たつログ

ちょっとしたことを綴っておこう。モレスキンのノートとモンブランの万年筆、時々たつログ。

えとせとら

いくつなっても授業

誕生日に5コマの授業というのはむしろうれしいかもしれない。することがない、なんてまったくない。といって追われているってこともない。風の吹くまま、気の向くままのこれまでだった。

もちろん、これからも。

授業って、やっぱり僕を高める唯一無二の時間だ。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

ともに学ぶ仲間

天草国語教室の会、そろそろ名前を改めて「天草松屋の会」にしたいと、兄弟にお願いしているところ。「天草えすぽると」でもいいけど。

新しい仲間が集まってくる、ずっとのメンバーがそこに寄り添う。こんないい空気が天草。僕は、いろんなテーブルを回りながらもらったクッキーを食べている。

お昼は港に座ってキムラパン。

何をやっても気持ちいい。どんなことでも受け入れられる。

天草、やっぱり特別なはじまりの地。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

家に帰って、土曜日は寅さん。

南極の氷でナースプラザに乾杯

知り合いの家族が南極から帰ってきた。お土産は南極の氷。我が家にもお裾分けが届いた。

カランという音が南極、ウイスキーと馴染むときに出てくる気泡の透明感が南極。行ったことないのに、南極が見える。

ゴトジンのロックとエズラのロック。大切なグラスで乾杯。

ただ、今夜は一杯だけにしておこう。明日、ナースプラザで分かりやすく伝わるように語りたいから。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

二人きりの授業

きょうは大学院の授業。院生ひとりと僕ひとり。このスタイルは苦手じゃない。ただ、相手がどう感じてくれるかはやや心配。

そう、心配だったはず。だけど、そんなことは3秒で消えた。

「たんぽぽのちえ」だけで60分。

説明文は感動的に読む。ってことを共有できたなら僕は綿毛に乗って舞い上がる気分。

授業、それは300人相手であっても1対1であっても同じ。知的な動きがなければならない。学び手に伝えるだけではなく、学び手をできるようにしなければならない。

ああ、楽しかった。って、舞さんも感じてくれただろうか。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございました。

学会誌に載るということ

大きな学会だからだとは思うが、ここ数日、たくさんの方から便りが届く。日頃、語っていることをまとめただけだけど、ひとまとまりにして文章で残したことにはそれなりの値打ちがあるのだろう。

おそらく、僕の教師としてのキーワードのひとつは《問い》。《問い》を立て、《問い》に向かいながら残りわずかな教師時代をまっとうしたい。そのあと、《問い》を楽しみながら日々を暮らしていきたい。

残り3年。何を語るか。どんな言葉で語るか。それが僕の《私の問い》である。

もちろん、その答えは風の中。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

川口先生んち

さあ、上五島。

僕の鞄には、枕が入っている。これが下船後の動きをしなやかにするこつ。

きょうは、とびっきりの時間が待っている。僕が教師になったばかりのときの先輩を訪ねることになっている。「80歳になりました」の声もたたずまいも35年前のまま。

若かった僕はここの座敷で酔っ払ったことがる。そのときの父ちゃんが高らかに笑って迎えてくださる。

上五島。この島に渡ってくることがなかったら、今の僕はない。祈りの島。上五島。

研究会もあっというまの3時間。往復7時間がうそのように楽しい。これも川口先生と枕のおかげ。

もちろん、お昼は虎屋のカレーうどん。

帰り道。真っ赤な空が五島を包んでいる。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。祈りのうちに。

 

 

授業を飾ることば

やっぱり「授業」の修飾語は「上手い」ではないよね。と、感じ入ったきょうの授業。

僕の親友、森山卓郎氏は僕の授業を「あざやか」と言ってくれた。うんと前、師匠大村先生は「強い」といってくださった。清原さんは「子どもが楽しんでいる」と。

きょうの恵理さんの授業は。

僕のモレスキンには、修飾語が3つ。さてと、その中のどれを選ぶか4つめを見つけられるか。

授業後の楽しみって、きっとこういうこともあるはず。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

問題の所在

ちょっと、文章を書いている。まだ、未発表だけど。

近年、学校教育においては、論理的な思考力や記述力の育成が重視されている。「書くこと」の指導においても、「自分の考えを書くこと」が求められ、多くの授業で、「まず意見を書きなさい」「結論を明確にしなさい」といった指導が行われている。

しかし実際には、多くの児童生徒が、「書くことがない」「何を書けばよいのか分からない」「自分の意見がない」という状態に直面している。にもかかわらず、思考が十分に成立していない段階で「主張」だけを書くことを求められることで、結局は、教師が提供した型(記述モデル)だけをなぞった文章や、借り物の意見をつなぎ合わせた作文が生まれてしまう場合も少なくない。

ここで改めて考えたいことは、「どのように書くか」以前に、「自分は何を書こうとしているのか」である。そのことは、つまり、人は何に問題意識をもち、それについてどのように考えているか、を言語化することである。問われるべきなのは、「人はどのようにして問いを言葉にし、問いに向き合い、解決したこと(あるいは解決できていないこと)を文章化するか」ということである。

人は、最初から完成された問いをもっているわけではない。また、「問いを立てなさい」と言われたからといって、直ちに問いを立てられるわけでもない。実際には、何かひっかかる、違和感を覚える、うまく説明できない、といった曖昧な感覚に出会い、それを言葉にしようとする中で、徐々に「自分が本当に問いたいこと」へ近づいていくのである。

ただし、すべての児童生徒が、自力で「ひっかかり」に出会えるわけではない。また、自分の内部に生じた「ひっかかり」を、そのまま問いに結びつけられるわけでもない。だからこそ、教師には重要な役割が生じる。その役割とは、「正しい問い」を教えることではない。むしろ、児童生徒が、自ら「ひっかかり」と出会い、それを言語化できるようにてびきすることである。

本研究では、この教師のてびきをひっかかりのための「ささくれ」と呼ぶこととする。

「ささくれ」とは、思考を強制的に方向づけるものではない。それは、当たり前だと思っていた見方に、小さな揺れを生じさせるものであり、通り過ぎてしまいそうなことがらに立ち止まらせるものである。児童生徒は、その揺れや立ち止まり、つまりひっかかりから「どのようにすればいいのか」「どのようになっているのか」と考え始める。そして、その過程の中で、問いが徐々に立ち上がっていくのである。

本研究は、国語科授業等における実践を通して形成されてきたものである。特に、児童生徒が問いを立て、自己対話を通して問いから中心的主張へ至る過程を観察し、その思考形成過程を理論的に整理したものである。

本稿では、具体的実践事例の網羅的分析を目的とするのではなく、実践を通して見出された思考形成過程を概念的に整理し、「自己対話の五段落作文」を思考形成モデルとして再定義することを目的とする。

ここで確認しておきたいのは、本研究は児童生徒が自らの力で「問いを立てる」ことを否定するものではないということである。むしろ、本稿で明らかにしたいのは、児童生徒が「問いを立てる」ために、どのような過程で「ひっかかり」と出会い、その「ひっかかり」を言葉にしていくのか、そして、そのために教師は、どのように「ささくれ」と出会えるように支えていく必要があるのかを明らかにすることである。

したがって、本研究において重要なのは、「問いを立てる技術」ではない。むしろ、人がどのようにして問いへ近づき、問いを支える自己対話を通して、自分の言葉へ到達していくのかという過程なのである。

言葉を綴るって、心がすうっとなる。神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

同窓会みたいなもの

たつゼミ3期生+8期生。

いくつになったっけ、って、何度たずねたっけ。

誕生日だから詩集をあげよう。言葉を添えよう。

もう一軒、行こう。

まだまだ行こう。

大阪で同窓会みたいなものを楽しんでる。

 

つきあたりの少し手前

画家さんの真似をして両手の指で四角を作ってみた
四角の指で景色が切り取られる
切り取ったところは額縁にかこまれてくっきりする

だけど僕の指の額縁のために見えなくなったところもある
僕の指の向こう側にも景色は続いているのに

僕の四角で校舎も遊具も銀杏の木も見えなくなる
ベビーカーもママの帽子も見えない
居酒屋の暖簾も赤い顔のおじさんも
風に吹かれる白い雲も見えなくなる

本当はあるのに見えない
見えている指の額縁のために見えなくなったものがある

見えなくならないようにするには額縁なんて見ないほうがいい
ずっと見ていたいなら額縁の向こうに行けばいい
空の全部を見たいなら
空をさえぎるものの向こうに行けばいい
空のつきあたりに行かなきゃならない

じゃあ
あなたの心を全部見るならどうすればいい
どこに行けばいい
あなたの心のつきあたりはどこ

僕は今
あなたの心のつきあたりの少し手前まで来ているみたい
見えていそうで見えきっていない
そんなもどかしさの中でとにかく見ようとしている

 

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

心おだやか

朝からいいことありそう。花開くいちにちのはじまりはそれだけで胸ふくらむ。

きょうは90分の4コマ。待ちに待ったきょう。それだけでいそいそしてしまう。

「頭から煙出ていますよ」「煙どころか火事です」

こんなやりとりに心おどる。

みんな学びたがっている。それが心地いい。

ナースプラザ。僕にとって、かけがえのない場所。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

さあ、大阪!

すてきな風景

僕の研究室前の掲示板には「ゼミ文集」のコーナーがある。

そこに学生さんの姿。いい景色。

僕は、ここに居てよかったなあとしみじみしている。ほんと、しみじみしている。

お前なら羽ばたける

これまでの不安や弱さすべてがこれからの夢に虹をかけてくれる。

祐大の登場曲。僕の好きなフレーズ。

虹を見るたび祐大。

真摯にがんばるお前を応援している。もちろん僕自身も僕自身を僕自身が応援したい。

不安、あっていい。弱さ、あってあたりまえ。夢、忘れない。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

祐大、ありがとう。

 

ここにも子どもの声が

いつもの駅弁屋さんは休み。

バスが来るまで、まだ時間がある。

 

 

今夜の宿は太平洋を一望できる部屋。

翌朝、北海道はまだ春。

校庭に子ども。学び舎に声。職員室に笑顔。

僕は、この小学校で大きな深呼吸をした。

もちろん、給食のカレーライスもとっても美味しい。

ということで、今年はこの小学校とともに学びたい。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

 

50年前は子どもだった日

5月5日、子どもの日。

かつて子どもだった連中と、本物の子どもが我が家に来てくれた。

子どもの日はみんなの日。

幸せな一日にみんなで乾杯!ちょっと、飲み過ぎたかも。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

男はつらいよ

上五島に向かうフェリー。僕は自分の枕を鞄に入れて来た。この数時間は僕を若返らせるし、僕の信念を確かめさせる。

25歳のときの僕に戻らなきゃ、って。

今夜、上五島の仲間と語るために船に乗った。

中通島が見えてきた。津和崎、仲知。

似首、丸尾、35年前は赤い屋根だった教会。エレナ有川店。

さあ、仲間と合流。とにかく語って、食べて、飲んで、騒いで、、、

今夜は「男はつらいよ 第35作 寅次郎恋愛塾」で寅さんが泊まった地に泊まる。

みんなが宿まで送ってくれる。家族のようなこの時間に胸が熱くなる。

また来るけん。

港の別れはさみしいから、こっそりと早朝の便で帰ろうっと。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

 

2026年4月24日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

まんまる

きょうは通勤途中の道の駅でNHKのラジオ中継があった。少し前にこの報せを聞いたときから、なんとかタイミングが合えばいいとおもっていたが、ドンピシャ!

ステッカーを手にしたときは、ちょっとうれしかったし、高山アナウンサーと写真を撮れた偶然はなんだかこの地で暮らしていることを実感する瞬間だった。

人と人とのつながり、人の輪を大事にしているこの番組の仲間の一人になれたような気分。

日常のひとコマが、なんともあたたかい春雨の午後だった。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

美味いものの旅

山形屋食堂の焼きそばはでかい。そして美味しい。

そうそう、のり一のゆでたまごも美味しい。

にんにくをのせるのがこつ!

神さま、教もいつくしみをありがとうございます。

春が通り過ぎそう

授業が始まってからというもの、朝のは5時前に起きて、7時前には家を出て、夜は9時までに帰れたことがない。

ずっと立ってる、ずっとあるいてる、ずっと語って聞いている、そうずっと教えてる。

大村先生が天に召された日を忘れることはないけれど、なんとも気ぜわしい。

走るだけじゃいけない。こんなときこそ問いかけなきゃ。こんなときこそ立ち止まらなきゃ。こんなときこそ目を閉じて、深呼吸。

神さま、何をお望みですか、って。

大村先生、達富は未だこんなところに居ます。未だ指月の指が見えていません。先生が導いてくださっているのにまだまだです。

教えてくださったから分かるのではなく、教えてくださっていないのにできるようになりたいのです。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。大村先生、きょうはどの星から私たちを見てくださっているのですか。

説明文を読む単元

今日の朝のNHK。

「さわやか自然百景 選 東京 多摩川水系 浅川」。

感動した。これ、そのまま単元になる。

今シーズンのプロ野球も終わったし、もっと教養のテレビも見なきゃ。

甑島、大きく深呼吸

いつか来たいと願っていた恋ごころが叶った。

旅だから、もちろん島も巡る。

美味しいものも逃さない。

だけど、やっぱりいちばんは、待ってくれている人。僕は、待ってくれる人が居る限り、きっと明日も旅の空の下を楽しんでいるだろう。

ありがとう、友佳さん。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

2026年4月3日 | カテゴリー : 旅の途中 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

名残りの春

大阪万博を記念にオープンした千里阪急ホテルが56年の歴史を閉じる。

日本的洋風ホテルがまたひとつなくなる。

ゆったりと味わうように泊まりにきた。

夢見草一夜の宿の灯となりぬ《葉雨露》

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

2026年3月30日 | カテゴリー : 旅の途中 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

探究するということ

探究するということは、解き続けることではなく、問い続けることである。このことをいま一度、確認しよう。

学問という言葉が、学ぶ+問うなのか、学ぶことで問うのか、問うことで学ぶのか、どれも耳に心地よいけれど、僕たちは解き続けているのではなく問い続けているのは間違いない。解けなくても新たに問うし、解けないからこそ問い続けているような気がしている。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

朝から、小野さん!

朝から新聞の切り抜きが届く。僕の友だちが綴られている。

あぁ答えがある問いばかりを 教わってきたよ そのせいだろうか
僕たちが知りたかったのは いつも正解など大人も知らない

先週、小野さんの学校をたずねたとき、廊下にあったことばもRADWIMPSのもの。

小野さん、やるなあ、浜田省吾ばかりじゃないんだ。僕も、もっと言葉に学びたい。若い感受性に学びたい。

朝から、ほんとうにいい気分。ありがとうございます、小野さん、南日本新聞。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

僕はたしかに五島にいた。

長崎空港を発つときに見つけた。そう、3月20日、22日が初戦。

京都よりも長崎を応援するのはあたりまえ。僕はたしかに五島からはじまったんだから。

この何でもない景色がいつくしみ深い。

若い頃の思い出がいっぱいだ。

コンビニが来たときは、我がごとのようにうれしかった。

島外からの力にも期待している。

思い出のつまった場所が閉じてしまうのは悲しいけれど、

僕はやっぱりここに帰って来たいと願っている。

もう暮らすことはできないだろうけど、何度でも帰って来たい。何度でも。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

五島、この聖なる島。

五島に来ている。伯母のいる聖マリア病院。

神の子として生きてきた伯母に会いに来た。面会の時間や人数に制限があることは知っていたから部屋にまで行けなかったのはいい。その分、僕は五島の教会を巡った。

レンガの一つ一つに島の人の祈りが込められている。

五島、この聖なる島。僕のはじまりの島。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。きくえ伯母さんに神さまの祝福を。

見いつけた

見つけたぞ!てらまい。たくさん買ったぞ!てらまい。

ただ、みんな見たことのあるものばかり。いつもいつもありがとう!てらまい。

きょうはちょっとだけの旅。

美味しいものを食べて、

きれいなものを見て、

もう一度、美味しいものを食べて、

帰ります。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

髪の毛、のびたね。

ゆうべ、遅くに東京。

軽く、もつ焼き。

そして、きょうはオンラインでの研究会。

僕の出番が終わっても、感想は「髪の毛、のびたね。」って。

話の内容はどうだったんだろう。

で、帰りの飛行機。

長崎のもっともっと西に沈む夕日。そこは五島。きっと島は真っ赤に染まっているに違いない。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

入ってくるものと湧いてくるもの

器にものが入ってきたとしよう。器は満たされる。ものがなくならない限り器はそのままだ。ものを出さない限り、新しいものが入ってくることはない。もういいや、とものを出したら器はからっぽになる。

器の中にものが湧いてきたとしよう。器は満たされる。ものを出さない限り器はそのままだ。ただ、そのものに飽きたりつまらなくなったり十分に楽しんだりして器から出しても、また器には新たなものが湧いてくる。

《問い》を立てる、ってそんなものだと言っていいと思う。

発問を受けることと《問い》を立てることって、全然ちがう。

だから僕たち教師が発問するときは、たずねて完結するよりも、個人の《問い》が湧いてくるようにたずねるほうがいいように思う。

こんなことを考えながら地下鉄に乗っている。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

2026年2月27日 | カテゴリー : 旅の途中 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

ふつかおくれの記念日

記念日に旅をした。ここは伊勢屋さん。

記念日は散歩しましょう。ここはいつもの海辺。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

学校図書館で国語科の単元づくり

「書くこと」の単元。指導事項は取材、集材。教室の中のモノを選んで、情報を集めて取捨選択する。説明文を書くことの学習のはじまりとして取り組みやすい単元だ。僕もやってみたことがある。教科書のモデルもたいへん分かりやすい。

ただ。ただ、である。

教室の中のモノを選ぶことができない子どもがいたらどうするか。「ほら、鉛筆けずりがいいんじゃない。」「電子黒板はいろいろなことが出来るよ。」「黒板ふきをきれいにしてくれる機械ってどんなふうになっているかな。」と、いくらいざなっても「ふうん。」「さあ、」という反応しか返ってこないことだって予想できる。

興味や関心の違いは個人差の代表である。個人差=能力差、と決めつけるのはよくない。興味や関心の違いがあるから、学習の深まりに違いが出来てしまうことを教師はよく知っているはずだ。だったら、大村先生のように興味や関心を育てる教師になるしかない。

この単元がはじまる前から子どもの中に入って下ごしらえをしておくべきだろう。選べないことを恥ずかしく思う子どもをつくらないためにはどうするか。そもそも選ぶとはどうすることか。教師としてそんなことを知らずに声を張り上げても指導の言葉は空回りするしかない。教えられる教師になる。

ということを、実感してもらうことを考え、きょうのワークショップ形式の研究会を開催した。

僕が準備したのは45の問いと学習用具としてのメモ用紙。そして、語りと語らいの時間。

ベテランの域にいる教師たちが3時間、書架を何度も巡ったり、床に座って文字を追ったり。頭をはたらかせて学びきった。

教師たちを学び浸らせるのも僕の仕事、かもしれない。

もちろん、教師と語り合うのも僕の仕事、にちがいない。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

《問い》を立てる力をつける

《問い》を立てる手がかりは教科書から見つけるのがいい。

教科書って、それほどに丁寧につくられている。

僕は教科書について語るのが好きだ。僕に教科書を語らせるのはこれを使っている子どもの姿を知っているからだ。

教科書は子どものてのひらの上で、机の上で、鞄の中で、成長している。

とにかく教科書。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

島の教室に学ぶ

はじめての島。長崎県五島列島の小さな小学校から教師を始めたからか、島の学校に強烈に惹かれる。

島に学校が「ある」。

島の子どもに学び浸る時間をつくりたい、それだけが若い頃の僕の使命だったかもしれない。

そして、きょう。すべての学級の授業を見せてもらった。1人の教室、2人の教室。どの教室にも穏やかな時間。そう、この時間。この空間。

個人差の中で学びが繰り広げられるとき、わたしたち教師にはどのような手立てが求められているのだろう。20人を超える学級では見えないふりができても、ここではそれができない。目の前の事実から学べることがたくさんある。島の教室は、僕をもう一度、教育実習生に戻してくれる。

小中学校の先生がた、尊い時間をありがとうございました。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

ばけばけ、「なので」

2月19日、第99話。

今朝の「ばけばけ」。

松野家からなくなった「焼き網」について正木が探偵ふうに推理していくという話。

最近、「ばけばけ」がちょっと面白くなくなってきたなあ、15分間が退屈になってきたなあ、と感じていた僕だったが、きょうは少し反応した。

それは、正木が推理の後段、「なので」と言ったから。

NHK放送文化研究所のホームページには次のようなQ&Aがある。https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/117.html

Q「なので」ということばの使い方がおかしいと言われました。

A「なので」には2種類あり、「退屈ナノデ出かけてきます」のように1つの文の中で使われるもの(「文中ナノデ」)と、「退屈です。ナノデ出かけてきます」のように前の文を受けて次の文の頭で使われるもの(「文頭ナノデ」)とがあります。このうち「文頭ナノデ」は、使われ始めてからの歴史が浅く、違和感を覚える人もいます。

「ばけばけ」は明治中期の話なのに、自然と何でもないように、「なので」を使った書生の正木のしゃべりに違和感を覚えたわけ。

ただ、脚本家のふじきみつ彦さんは、随所に言葉の遊び心を散りばめているから、脚本としての流れに不自然さはない。

ヘブンさんが求める「ビール」とは何かを探し、思い巡らせるおトキが友人の「サワ」を連れてくるところなどは失笑するしかない。明治時代にサワーはあるはずがない。

「好いちょる」を虫の音のスイーチョンと重ねるところなどはふじきみつ彦ならではの言葉あそびなんだろう。

ただ、今朝は「言葉あそび」でく、馴染みのない言い回しだったから反応してしまったんだ。

「だから」「やけん」「だけん」「じゃけん」いろいろ考えられそうだけど、「なので」はちょっと馴染めなかった僕は、今から再度、録画を見るつもり。

ということで、最終回が来てほしくないなあと、2月を惜しんでいる。

蜂の巣?

呼子の小学校を訪ねた。3年生の言語活動に安定感がある。子どもが何をするのかを理解している。

僕が授業者に言ったことはひとつだけ。
「もっと学びたがっていると思いますよ。もっと個人差に応じたテンポで進めたらどうでしょうか。」

子どもの力を安く見積もらないこと。個人差に向き合うこと。

気持ちのいい研究会だった。

そして帰り際。前日にもらった「隠れた唐津のスイーツを準備してお待ちしています。ご家族のお土産にお持ち帰りください♪」のLINEが気になっていたのは本当。

何が出てくるんだろう?

とびっくり。

家に帰って、開けててまたびっくり。大きな蜂の巣かと思った。松原、茂る松葉であることは分かっていても蜂の巣に見えてしまう。

食べて、3度目のびっくり。このスイーツ。くせになりそう。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

最後の担任、です。

20年以上前のゼミ生、

と遊ぶのはとにかく楽しい。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

たつゼミ+たつゼミ=とってもいい!

きょうは佐賀大学国語教育学会の卒業研究発表会。達富ゼミ(たつゼミ)の学生の研究発表も完ぺき、分科会での質疑も見事。僕はそれだけで十分だった。

ただ、その感動をさらに深いものにしたのが3年生が企画した読書会(親睦会)だった。

「つながり」を大事にしたいと言いながらもこの大学ではできなかった「つながり」。それをさりげなく、だけど丁寧に、そして着飾らず、普段着で、そして包み込みたくなるようなやさしさで形づくってくれた3年生。それをさらにあたたかく受けてくれ、あたたかさで返してくれた4年生。

最後の担任。これが本当になればいいのに、これが僕だけの思い込みでなければいいのに、これがずっと続けばいいのに。

最後の担任。このことば。60年を超える僕が綴ったこれまでの作文の中のいちばん気に入っているいちばん尊いいちばん大切なことば。

最後の担任。えらそうなことを言ってごめんなさい、という気持ちとともに、そうありたいという願いをこめて。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

問い返すということ

今年になってから、各地の研究会で《問い》を立てることが話題になることが多い。いよいよ《問い》が根づいてきたか。そして、話題は《問い》の質や《問い》の修正、《問い》の更新へと広がっていく。

このような教師の関心に対して僕なりにひとこと言うと、それは「問い返すこと」でしょ、ということになる。

《問い》は目的でも目標でもない。《問い》を立てることはとても大事なことではあるが、《問い》そのものは過程の中での足あとのようなものである。

だからこそ、はじめの足あとであるはじめの《問い》を見つめなおし、少し調った、そして値打ちのある《問い》になるよう自分に問い返すのである。これからしばらく付き合っていくことになるこの《問い》に愛着と手強さを感じつつ、学びがいを実感し、向き合うために問い返すのである。

はじめの《問い》なんて一瞬でその姿を変えてしまうことが多い。1度目の問い返しによって、はじめの足あとはたちまち新たな足あとに移動するからである。

《問い》。きっととても大事な足あとなんだと思う。この足あとのつながりを軌跡というんだと思う。そしてその軌跡が今の僕の後ろに見えるから成長を感じるんだと思う。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

朝ごはんは船の中で

船の中のうどん屋さんはみんな仲よし。開店を待っている姉さんも、券売機と格闘する兄ちゃんも、そしてあざやかな手さばきできつねうどんをこしらえてくれる母ちゃんも。みんな仲よしになる。

フェリーの蕎麦屋の女将が厨房から出てきて見送ってくれたのははじめて。

「また来るよ」の声と白い波のあとを残して、さあ、長崎に行こう。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

2026年2月14日 | カテゴリー : 旅の途中 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

心を空にあずけて

母の眉のようなお月さま。天に召されてからもこうして月にいちどは母に逢える。旅の途中は心を空にあずけたくなる。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

2026年2月14日 | カテゴリー : 旅の途中 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

この中学校、、、

鹿屋中学校、オープンスクール。

卒業生、プロ野球選手のサイン。

授業担当者全員による公開授業、そして提案授業。この頃は、授業の写真を撮ることができない。

分科会発表と

僕の時間の写真のみ。

手紙やはがきを書く言語活動をしたいなら、手紙やはがきを書きたくなるような下ごしらえが必要!ということを伝えたくてポケットに入れてきた二葉のはがき。壮と浩から届いた二葉。

素晴らしい研究会。もっともっとたくさんの教員であふれかえればいいのに。もったいない。

ということで、今夜の宿は、昭和。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

 

旅の途中

この季節の朝焼けは赤がしたたるような数分間がある。ほんのわずかな時間。

対照的な青。そこに光と雲が十字架をつくる。

さてと、お昼ははらこ飯。

夜の肴はほやの塩から。

40年ほど前、僕の目の前でさささっとこの店主に贈られたサインを発見。今でもしっかりと覚えてる。

 

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

 

2026年2月10日 | カテゴリー : 旅の途中 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

日本列島 雪景色

まずは我が家、遠くは雪で見えない。

京都はと言えば、品格がある。

東京、世田谷。都会も雪化粧。

そして、北海道。日高に警報はなし。

五島列島も全便欠航。最西端も雪。

こんな一コマも、

日本列島、各地から雪景色をありがとう。たくさんの友だちとつながっていることが僕の心をあたたかくしています。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

生活のうるおいに

教養があるとどうなるか。知性がないとどうなるか。知性があるとどうなるか、教養がないとどうなるか。

そんなことを考えるながら運転をするのが好きだ。

もちろん、先週は教養とは何か、知性とは何かについて、ああだこうだと大学と自宅を4往復した。

「そんなの検索すれば出てくるでしょうし、生成AIにたずねれば考えてくれるでしょう。」って、真顔で進言してくれる奴はつまらない奴。

端末の画面に勝手に並べられる言葉に心はない。生成AIは言葉を合成してくれるだろうけど、情意を紡ぐことはこれっぽっちもできやしない。。胸の高鳴りを編むことなどあり得ない。

僕たちが自分の言葉で考え、伝え、受け止め合うことで、ただの言葉が生活のうるおいに変わることをもっと実感したい。僕の「あんなあ、」とか、「楽しいことしよっ!」とか、「梅田かなナンバまで歩かへんけ」とか、言葉を受け止めて、返してくれる人はおらんかなあ。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

唐津といえば、えびす湯

100年ほどの歴史があるように感じる銭湯。唐津の夕方はここに決めている。

石けんと手ぬぐいを下げて小一時間。日常から少しだけ離れた小一時間。

そのあとは、少々、贅沢をして舌鼓。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

予定変更をどうする?

まあ、人が作る毎日だから変更があるのは仕方ないけれど、変更っていうのは玉突き衝突をするから困るよなあ。

これが変わりますから、と言うのはいいけど、言われたほうはあれも変えなきゃ、ってなる。

この玉突きって、もしかしたら僕の知らない人にまで影響を与えてるかも。

ということは、年中、予定すかすかにしておくしかないなあ。そうすれば僕からの玉突きはなくなるんだから。

ただ、すかすかって、少しばかりつまらんなあ。

どうすれば玉突きしない充実な日々になるんだろう。ここにも《問い》が立つ。

蟹の匠

長崎の蟹ではないことはもちろん。北海道からの毛蟹。

いちばんの食べ方は蒸すこと。

ごめんね。だけど、いのちのひとつのかけらも落とさないから。

僕、蟹をさばくのは少しばかり上手かもしれない。

ということで、神さま、きょうも日ごとの糧をありがとうございます。

みんな同じように

説明文を読む単元ではどのように《問い》を立てるか。
学習用語をどう教えるか。
書くことの単元はどのように評価すればいいか。
領域をまたぐ単元をどのように構成するか。

みんな同じように考えあぐねている。

だから、本気に学び合える。

第16回、ことばが創る会。本気の3時間。

いい気分のあと。はずむおしゃべりに職人のお寿司。美味しいに決まっている。お酒を我慢するのがたいへん。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

松屋、

今夜は松屋。

ここは九州での学びのはじまりの地。僕にとってはまさに聖地でもある。

古い橋のたもとを通って小学校へ。

6時間目の教室に入れてもらって、贅沢な時間。

そして、夜は熱い時間。

午前零時の天草の通りを歩く僕。道に迷うことなく松屋まで。

この天井、何度も見ている。

美味しい○

天草、金子果樹園の十二単衣のみかん。

京都、東洋亭のトマトサラダ。

どちらも上品な美味しさにうっとりする。

お天気しだい

アポイ岳に朝焼け。

まちがいなくお天気だった。

だった、

旅がらすは天気に振り回される。

そんなときは、風の吹くまま気の向くまま。

神さま、きょうも日ごとの糧をありがとうございます。

バスの旅はそれだけでうれしくなる

暴風雪の予報。この雲の下はたいへんなことになっているんだろうと不思議な感覚の日射し。

空と雲の境目を通る。

北の大地。

地元のご婦人と一緒にバスに乗る。地元の高校生が食べる食堂で僕も塩ラーメン。さあ、ここで乗り換え。

長いバスの旅がはじまる。

走る走る。雪原を走る。

僕の乗ったバスの影が豊かな自然の中を走る。

北の大地の夕方ははやい。

宿に着く頃はすっかり夜。部屋の机の上にメッセージ。

きっといい旅になるはず。きっと何回も通いたくなるはず。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

 

2026年1月23日 | カテゴリー : 旅の途中 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

ここから

ようく見ると青空に飛行機。

目を下ろすと波。

そう、五島列島。

なにもかもがここからはじまった。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

 

2026年1月17日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

鉄道は人なんだよ

子どもが読む本を選べる力をつけるには。
学びひたってしまう問いとは。
教師たちの《問い》は本物の研究を創り出す。

そんな一日を過ごし、このあとは楽しい時間と美味しい食事を、と思っていた矢先。明日のANA便が欠航のおそれという情報。
今日中に動き出さなければ明後日の授業に穴をあけてしまう。それはできない。
ということで、急遽、鉄道で西へ西へと向かうことにした。

「ばけばけ」に盛り上がるこの地を走る列車にこれからの移動のすべてを任せるしかない。
とはいえ、こんな小さな駅に停車するには長過ぎはしないか。

話しかけてもいいものかと、迷いながらワンマンカーの運転手さんに状況をたずねた。

悪い予感どおり。かなり遅れているし、さらに遅れるらしい。
このままで次の鳥取からの特急に乗り換えることさえできない。そうなれば今夜中に博多に着くことすらできない。なんとかして鳥取からの特急に乗りたい。

「お客さんは何処まで行かれるんですか。」
長崎です。

「他にも何名かおられますか。」
それは分かりません。

「(停車中の運転台から出てきて)車内のお客さま!鳥取から特急に乗り継ぎの方はおられますか」
(やっぱり誰もいない)

矢継ぎ早のやりとりに焦りと諦めが交互にやってくる。

その後、運転台では鳥取駅の駅の機関区との長いやりとりが続く。

そして、
「大丈夫です。連絡取れました。鳥取に着いたら隣のホームに急いでください。20分ほどの遅れです。特急を待たせています!」
とのこと。

かっこいい!そんな言葉しか思いつかないほどかっこいい。

鳥取駅に着いたとき、ドアの前には駅員さんが待ってくれている。僕を隣のホームまでの最短の道で案内してくれる。

鈍行を降りるとき、運転手さんに声をかけた。
「ありがとう。運転手さんのおかげで助かったよ!」

運転手さんが言う。
「鉄道は人ですから!」

どこまでもかっこいい。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

2026年1月10日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

旅の宿

飛行機を降りたら山陰線。

人里やさしい大田荘。

お茶うけが自家製の干し柿、女将の粋な仕事。

温泉宿に石けん箱を持参、僕なりの粋。

今夜は蟹づくし。

地酒、香住鶴で甲羅酒。

宿の廊下に寒椿。

言うことなし。ああ、風流。ひとつ俳句でもひねりたい気分。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

そうそう、朝ごはんに添えられた鯛の皮の和え物。

朝から香住鶴といきたいところだけど、がまんがまん。

はじまりはじまり

今年の研修会の旅のはじまりは佐賀市立金立小学校から。

90分、先生たちと手応えを共有した。

大学も本格的に動き出した。学生と会えるのが楽しみ。たつゼミの文集「葡萄の木」も充実!

春風献上

白い雲が悠々と流れるように、青い海を風に吹かれて航るように。

この一年がこれまでにない成長を連れてきてくれるような気がする。

やりたいこと、たくさんある。

それを叶えられるように一人一人の仲間と時間を共有したい。この指とまれっ!

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

2026年1月1日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

年の瀬

一枚のはがきが届いた。

松井さんが運転する空色のタクシーが描かれたすてきな葉書。そこに綴られた小学生のもっとすてきな文章。

たからもの箱に入れましたよ。葵ちゃん、ありがとう。

今年、最後の贈り物に僕は大満足。

そうそう、最後のひとつ前は諒からの肉桂餅。もう一つ前は兄弟からの大根。

来年もみんなの町に行くよ。そのときは、うんと語り合いましょう。

よいお年をお迎えください。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

大根のお漬け物こそ家庭で

僕の部屋から見える大根たち。うまみをぎゅうっと詰め込んでいるところ。もちろん、湯島産。

潮風にゆうらり揺れている。

年忘れの会

きょうは長崎と佐賀の仲間と年忘れの会。

存分に語り、底なしに飲み、適度に食べ、ゆったりとした時間だった。みんなのそれぞれの1年間を聴き、僕の1年間を聞いてもらい、私たちの今からを約束し、たっぷりと心やすらぐ時間だった。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

研究室のそうじ

きょうは研究室のそうじ。何人もの学生を迎え、何回も研究談義を交わし、何泊もしたこの部屋の片付けは気持ちのいいものだ。

前の大学の研究室はゼミ生が総出ですべての本を書架から出してほこりを拭き取り、窓ガラスをみがき、掃除機をかけてくれた。そのあとは街へ繰り出して「年忘れの読書会」をしたものだ。

今はひっそりと自分のペースで日々の過ぎるはやさを確かめながら書籍を整えている。

と、気づき。

読む本が限られてきている。読まない本はとんとご無沙汰。

それなら、と昨年も一昨年も何百冊もの本を処分したにもかかわらず、今年も場所だけ占領して日々の授業には登場しない書籍がずいぶんある。

ということで、今年は段ボール20箱分に別れを告げた。

そういえばきのうは家のクローゼットの片付けをしてPapasの紺のジャケット8着などをごみに出した。今年は新しいジャケットを3着つくったら当然と言えば当然なんだけど、入れ替えは大事な仕事だ。

さて、昼でも食べに出よう。この大学に通って10年をこえるけれど馴染みの店はまだない。それが気楽なような物足りないような年の瀬のお昼を何にしようかと考えながらすっかり枝葉を落としたキャンパスの並木道を歩いている。

2人のあいだには声

あいだには声がある。それが優しくなるためのお望み。

父と母の子として、二人の倅の親として、妻の目の前に居る人として、「あいだ」にある声を手のひらに包みたい。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

宮古島に

大阪、都島と言えば胡瓜にイカ焼き最中菓子。

きょうの宮古島は広い海と青い海。

実は人生はじめての宮古島。かなりわくわくしてる。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

 

ここは聖なるところ

今年もこの時期が来た。Entry & Conference!

書写指導法の授業をどうアクティブラーニングかするか。

次々とアイディアが生まれる学生のしなやかさに感激。書くばかりが書写じゃない。

折れを体感するにはこんな方法もある。

こんなことをさらりとやってのける大学生。教師をめざす若者。とっても純粋だ。

書写の学習の導入のためにどうやって子どもの興味をつくるか。育てるか。

こんなことをじっくりと創り出す大学生。教師を目指す若者。とっても頼もしい。

僕はここに導かれたように感じて、そのことにとっても感謝して、そしてもったいないくらいの気持ちになる月曜日。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

 

2025年12月22日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

財力の国語科単元学習

きのう、きょうのキーワードは「財力」。要るもんは要る。無駄になるかもしれない教材へのワンクリックは実りある学習材化のための投資。

着るものや食べることや泊まる処もせこくはなりたくないけれど、授業のために欲しいもんは買う。このスタイルは外せない。

ということで、「南風の会」「はまかぜの会」で提案したことには投資が必要だけど、その分、児童生徒の学びの飛躍的な深まりは約束できる。

財力の国語科単元学習。次回は2月。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

大村に学ぶ

大村は言う。

昔のとおりやっているという人たちで、これでいいのだと安心している人も少ないのではありませんか。自分のしていることに対してなにか不満な不安な気がし、なんとかしたいと思いながら、さて、どこからどうしてよいかわからない、という人が多いと思います。単元学習によったらよいのではないかと心を引かれ、講習会・研究会のときなどは大いにやってみたい気持ちになるのだけれど、さて、自分の教室にもどってみると、どうしてよいかわからず、といって、授業を休むわけにもいかないので、つい、持ち合わせの方法、しらずしらず、自分が教えられたときの方法などで、一日一日過してしまう、こういうことが実際多いのではないでしょうか。」

そして、教師の成長のために応援してくれている。

一つには、ご自分のしてこられたことがどんなに単元学習になっていたかを知って安心し自を持っていただくように。

一つには、一歩前進するために、どこか一角でも切りかえるのには、どのようにしたらよいか、取りつきやすい一角を実際方法とともに見いだしていただくように。

ただ、次のようにも付け加えている。

たいへん心配なことは、単元学習に何か一つの型があるように見えはしないかということである。まず手始めに、こんなふうに行われることをこのように切りかえてはどうでしょうか、という一例をあげたのに過ぎない。例をあげ、実際を書くと、型のように受け取られ、形だけが受け取られやすい心配がある。けれども、こうなのであるから、あとは自分の教室の実際にあたって、めいめいくふうで生かすのだと終ったのでは、いまこの文を読んでいただくかたにとっては、やはり苦しみ、重荷が残ることになるであろう。せっかく、新しい一歩を踏み出そうとしていた熱意もくじけてしまうであろう。やっぱり危険をおかして具体的実際的に密こうとした。それに、もしどこかお役に立つ一節があって実践していかれたら、とてもその手始めにした型めいたことにとじこもってなどいられるものでなく、次次とくふうが生まれ発見できて、「型だ」というような見方は、けっきょく、やってみない間のものであったと気づかれるであろう。

大村の心配と配慮とてびきを私たちは適切に受け止めているだろうか。理解できているだろうか。本当に学び成長しつつあるだろうか。

さあ、鹿児島。

学び合いたい。

単元づくりの研究

この土日に鹿児島で単元づくりの研究を行う。今、僕が考えている単元づくりのすべてを語り共有する。大村先生に教わったことを現代の文脈にそってパラフレーズし、みんなで声の共有を図りたい。

大村はまから吹いてくる風を全身に受け、大きく育つ土曜日曜にする。

「待つ」ことに感謝してくれている仲間のもとに駆けつけたい。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

さて、その前に今夜は東京。

天草滞在、3時間

常宿から天草に向かう。

右手に見える島原半島にいつも思いを巡らしてしまう。自分が今、長崎に住んでいることを確かめさせ、40年ほど前に長崎に済むことを決めたことを思い起こさせる。長崎は憧れだった。

車は上天草を通り抜ける。五橋に向かう。二号橋手前。

この宿。懐かしい。だけど、まだセキトマラーン。

さて、天草に到着。国語教室の会。2人の中学国語科教師の実践に学んだ12月13日。きっと20名の誰もが大満足の3時間だったに違いない。

研究会とはこうあるべきだ。と、自信をもって言える。忙しくない者は1人もいない。だけど誰もが定刻に集まる。学びたがっているのは子どもも教師も同じ。受け身という言葉なんかこの研究会には存在しない。

都合で参加でない者さえもが、30分前に来て準備を済ませて会場をあとにする。見送る僕たちの目頭が熱くなる。大袈裟じゃない。仲間とはそういうものだ。「いいパパして来いよと」学びたがっていることくらい背中を見ればすぐ分かる。

きょう学んだことを伝えるから、兄弟、年が明けたら語り合おう。

きょうはこれから島原半島の小さな旅。馴染みの定食屋でお昼を食べて、いつもの温泉につかり、地元の野菜を買って帰る。これが天草帰りの道。

さてと、来週は東京から鹿児島へ。翌週は宮古島。そして、最後の日曜日は九州の仲間との年忘れの会。めいっぱい楽しもう。僕の2025年も残りわずか。

そうそう、帰りのフェリーは貸し切り。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

手応えは突然に

10年来の友人が新たなコミュニティを創ってくれた。僕は話をした。

友人が「これまでのすき間が全部つながった集大成でした」と言ってくれた。

確かにそうなんだ。話している僕も全部つながったと感じた。僕が話したかったことはこういうことだったんだ、と自分の声に感じ入った。話し切ったという手応えは突然にやってきた。そして、長く心に残った。

そういえば、先月末にも同じような感覚があった。

なぜこんなに素敵な時間になったのか。

答えは明白。下中一平や下川徳久のおかげにきまってる。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

帰り道の歩道に落ち葉が一枚。なんとなくいい感じ。

葡萄の木

最後の担任だなんて言いながら大学で生きてきた。

偽りじゃない、大袈裟でもない、大それた研究者でも理論派でもない僕は学び手と向き合うだけだ。

最後の担任って、とってもいい。それは、ずっと担任だということだから。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

学びをつなぐ

きょうは部屋のアラジンのブルーフレームでお昼ご飯を作ることにした。まずは、ご飯を炊かなきゃ。

見事に、美味しそうに炊けた。

日高の昆布を粉末にしたものに五島の塩をふりかけてあつあつのご飯を食べる。ううん。いい日曜日。

午後は手帖の整理。今年もあと4週間。

12月12日は網津小学校。

翌13日は天草。

19日は東京。

20日、21日の両日は鹿児島。

今年もたくさん学んだ。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

創立記念ミサ

12月5日。8日の創立記念日に先立って90周年記念ミサに与った。

僕はここに居て、お恵みをいただいていることを当たり前に感じてはいけないと祈った。

小さな灯りが大きな光や熱になる。僕のこの小さなはたらきがみむねに役立つのならと手をあわせた。

感謝のうちに。

帰りは長崎の平和を巡り、ニッキー・アースティンでお昼ご飯。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

きたろうに来たろう

とってもすてきな授業だったのでなにか美味しいものを食べたくなった。

「美味しいところ知ってる?」「きたろうのBセットです」

きまり!

ホテルの部屋で

昼は3人でゆっくりと食事。めあての店の開店時間が遅かったのでちがう店で瓶クラシック。

海岸べりの魚やに寄って夜の肴さがし。

カワハギを買って、奴の家に戻り、包丁をにぎった。肝につけるポン酢にお葱。かに身と和えるかに味噌。そして小腹が減ったらと小さなカップ鴨そば。

気が利きすぎているのか、楽しんでいるのか、とにかく今夜ひとりで飯を食う僕を気づかう奴は父のようだ。

準備はととのった。鞄に入れてきたDVDを見ながら北海道の夜を楽しむ。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。奴と会わせてくださったありがとうございます。

生中継

2025年11月28日

12時50分。研究主任の山口プレゼン、かんぺき!そのプレゼンデータ、ほしい!

13時35分。2年生教室、6年生教室、歴史的と言ってもいいほどの授業が繰り広げられている。

15時00分。学校教育指導班主査の指導助言。

15時10分。さあ出番!

ともだち

果てしなく広がる夢と自由とがほしかった♪

空港でつぶ貝のお蕎麦に男山を一杯。

吉田拓郎さんの歌「ともだち」をしみじみと感じる夜。僕は北海道で美味い肴で一人の男と飲んでいる。

この男、語れば語るほど惚れてしまう。聞き入ってしまう。のめり込んでしまう。この男、学生のときと変わらない強さと滑稽な発想をもっている。この男、相手に自分と出会えてよかったと思わせる。面倒くさい奴。気になる奴。放っておけない奴。ずっと居たくなる奴。

よく飲んだ。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

東京、日帰り

何年ぶりだろう。広尾を歩いた。以前、友人が住んでいたこともあったのでだいたいの方角は分かる。何10億円するのかわからないような大きな家の前で遊ぶ子どもも長崎の漁村に戯れる子どもも笑顔の愛らしさは変わらない。

さて、14時半からが僕の出番。

子どもの行為が実現する学び性を伝えるのがきょうの僕の仕事。

庭の赤い木の実を集めるのも、玄関で家族の靴を並べるのも、川原で足を積み上げるのも、行為の造形の学び。

何気ない日常を日記にしたり、家族とのやりとりを切り取って短い作文にしたり、教室の風景を物語に仕立てたりするのも行為の言葉の学び。

欲張ってしまうのは僕の悪いくせ。そんなの分かってる。

ただ、僕はとにかく一生懸命に伝えたかった。子どもは一生懸命に伸びたがっていることを。子どもはできるようになりたがっていることを。いちばん近くにいる大人がこのことを信じなきゃ。

帰り道。街はすでにクリスマス。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

さあ、いくよ

空から空港を見る。いつもの風景、さあ、旅立ち。

本当なら鉄道の旅が好きなんだけれど、ここ数年は飛行機ばかり。忙しいという漢字の通り、心亡くす時間の中で、僕がなくしたものは鉄道の旅の移動の軋みと余計な道草と地元の人との出会いかもしれない。

だけど、旅は旅。

僕の人生は旅。

こひつじの会

誕生、この素晴らしい出来事。

とにかく、日常の国語教室を語り合った3時間。授業づくりのアイディア、言語活動を深めるための発想がどんどんと出てくる3時間。こんなぜいたくな時間にとびっきりのおやつも登場。

とってもあたたかな土曜日の午前。

帰りは鴨うどん。

鳥栖は仲間の町

鳥栖って、どうしてこんなに元気なんだろう。

僕は、ここに来ると元気になる。昭和の歌謡曲を聴きながら夢を語る気分。

昼ご飯は中央軒。

朝ごはんももちろん中央軒。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

月曜日がいい気分

月曜日の4コマがいい気分。

90分×4コマ、座ることなく授業をするのはもちろん大変なこと。だけど、そんなことも感じないくらいいい気分。

月曜日の帰り道は少し大きめの音量で、Let it be。

コンサートがつらい

正直に言うと、今夜のコンサートのチケットを買っておいた。16時会場、17時開演のコンサートだ。

こんな田舎町に住んでいると文化レベルを下げないためには工夫が必要だ。毎月、東京や大阪に行くことはもちろんだけど、長崎に来るアーティストはできるだけ迎え入れるようにしている。

今年は今夜のコンサートと8月6日の稲佐山ライブのチケットを買ったけれど、結局、稲佐山には行かなかった。

そして、きょう。

やっぱり行きたくなくなった。どうしても行きたくない。

ということで、友だちにチケットをもらってもらった。無駄になった22,000円がどうのこうのよりも、コンサートに行かなくてよくなったことで、胸につっかえていたものがなくなった。

だったら、はじめから買わなきゃわいいのにと、妻は言う。

だけど、文化的刺激を忘れたくないからと僕は言う。

歌詞の上手さはずば抜けている。だけどMC長過ぎ。

バイオリンの音は心地いい。だけどギターの持ち方がちょっと…。

ということで、そろそろ開演のはず。それよりも僕は九州場所中日八日目、平戸海の一番が気になっている。

神さま、きょうもいつくしみをありがございます。

日曜日は文具の手入れ

日曜日の朝は文具の手入れ。きょうはモンブランのル・グラン。

みがくほどに思い出がこぼれてくる。

そういえば、このスマートフォンもそろそろ買い換えなくちゃ。

梅田からナンバまで

研究会が終わったからナンバで飲んだ。最高の仲間との7時間半に僕は少し若くなったみたい。

学生の頃に所属していた画展を少しのぞいた。先輩に会えたらいいなあと、画廊の階段を上りきったところにその先輩。

しばし、油彩談義。やっぱり、このテレピンの匂いが僕には似合っているのかもしれない。

と懐かしみつつ、気分はナンバ。

この横断歩道を歩く速さ、まだまだ若い連中に負けるつもりはない。

豚足、

生姜の天ぷら、

僕たちはいつも元気。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

授業

今日は大阪府小学校国語科教育研究発表大会。仲間が何人も授業をする。どの教室にも行きたいんだけれど、役割があるので一つの教室、一つの授業、一つの分科会に参加した。といっても、そこは体育館。

100人を超える参会者の中、授業者と子どもが創った45分は圧巻だった。

指導事項(カ)、共有。

こんな学びを見たことがない。

僕にはこのような授業をする力量はない。同じ時間、同じ空間に居られたことにとにかく感謝だ。

モレスキンのノートに書き込んだ授業録は僕のたからものになった。書き込んだ授業の価値の分析は僕の学びの足跡である。書き込んだ子どもの姿は今にも動き出しそうだ。

逢澤望教諭。この教師、僕のライバルである。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

京都の秋

やっぱり、秋になると京都に行きたくなる。紅葉を見たいわけじゃなく、お寺に行きたいわけでもない。

ただ、生まれて育った町で息をすうっと吸い込みたいだけ。

うだる暑さと痛い冷たさの間のわずかな隙間のような京都の秋は鴨川あたりを歩くだけで大人に品格を染み込ませてくれる。

みたらし団子を買って橋のたもとから水面を眺める。

京都、この静かな風情。

誰も知らない京都の愉しみかたを僕は知っている。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

うとうと

さあ、今夕はうとうと対決。

義ノ富士か正代か!

ここがいちばん

僕のいちばんラーメンはここ。

休みのお昼は普通の「ラーメン」。飲みすぎた帰り道は「麺なしラーメン」。妻は「お子さまラーメン」。

なんでもやってくれるこのお店。僕のいちばん。

セキトマラーン

困ったことにセキトマラーン。

いろいろなことがたくさん押し寄せてくる毎日の中、心おどる話もぽつぽつ。

出版社の社長さんと話をしてきた。

「きまり!」ひつじを巡る冒険、第2幕!

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

せき、とまれ!

ちょっとしたわけがあって、一昨日から咳が止まらない。

こんなときは、これがいちばん!

9月の富山への旅で手に入れたすぐれもの。「セキトマル」。

これで「ゲンキニナル」はず。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

We are The Champion !

最高の研究大会だった。

集大成だった。

尊い軌跡だった。

そしてこれは、誇り高い始まりでもある。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

シン読解力 vs 手書き読解力

結論から言おう。『シン読解力』(新井紀子2025)を読むべきだ。ただし、きちんと読まなきゃいけない。読んだ気になってはいけない。ちゃんと読むと、今やっていることが間違っていないと分かる。

結論の次を言おう。僕は『シン読解力』を教室のことばをつかって、教室の事実と重ねて語る自信がある。それを語るのも仕事のような気がしている。

いい時間だった。これまでも何度も教育フォーラムでしゃべってきたけれど、どのフォーラムよりも質が高く、満足のいくものだった。僕はかなり熱くなった。

この熱さをほどよく冷ますにはパイナップル。

この熱さを気持ちよく記憶の本棚に並べておくには東京駅。

東京、いい町だ。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

鹿児島滞在4時間半

8時30分鹿児島発。16時50分鹿児島発。

車の中の移動時間と空港での待ち時間を除けば本当に4時間半の滞在時間。

だけどその間の研究会の密度の濃さは半端じゃない。この素晴らしい「南風の会」!

ついつい饒舌の自分に恥ずかしくなるくらい。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

阪急ホテル

1970年「人類の進歩と調和」をテーマに開催された大阪万博を機に開業したこのホテル。近く閉業するとの報せを聞き、もう一度か二度は泊まっておきたいと思っていた。

そしてきょう。

滞在時間5時間弱だったけれど老舗ホテルを楽しんできた。

フロントで受け取るキーがいい。何人もの旅人がこれを握りながら絨毯敷きの廊下を歩き部屋に向かったんだろうな。

重たい扉を開けて部屋に入る瞬間がいい。安っぽいホテルにはない安心感がある。調度品の輝きがいい。ほこりひとつない棚に行儀よく並んでいるグラスや栓抜きがいい。

結局、仮眠程度の眠りとバスタブに身体を沈めただけだったけれど、何とも言えない安らぎをもらった。

チェックアウト。振り返った玄関はやっぱり貫禄がある。いいホテルとはこういうものだ。

空には細い朝のお月さん。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

梅田から難波まで

時間があったので難波をうろうろした。

平日の昼間とは思えないほどの活気。焼き鳥屋もお寿司屋さんも串カツ屋もお蕎麦屋も10分ずつだけでも入りたくなる。

この秋、「梅田から難波まで」歩く会をやることにした。誰かつきあってくれんかなあ。

その次は、「北山から京都駅まで」歩く会。絶賛予約受付中です。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。