奇想天外、複雑怪奇、支離滅裂な言語活動は子どもが育つ機会を奪うことになっていることを知るべきである。せっかくの素晴らしい学びの機会を教師の陳腐なひらめきで台無しにしていいはずがない。
まずは教科書通り。学級の様子と重ねてみて小さな不都合があれば、そこを修正すればいい。鼻っから教科書を使うことを検討せず、一時の感情で単元を私物化するのはやめよう。教師の都合をやめよう。
福岡、京築
梨、
よか一日のごほうび
それでも待っている、夏休み
やっぱり上五島
教室巡礼
今年のTシャツ
サラダ記念日におしらせ
いい店、見いつけた
初夏の北の大地
北の大地がなつかしくて
国語教室 単元づくりの合宿
3日間、合計18時間の合宿をする。
13:00-19:00 作品研究
09:00-12:00 言語活動研究
13:00-18:00 言語活動モデル研究
09:00-13:00 評価問題研究
平成11年、単元づくりに没頭していたあの頃。今いちど、仲間と本気でやるということを思い出したい。
授業を言語化される
きょうの研究会は「達富授業を言語化する」というメニュー。たいへんありがたい企画だ。自分の思考を客体化できる稀有の機会である。
僕の授業をいちばん近くで見ていた教師が達富授業を語る。ぜひ、これからもお願いしたいし、興味がある教師がいればこの研究会に参加してほしい。
僕は、言ったり本に書いたりしているだけではない。実際の教室で教えている。教室の事実を共有できれば本当にうれしい。残りわずかになってきた僕の教師生活、きょうはとてもうれしい時間だった。
九州に来てから授業をさせてもらったのは長崎と鹿児島。そのどれもが僕にとっては本気の授業。それらが言語化されるというのは尊いことだ。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
ゆずらない授業
ひとつのグループに、そして1人の子どもにくっついて授業に参加した。
《問い》は立てるんじゃなくて、《問い》が立つような授業にすることが大事なんです。って、先日、それとなく僕に言ってきた人がいた。
即答、「ちがう」と僕。
《問い》が立つ授業なんてあたりまえすぎるか、謎めきすぎている。そんなんじゃない。仮に《問い》が立ったとしても、それをもっと値打ちのある愛着のある問いに仕立て直したい。
ともすると流してしまいそうな場面であっても《問い》を立てることでその場面に自分が存在し、課題を見つけ、課題に向き合うことで自分が動き出す。《問い》は降ってわいた謎ではない。《問い》は自分が生み出すものである。
《問い》を立てる学びとは、すなわち自分を主体化する学びである。
では、どんな子どもで《問い》を立てることができるのか。即答、「できる」。
ただし、立てることに慣れるまでは誰かの寄り添いが必要。それは親であり、兄弟であり、近所のおじさんであり、、、
いちばん身近な存在は教師であり仲間である。
それなのに寄り添わない教師が多すぎる。「子どもに《問い》を立てることは難しいから」などと平気で言う。だったらこのクラスの子どもの事実は何なんだ。「《問い》を立てるなんて、それは応用編。まずは授業の基礎である発問に答えることから。」正解さがしを否定しないけれどそれだけでいいはずがない。
冨士松諒。
この男はとことん寄り添う、付き合う、ゆずらない。子どもはそれを待っている。いや、待つではない。子どもは諒を必要とし、諒と学びたがり、諒を信じている。
1人の子どもの学びの事実を克明に記録した。そうすることでその子どもの学びが見えてくるのは当たり前だだけれど、同時に諒の指導の事実が鮮明に見えてきた。それを邪魔しないように、余計なおせっかいにならないように、少しだけ手をひいてみたくなった。
「君の《問い》どこから立てたの?」「ここからここまで」「ここから?」「そう、ここまで」「ここまで?」「そう、ちょっと長いな」「じゃあ、分けてみなよ」「分ける?」「うん、いくつに分けられる?」「ふたつ!」「よし、やろう」「おい、(グループの仲間に)付箋紙持ってきて!」「自分で行きなさい(正しくは、自分で行け!)」付箋紙を受け取ったあと、「1枚なん?」「2枚!おい、もう1枚持ってきて!」「自分で行きなさい(正しくは、自分で行け言うてるやろ)」
子どもは伸びたがっている。子どもは伸びる。
教師は伸ばしたがっている(はず)。だけど、何かが邪魔して伸ばしたいと言えないでいる。
だから僕はおせっかいだけど旅に出ている。
《私の問い》を大切に、仲間の《問い》も大切に。この教室に学ぶ子どもは未来に生きる、きっと大きくしなやかに生きる。
本物の教師たちがここに居る限り大丈夫だいじょうぶ。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
教えるということ
木曜日は中等国語科教育法Ⅰ、金曜日は堺市立東陶器小学校、土曜日は南風の会。
3日間を心待ちにしている。とにかく、充実の中に生きている実感を楽しんでいる。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
日本の原風景、それは田植え
こども記者
きょうは新聞社主催の「こども記者が書く」という企画。
福岡市科学館で、子どもが九州地方の電力事情についての説明を受ける。
発電の種類、電気は目に見えない。電気は少ししか貯めることができない。
どの話題も魅力的だ。ただ、話題がもつ力だけで筆が進むわけではない。書きたいこととともに書ける方法が子どもの中でも動き出さなければ、鉛筆は止まったままである。
何を書くか、どのように書くか。というよりも、書きたいことは何か、書けるのはどのようにか。のように思う。
そのために、
興味のある情報を集める・問いを立てる・解決するための情報を集める・調べる・予想する・確かめる・中心的主張を言葉にする・文章全体を短くまとめる
っていう体験になるように僕はてびきしたいと心に決めて、きょうは七隈線にのってきた。
我らの星、YOKOHAMA!
博多の夜
今週はいい気分
誕生日からはじまった今週。美味しいお酒を飲んで、大好きなイサキの塩焼きも食べて、お気に入りの紫陽花も満開になり、ベイスターズも強い今週はとってもいい気分。
きょうの看護学校のファイナルもいい気分。
書くのが速いとか遅いとか、そんなことで小さくならなくていい。上手く書けなくても大丈夫だいじょうぶ。書くことが見つかったら書けるように練習しよう。
書く方法、一緒に学ぼう。
そんなことを言い続けてきたけどきょうで最終回。ちょっと、心さみしい木曜日。
小雨の中を軽トラで走りながらこの2か月を振り返ってる。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
最近は
誕生日は雨
メイド・イン・長崎のスーツ、完成!
綴るということ
京都大阪の旅
開ける研究会(あけるかい)
誰かによって開かれているわけではない研究会を立ち上げようと考えている。それは閉ざされた研究会というのではなく、自分が開けなければならないということ。
8月中旬。九州の美味しい焼き鳥屋のある町。
参加条件は、大村第1巻を読み込んだ教師。
それだけ。
福岡うどん
最高の夏に向かって
明日は決勝。
最高の夏にしようぜ、我らの早稲田佐賀!
小屋入り
学び続ける教師
教師たちが学ぶならその中に居たい。これは20代から変わらない僕の欲求。
教師は時として子どもになり学び手となる。
ふだん教室で子どもが使っている小さなホワイトボードを持ち込んで、自分たちもそれを使いながら学びを深めている。
子どもたちのように書いて並べて比べて関連づけている。自分が体験するからこそ分かることってあるに違いない。教師の都合をやめるとは、そういうことだ。僕は宇土の教師たちの応援を約束する。ずっと、応援団でいられるようにと願っている。
さて、お土産にもらった茗荷まんじゅう。ほんとうに美味しい初夏の味がする。移動のつかれなんて、一気になくなっちゃう。
神さま、うもいつくしみをありがとうございます。
小さな町が大きく見える
日本海に向かうには大阪駅の何番ホームからだろう。すっかりと新しくなった駅舎に学生の頃の懐かしさは微塵もない。
特急はくと。
浜坂。前の大学のたつゼミ11期生の一人が教師として丁寧な仕事をしている小さな町。ここを訪ねるようになってもう6年。交差点の看板も町の抜け道も宿の生垣も、そして熱い教師たちの名前もすっかり覚えた。
研究会で話をするときはよくばらないこと。そして、僕のスタイルを守ること。それは「たった一つの大事なことをたとえ話で丁寧に伝えること」。
子どもと教室を語るのに人数は関係ない。全体記念公演なら行くけど分科会レベルは引き受けないという大学教授もいると聞くけれど、僕とは住む世界が違う。
ゆったりと、だけど大事なことをしみじみと語り合う。音読の仕方から視写の続け方まで、単元の作り方から評価のまとめ方まで。
そして、宿に着く。
女将の生花はいつものことだが迎えられている気持ちになる。
そして、熱い湯。
いつもの石鹸を連れてきた。
もちろん、日本海の魚も但馬の牛も平らげたけれど、僕にはこんな山あいの野菜がうれしい。
仲間としばしの宴。僕はこういうつながりや分かち合いが好きなんだと、きょう、日本海を眺める小さな町でしみじみしている。教育について語り合うこと、それがなければ何をしたってむなしさだけが残ってしまう。子どもを語り合っていればそこには若さがあふれる。
語らうのは教室の声のことばかり。花も少し酔ったか。
翌朝。無理を言って早めの食事。
天草の松屋とともに僕の常宿、大田荘。心づくしとはこういうことだろう。
安藤君の車に揺られ、宿を発つ。1輌だけの列車が動き出すまで15分。見送りに駆けつけてくれた二人をもういいからと帰らせ、田舎町の駅舎を楽しんでいた。部活に行く野球部の高校生に声をかけ、セカンドの守り方を教えているうちに大きな音を立てて駅を出た。
と、線路沿いの道を見覚えのある白い車。安藤君、やるなあ。
そういえば、かつて京築の駅でも同じようなことがあった。日豊戦が動き出すまで身を隠して待っていてくれたのは野村さん。
幸せ者だなあ、僕。
コナン空港のトリックアートにいつもの鞄を置いて一枚。さあ、東京経由で帰るとするか。
今年はあと2回。熱い湯に浸かりにくることにしよう。次はカニに香住鶴。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
大津皇子を追いかけて
羽田のラウンジでモレスキンを捲りながら4月と5月を振り返っていると春先に小さな旅に出ていたことを綴っているのを見つけた。
18歳の頃、大津皇子や額田王に惹かれ、二上山の眺められるところに居を構えることを夢見ていた。
28歳、はじめての家は奈良県當麻町。二上の風が気持ちよく、僕の勉強部屋からは香具山、耳成山、畝傍山の大和三山がひろがり、夏は視野一望に大和の花火をおさめることができた。
ふと、訪れたくなって今年の春先に近鉄に乗った。
帰り道、ちょっと足を伸ばしてかつての仕事場。異動後、はじめてここまで来た。
平成9年から通った正門。
僕は平成11年に教師として半人前になったことを覚えている。授業というものが少し見えた気がした。単元をつくるということが自分の仕事になった気がした。研究ではなく授業に身を置くことを決めた。
教師の都合をやめる。子どもの学びどきを待つ。子どもの学びどきのためにそっと教室を動かしてみる。動かし方が分からないときは動かさなくてもいい場をつくる。僕の都合で動かした学びなど、独りよがりに過ぎない。話し合わせなくても、問わなくても、言語活動など設定しなくても、良質の作品や題材と値打ちのある《私の問い》があれば子どもは学び浸る。子どもの学びどきを待つのは恋しい気持ちに似ている気がする。
あしひきの山のしづくに妹待つと
我れ立ち濡れぬ山のしづくに
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
大学生が学ぶ
きょうは教育実践者と研究者の二人が佐賀大学の中等国語科教育法の授業を観察してくれた。その声が届いた。
本日は、授業参与観察の機会をいただき、ありがとうございました。
アクティブラーニングの方法としてのカンファレンスに魅力を強く感じました。
しかしそれ以上に、集団として学びに向かい、学びを楽しみながら、真剣に議論している学生を見ることができたことが、私の学びになりました。
カンファレンスまでの指導や、仕掛け、工夫も,随所に盛り込まれており、形式だけのもの真似ではダメだということも痛感しています。
自分の目で見たことを、もう一度振り返り、授業改善に取り組みます。
小学校教員時代は、夢や希望、目標、現実を見据えながら、こだわりをもちつつ良い授業を心がけていました。子どもにも自分にも、様々な意味で成果としてかえってきたことで、モチベーションが高かったと思います。
今は、目先のことだけをこなす日々だったかもしれません。
「自分にできることをやります」と言いつつ、どこまで信念をもってできたかはわかりません。
言い切れない日々を送っていたので、今日の先生や学生さんの姿に、刺激、いや衝撃を受けたことは間違いありません。大学生が小学生のように熱中している姿は、、やはり圧巻でした。どうしたらと、新たな問いが生まれました。
足りないことや、やっていないことは、自分がよくわかっていますので、そこから始めます。
学び手を自慢したくなるのは小学校教師時代も中学校教師時代も、そして今も同じ。
28名のかけがえのない学生に僕は学んでいる。きょうのアクティブラーニングは誇らしい学びの成果がいっぱいあった。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
松屋に集う
「松屋さんを全館貸し切りにするのは何人からですか」と若女将にたずねた。
本年度内にやりたい。松屋の集い。
僕をこんなに熱くさせたのは、今夜の兄弟の話題提供。僕はこの男が大好きだ。
兄弟の実践には傲慢さがない。そして汚れたへりくだりがない。やったことを語るよりも考えたことを言葉にする。生徒主語と教師主語を明確にしている。何よりも、教室のリアリティに対して真摯だ。
研究会のあとの酒宴も居心地抜群。盆暮に兄弟姉妹が集まっているという感覚。これを毎月できる贅沢。
「まつや」、たった三文字、三つの音を唇に乗せるだけであたたかな気持ちになれる。
まつや。
僕にとって大切な場所。
兄弟、姉妹、なくてはならない仲間。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。そして達富文庫の実現を応援してください。
もうひと息!
新年度、第2幕!
子どもの日だから
人生、最後の洋服の仮縫いができた
風は南から
痛いの痛いの、飛んでけえ!
「いたいのいたいのとんでけえ」って、母がよく言ってくれていた。
母は痛いときなかったのかなあ。誰かに「飛んでけえ」って言ってもらってたのかなあ。
きょう、僕は学生と話をしていて「いたいのいたいのとんでけえ」って、言ってる気がした。痛いのはお腹や頭や歯だけじゃない。
痛みって、誰にでもどんなときにでも、何処にでも、どのようにも、そして突然にやってくるもの。
「とんでけえ」って、言ってあげられる大人になりたい。
大丈夫だいじょうぶって、言葉と心を届けたい。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
我が良き友よ
・四月二十日、牧場の風がやさしくて 町の明日がさあはじまる
・四月二十日、青し牧場のひかりまで 届いたような奴の日曜日
・四月二十日、「どがんすっとや?」風が問う「なんでもすっばい」奴ほらを吹く
友の未来には幼い気持ちでおめでとうが言える。妬みもやっかみも何もない。歳をとったせいか、僕は子どもみたいにはしゃいでる。
・春風に乗せて届ける「よかったな」 四月二十日は恋にも似てる
友を思いつつ、
今夜は時間が気になる。友の明日を心に置いて、僕は携帯電話を握りしめてる。
こんな夜は、下手な歌でも詠むしかない。
・切符では買えぬ場所まで行きたくて ときどき風を追いかけてみる
・約束をしない約束交わす夜 元気でいるのは知っているつもり
・この街に俺がいなくて困るかい? なんて言いつつ風の吹くまま
復活徹夜祭、五首
なんとなく、Write Away
なんとなく、ちょこちょこっと書きはじめたら楽しくなってきた論文の出だしをちょっとだけ。
1.はじめに
令和の教育において、「個別最適化された学び」は重要なキーワードとして位置づけられている。児童生徒一人一人の興味・関心、学習スタイル、発達段階に応じた教育は、知識習得以上に、主体的・対話的で深い学びを実現する基盤である。とりわけ作文指導は、個人の思考や感情を言語化する営みであり、その方法論において「個別最適化」は本質的な意味をもつ。
本稿では、日本の国語教育実践者・大村はま(以下、大村)の作文指導と、イギリスで展開されている『Write Away』の実践を比較し、両者の教育観、指導方法、学習者支援のあり方を検討する。その上で、大村の指導法が、より深い個別最適化を実現している点に着目し、その教育的意義を論じる。
2. 大村はまの作文指導の特質
大村はま(1906–2005)は、戦後の日本における国語教育を牽引した実践者である。彼女の作文指導は、単なる文章技術の習得ではなく、児童生徒が自らの内面を見つめ、思考し、言葉にする過程を丁寧に支援するものである。大村は、児童生徒一人ひとりに異なる「書きたいこと」があることを前提に、作文指導を「個人の内面に寄り添う教育的行為」と捉えた。
具体的な指導は、次のようなプロセスをもつ。
(1)題材の発見と共有:児童生徒が日常の中から興味関心を持った出来事や思考を言語化しようとする段階において、大村は対話を通じて題材の価値を認め、深める支援を行う。
(2)構成の吟味と下書き:初稿では形式にとらわれず、自分の言葉で自由に表現することを促す。
(3)推敲と表現の精緻化:教師とのやりとりを通じて文意や構成の改善を行い、言葉の選び方に対する感覚を磨く。
(4)発表と共有:教室内での読み合いなどを通じて、他者の視点を受け入れる経験を重ねる。
このようなプロセス全体において、大村の実践は、教師の都合による「書かせる」指導ではなく、あくまでも教師が児童生徒の書こうとする意思に寄り添いつつ教えるという「児童生徒の成長のための支援者」としての姿勢を重視していると解釈できる。
3.『Write Away』の構造的アプローチ
『Write Away』は、1998年にイギリスで導入された作文教育プログラムである。対象は主に小学校低~中学年であり、教師用ガイドブックと豊富なモデル教材を通じて標準化された指導が可能となっている。
その指導法は、以下の3段階で構成される。
(1)モデル化(Modelling):教師が優れた文章を読み聞かせ、構成・語彙・スタイルを明示する。
(2)共同作業(Shared Writing):教師と生徒が協同で文を組み立て、文章の生成過程を共有する。
(3)独立作業(Independent Writing):生徒自身が学んだ構造や語法を活用して文章を書く。
『Write Away』は文種(ジャンル)ごとの指導を重視し、物語文、報告文、説得文など、目的に応じた表現方法を体系的に学ばせる。そのため、文章の構造的理解や言語形式の定着には一定の効果をあげている。
ただし、構造重視のために、児童生徒自身が選ぶ題材や独自の表現には限界がある。教師の指導によって作文内容や方法が規定される傾向が強く、児童生徒の主体性が制約される場面もある。
長崎のひつじかい 例会
いろいろあって昌志。登場、
ともだちと外食べ
5カ年計画のはじまり
大事な一日だったのに
携帯電話の写真を整理していたら2月10日の思い出が、何冊も並んでいる本棚の隙間にはさまれた葉書のようにするっと顔を見せた。
そうだ。湯島、
2月10日。僕はこの日湯島に泊まった。湯島、はじめての夜と、はじめての朝。
仲間たちと教室を語り合うのは至福のときだ。だれもが子どもを安く見積もらない。教師の都合を押し通そうとしない。子どもの声に耳に傾ける。小さな島の大きな成長がここにある。
ほてった頭をひやそうと、散策。かつてはこの小さな島のかわいい灯台にも灯台守がいたという。
美しい。
島の風の向きが変わること、仲間が集まってきた。地域の父ちゃんが釣り上げ、母ちゃんがさばいた魚を持って。
今宵、語って、したたかに酔って。
早朝、仲間に見送られて島を発つ。
「また来るけん!」の言葉はこの船のエンジン音に消されたかもしれないけど、ずっと手を振ってくれる兄弟には伝わっているはず。
船を下りるとき、朝焼けにカモメ。
小さな島の大きな一歩。僕は、その一歩の背中を少しだけでも押せたかなと問うてみる。カモメは答えてくれないけれど。奴は、きっと朝の腹ごしらえに忙しいんだろう。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
1月の末からちょっときつかった僕もようやく元気を取り戻しつつ、
さあ、5年計画
きょうは、この先の5年計画を立てた。初等国語科教育法(指導法)をどのように組み立てるか。中等国語科教育法(指導法)をどのように展開するか。そして、地域の小中学校とどのようにかかわっていくか、長崎、熊本、鹿児島、福岡、大分とはどのような連携と協働ができるか。これまでの集大成としてこの5年を創造していきたい。
そんなとき、ひとつのLINEが。届いた。
5年計画をはじめる仕事が決まった。2025年4月8日。長崎から動き出す。長崎から雲に乗ることに決めた。
風の吹くまま気の向くまま。
この5年を愛おしむように大切に、纏めるようにしなやかに、愛するようにたおやかに生きていきたい。
祥平、ありがとう。
旅に連れて行くもの
春分の日があたたかい
春分の日の午後。
僕は庭で将吾とチェーンソーで薪しごとをしていた。新しいチェーンを取り出したとき、空袋が風に吹かれた。すすすっとはるさんが袋を追いかけ、ポケットに入れた。何もなかったかのように。
僕はいいなあ、この身のこなし。と気持ちよくなった。
将吾のチェーンソーの扱いも少し慣れてきたようだ。エンジンに踊らさせていたのが、操れるようになってきた。はるさんはにこにこ見ている。ずっと見ていたいみたいに。
僕はいいなあ、この時間。と心地よくなった。
大きなお鍋のおでんが温まり、薪でナンとスペアリブを焼き始めたとき、祥平たちがスイーツを持ってやってきた。実は祥平とは昨夜も一緒だった。長崎おでんで平戸のお酒の次の日は、たつとみおでんで黒ラベル。
子どもは泣いても笑ってよだれを垂らしていてもあたたかい。口もとを拭う母ちゃんもあったかい。
来れば帰るもの。がらんとなった駐車場が妙にだだっ広く感じる。
だったらもうひとがんばり。
将吾とおそろいのオレンジのチェーンソーで日が暮れるまで切り続ける。
父を想う日
きょう3月19日は、父を想う日。
親父は筆まめな人だった。親父が紙に綴っている姿を覚えている。鉛筆が紙をひっかく音と万年筆の音とが違うことも親父の背中で知った。
だから僕はモレスキンとモンブランが近くにないと落ち着かない。
それを「たつログ」に仕立て直す仕事をさぼっている、この1ヶ月。1月末から心乱し、2月に風邪をこじらせ、3月は祈り続けていた。
さてと、ぼちぼち、モレスキンのページをさかのぼってみるか。
人生、最後のスーツ
クローゼットの洋服を全部捨てるつもり。
その代わりのスーツを二つつくる。
これで残りの人生を楽しみきることにする。
日本一の洋裁店でスーツをつくることにした。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
長崎は日本の西端だけど、世界への東側入り口
やろうとしない教師はいない
つんと鼻にぬけるのがいい
大学生が研究するということ
きょうは大学の国語科卒業研究発表会だった。僕は大学生が研究する姿を頼もしく、うらやましく、そして美しく感じている。
学生の研究は屁理屈ではない。形式でもない。もちろん「やらされ仕事」でもない。だから粗いところがあり、こなれていない言葉があり、ときどき抜け落ちている部分がある。
それがいい。自分のことは棚に上げて他者に言いたい放題の大人の屁理屈とはちがう。
学生たちの発表は僕の身体に心地よい。
そのあとの読書会(という名の懇親会)はさらに心地よい。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。