何気ない生活のこと,故郷,京都のこと,旅のこと。学級担任をしていた頃のできごと。
ことばを綴るのは上手くないけど,そのときのやさしいことばで日常を残しておきたいっていつも思っています。先日,ずいぶん前のノートや文集をひっくり返して,残っているものを探してみました。
「路地裏の月」。達富洋二の作文のページです。
何気ない生活のこと,故郷,京都のこと,旅のこと。学級担任をしていた頃のできごと。
ことばを綴るのは上手くないけど,そのときのやさしいことばで日常を残しておきたいっていつも思っています。先日,ずいぶん前のノートや文集をひっくり返して,残っているものを探してみました。
「路地裏の月」。達富洋二の作文のページです。
長崎佐世保の四ケ町商店街。アーケードから少し折れたところに小さなラーメン屋がある。屋号は大阪屋。西海だの九十九島だのと地元の名勝地をあげれば観光客も入るだろうに。◆主人は大阪から出て来たのか。大阪で修行してきたのか。無責任な想像をしながら入った店には地元のことばが溢れている。◆とりあえずビールと餃子を注文する僕も無粋。観光客らしく皿うどんかちゃんぽんを注文するべきだったと思いながら二本目を注文。それにしても皿うどんを食べてる人がいない。品書きにはちゃんぽんがあるのにそのにおいさえしない。さては長崎人は食い飽きたか。◆店の外から子どもの佐世保弁が聞こえる。[やかさおお]の暖簾ごしに日本の西の端に沈む夕日が見える。「ちゃんぽんはありますか。」「おいよ。」という大将のあたりまえの声に少し安心しながらコップを空けた。「うまかよ。」と運ばれたちゃんぽんはガツンとした本場の味。間違いなく大阪屋のちゃんぽんだ。
やさしく笑うなんてことしていない。いつからだろう。そんな大人になったのは。子どものよう笑った最後っていつだろう。ほとばしる感受性をめいっぱいに咲かせたいのに。風に吹かれたいのに。いつからだろう月と語るようになったのは。◆罪深いことをしたかもしれない。それなりの報いも受けた。僕の生きてきた道なんてほめられたものじゃない。だけどそんなに引きずりたくもない。小さくて貧しい生き方だった。そんな僕だってお月さんはいつも見てくれている。月はみんなのものだ。◆そういえば二日前。照らされていないところまでも薄く輝かせながら月が浮いていた。せがれは頑張っているなあと言った。妻は恥ずかしそうだと笑った。僕は見てはいけなかったかなあと山の背に目を伏せた。◆そんなものだ。誰が見ても月は月。だけど月はいつも同じ景色ではない。立ち待ちの月は元気だ。居待ちの月はおとなしい。伏し待ちは凛と光っている。朝帰りの月は父の顔をしている。◆ねえお月さん。もうしばらく聞いていておくれ。
もっといい奴なはずなんだけど上手く自分を出せない。不機嫌な顔なんてしたくない。とげのある言い方だって本心じゃない。◆そんな言い方しなくてもいいのにって思われていることを知っている。「何か怒っているの」って気をつかわせていることも分かっている。「そんなことないよ」って僕のことばは宙に浮いている。ただ自分の中の何かに引っかかっているだけなんだ。◆いい香りのハーブティーだって、日曜日に買った新しいTシャツだって。もっとはしゃいで楽しみたいのに「別に」って素っ気なくしているのはこのゆがんだ心のせい。君が髪型を変えたことももっとステキな話題にできたのに。むずかしい顔をして割り箸の袋を何度も折ったり結んだりしている。◆明日になれば素直になれるはずって思いながらもう四日。「遅くなるよ」以外の電話もしたいのにそんなときは電源ひとつだし。◆ねえ僕たちもうどのくらいかなあ。ねえ日曜日に一緒につかうシャンプーを買いに行こうよ。僕が自転車こぐから。
電車の中のドリカムが心地いい。大阪を歩きながら聞くのがいい。◆「えっ。」って聞き返したくなる歌詞がある。だけど止めて聞き返すのはもったいない。このフレーズは最後まで通したい。◆「僕の昨日を知っているの。」って恥ずかしくなる歌詞がある。つまらない意地を張り通すことの格好悪さを歌っている。◆「そんなことしてみたかったんだ。」って懐かしい歌詞が聞こえる。若いって美しかったんだ。◆ことばって不思議。僕じゃない人が僕を歌っている。僕の心のかたちよりもステキなメロディーにのせて聞こえてくる。もう一人の僕がここから出ていく。僕のこと振り返りながら風と駆けていく。◆僕のボリュームが大きいから向かいの席のふたりの声は聞こえない。でも僕のiPodからはこんなこと語ってるのかなって二人のフレーズが聞こえる。ドリカムってあまりにも普通。あまりにも今。あまりにも正直。だから僕は今日もドリカムで大阪を歩いてる。
はらこわっぱめしを下げて「こまち」に乗り込んだ。新幹線は青いものだと思っていたのにこいつは桃色だ。東北美人だ。発車までのしばしの時間。◆鮭の親と子。鮭の身とイクラを醤油で漬け込んだものを炊き立ての秋田小町の上にばらまいた弁当。へぎの蓋をあける。いぶりがっこのにおいが車内に漂う。いぶりがっこと。駅までのタクシーの中で聞いた話ではいろり火で燻した焚き木干したくあんのこと。秋大根を天井に吊り下げて薫製にする。楢や桜の煙が大根をきつね色にするという。水分がなくなりすっかりと煙がしみこんだ大根を米糠で漬け込むらしい。◆舞茸を浅く焼いたもの。菊を薄く漬けたもの。金時芋をじっくり煮たもの。どれもがひとつずつ美味しい。全部がひとつとなって秋田を作る。◆後ろ向きに動く新幹線の中で舌鼓。夕べ酒屋でもらった山廃「雪の茅舎」小瓶をちびりとやりながら。秋田がゆっくりと遠くなる。秋田路が僕をゆったりつれて動く。
雲の切れ間から降りてくる太陽のすじに離陸したばかりの飛行機が重なる。思ったほどに翼は輝かなかったけれど機内のお客は眩しいだろうな。そんなことを心配しながら僕は宮崎行きを待ちながら展望デッキで二杯目の生ビールを飲んでいる。◆隣は老夫婦。爺さんは遠くから降りてくる飛行機の機種を次から次へと説明している。婆さんはそうだとか違うとかうなずいている。B747-400だのDHC-8-400だのと詳しい。見たこともないデザインにも詳しい。飛行機乗りだったのかもしれない。空の上の出会いで結ばれた二人かもしれない。◆僕が三杯目を持って座りかけたときお騒がせしましたと二人が席を立った。そろそろ息子が着きますのでと。◆お父さん。来ましたよ。あの光った雲のところから降りてくる飛行機が東京からの便ですよ。うんうん。◆息子が到着ロビーに来るまでにはまだ時間があるだろうに二人はゆっくり消えていく。宮崎行き搭乗を急かすアナウンスに僕もビールを飲み干した。
山吹の咲く川に大きな鯉が泳いでいる。この体格なんだから夜でも見えそうなものなのにあの夜は何も見えなかった。目の前のことばさえ見えなかったんだから水の中が見えるはずはない。人もことばも心も神田川の水の音も分からなかった。◆大蒜の芽を炒めた皿を注文したときはまだ最後の授業が終わっていなかったと思う。それから都電荒川線の最終が行ってしまうまでにどれだけ話し続けただろう。理解できない話は煙草の煙を天井に追いやりビールを何度も運ばせた。◆無理をするような恋愛は恋愛なんかじゃない。愛はもっとも素直なんだ。何もかもが自分らしいものであるはずなんだ。無理をすることは幸せなんかじゃない。◆愛は無理していることに無自覚になることなの。愛は許していることを忘れてしまうことなの。◆静かだけど強いことばが残っている。◆僕はいま面影橋に立ち二十年前の鯉に語っている。「二十歳の恋への憧れは美しすぎたんだ。」と。
小学校からの旅行記は六時間おきに届く。◆真っ青の空、どこまでも広~い海。沖を行きかう多くの船。気温もほど良く、海の水がここちよい。そんな中で地引き網をしている子どもたち。良い所ですね。子どもたちものんびりして笑顔がとろけているとか…天気だけでも幸運なのに、地引き網では黒鯛や真鯛などがとれたのです。みんなで一生けん命力を合わせて網を引き、とれた魚を見たときは最高にうれしかったようです。砂浜で調理してもらって全員一切れずつはさしみでいただいたそうです。思わず「えっ。醤油はあったん?」とつっこみを入れてしまいました。夕食にも自分たちの地引き網魚が出るそうです。日ごろの忙しさからから解放されのんびりしている子どもたち。この後は入浴、夕食、買い物、夜のおしゃべりです。友情を深めてかえってくることでしょう。では、保護者の皆様また明日。◆読み終えて「はいまた明日。」と答えた保護者もまた笑顔だったに違いない。
次男が修学旅行に持っていったものと同じメニューの弁当を食べている時にメール着信の音。こんな時間に仕事のメールかとうんざりしてチェック。ちょっとうれしくなる送信者は小学校。◆東山動物園に着きました。東山の名の通り斜面や坂もあって風光明媚なところです。植物園も併設しているので広々としています。かわいい幼稚園生がたくさん来ているので「ぼのぼの」した気分になったそうです。動物をながめてしぐさがおもしろいと意っては笑ったり、しゃべったり、目も口も足も忙しいそうです。待ちに待ったお弁当。さわやかな広場で食べるのはおいしいことでしょう。心のこもった好物の入ったお弁当さぞかしうれしいことでしょう。◆そういえば一緒に動物園に行ったのはずいぶん前だ。ラクダが好きなあいつはさぞかしはしゃいでいることだろう。帰ってきたら長い自慢話を聞かなきゃ行けないなと想像しながら僕は京都でたこさんの赤いウインナーをつまんでいる。
今朝から次男の修学旅行だ。何日も前からリュックの荷物を出したり入れたりと忙しい。やっとの思いで迎えた今朝。雨傘と「行ってきます」。出発式の挨拶のカンペは忘れていったが元気でやっているようだ。今の時代。行く先々の様子は教頭先生からメールで届けられる。◆おはようございます。今日は快晴。草木も鮮やかな一日です。子どもたちは五七名全員元気で七時五〇分に出発しました。先週、「修学旅行の天気は晴れなのね。」と話していると「この子らはみさきの家も晴れ、五年の社会見学はドン晴れだったよ」と担任。「そういえば入学式から晴れだった」と話の花が咲きました。「あの子らは雨でも自分たちで十分楽しむよ。」との担任の話でみんな納得。今ごろはもう高速道路上、レクレーション係が練りに練ったお楽しみをやっていて、車酔いもふっ飛んでいるのでは。十一時には東山動物園です。◆ラクダの前で食べるというお弁当と同じお弁当をメールを何度も読みながら研究室で食べる。
最近よくぶつかる。確かにふらふらすることはある。古くなった眼鏡のせいにしたこともある。昨夜の酒が過ぎたんだと言い切ったこともある。仕事を一気に片づけた徹夜明けが原因だとうそぶいたこともある。◆もしかしたら何かが僕にぶつかってきているのかもしれない。箪笥や曲がり角が動くわけじゃあるまいしと家族は笑う。動かないものが動かないことぐらいは分かっている。だけど動いているものにぶつかっていくほどふらついているわけではない。◆梅田の地下街を歩いていると急に立ち止まる奴がいる。ウインカーを出せよと言いたくなるくらい急に曲がってくる奴がいる。お父さんの方が無意識に車線変更しているんだよと息子は言う。◆水曜日。薬師寺を歩いた。ぶつかることはなかった。日曜日。錦市場に出かけた。勝手知ったる流れは心地いい。◆気づいているさ。知っている。分かっているんだよ。僕の気持ちのスピードと体とが違いはじめてきたことくらい。
そういえば数日降り続いた雨はいつの間にかやんでいる。目覚まし時計がなり止まないうちにもう子どもは柴犬の「かぐや」を散歩につれていってしまった。静かな朝の始まりだ。◆ウッドテラスの向こうの赤い車に積もった黄砂も数日の雨にすっかり洗い流されたのだろう。久しぶりに光沢を取り戻した車体にはねかえされた朝の日差しが花水木を照らしている。◆今年の春は短かった。駆けていった。馬酔木も白木蓮も山吹も見ていない。桜だっていくつの夜を飾っただろうか。いま咲き誇ったように空を向いている花水木だってこの雨を憎らしく思っているに違いない。もっとながく花を見せたかっただろう。◆花の季節は短いからこそいいのかもしれない。さりげない美しさをそれぞれに届けるにはそれほどの時間はいらないのかもしれない。◆かぐやが桃色の花弁をくわえながら帰ってきた。春先の雨上がりにあったひとつの美しさを彼女も残しておきたいのかもしれない。
日曜日の午後。卒業生からメールが届いた。◆海の向こうのミサイルは無事通り過ぎてくれました。本当に日本中が慌てている様子が伝わってきました。戦争が始まる時というのは今日みたいな状況で「なんだかんだ言ってても大丈夫なんやろ。」と思っている時に始まるのかなと平和ぼけした頭で考えられる精一杯の恐怖を感じていました。昼からは私の実家に二人で行って結婚について少し話をしてきます。◆メールが届いたとき僕は家族でそばを食べていた。前の日に越前で買ってきた自慢のそばだ。湯気ごと食べる。新しい七味の香りに鼻水が出る。それを見た家族が笑う。◆そんなものだ。連日の新聞紙の内容よりも目の前のそばで笑い合うのが家族の日曜日だ。結婚を申し込みに行く若者がいる。川原で焼き肉に楽しむ大学生がいる。テレビのニュースにかじりつくことだけが平和を愛することではない。この瞬間のささやかな幸せに感じ入ることが平和なのかもしれない。
スワンの階段を下りた右側の手前の壁にもたれてコーヒーを飲みます。いいものですよ。田園のコーヒーもいいですよ。さっきの角を左に曲がればすぐです。達富さんにも飲ませたい。◆しかし木村屋がなくなったのが残念です。あそこはよかった。本当に残念です。何時間でも何日でも座っていられる場所がなくなってしまいました。◆二年後の六月四日。清原先生はこっそりと旅立たれた。ほんとうにひっそりと。天王寺のコーヒー屋の味を絶妙で平易平明な言葉で表すすべを教えてくださらないままひっそりと逝ってしまわれた。
この歩道橋のこの場所が好きなんですよ。通天閣がこちらを見ていますから。(毎日見たはるんですか。)ええ見ています。雨の日はいいですよ。通天閣はぬれても平気ですから。(そんなに見ていたら通天閣が恥ずかしがりませんか。)いやあ立派なものですよ通天閣は。(通天閣が油断をする時もあるでしょう。)いっこうに動きません。◆あの町が好きなんですよ。昔は芝居小屋と映画館でにぎわっていました。ラジウム温泉もありました。今ねらっているアパートがあるんです。何とかそこに住みたいと思っているのですがちょっとの差で先に決めた人がいるんです。(ほかにもありませんか。よく似た物件が。)もう少し待ってみますよ。明日電話してみてもいいですね。そのアパートの名前が生まれた土地の名前なんですよ。土地の名前に「荘」をつけただけなんです。◆以前は阿倍野筋よりも西に住んでいたんです。揺れるすすきの横にあるアパートでした。二年間です。それからは東に住むようになりました。そろそろ西側に住みたくなりました。生まれたところに戻るというか一緒になるというのか。◆通天閣が力をもっているのではありませんよ。新世界が力強いのです。新世界がぐっと魅力なのです。みんなで作り上げている町なんです。ただそれだけなんです。わたしはみんなの中で生きていたいのでしょう。◆西と東とを四角につなぐ天王寺駅前の歩道橋の上。八十一歳の友人が通天閣と語っている。僕はその横でうんうんとうなずいている。◆清原久元先生は今はもう居ない。二年後の六月四日。清原先生は通天閣よりもずっと高いところにいってしまった。
天王寺のステーションビルから近鉄に続く歩道橋があります。交差点の上を四角くつなぐ歩道橋です。その歩道橋から近鉄に入るところに花屋があります。静かに花を売っている店です。その横にガラス戸がありますからそこで待ち合わせましょう。早く着けばガラス戸から花屋を見ているといいです。わたしもよく手摺りに体をあずけて花屋を見ているのです。では夕方の六時に花屋の横で待ち合わせをしましょう。さようなら。◆僕の友人の中でいちばん年の離れた彼との電話を切った。約束は木曜日。あと五日。年上の友人はどんなかっこうで現れるかと想像を繰り返した週末。四角につなぐ歩道橋から入っていくことのできる百貨店の花屋。もう何度も頭の中で繰り返した月曜日。体調を崩してはいないか心配になった火曜日。電話をすると会えない気がした水曜日。◆僕は五時に花屋の横に立った。ガラス戸から見える花屋は間違いなく静かだ。何人もの人が通り過ぎる。いくつもの声が夏の花を揺らす。幾重もの足音が歩道橋を揺らす。◆清原久元先生はずっと前から歩道橋の向こうから花屋をのぞいている僕を見ていたらしい。「達富さんの花屋ののぞき方があまりにいいのでここに来るのが遅くなりました」と清原久本先生が現れたのは五時四五分だった。それから僕たちは天王寺駅ビルの天ぷら屋に行ったけど清原先生は天ぷらの入っていない天ぷらうどんを音を立てて食べていた。
雨の午後に銭湯に行った。中二のせがれは道後温泉の赤いタオルを首に巻いている。小五は長崎くんちの手ぬぐいを振り回している。◆ああっ。熱めの深い湯ぶね。伸ばした脚が白いのは天窓からの昼の光のせい。◆泡の出る湯ぶねに中二が身をまかせている。期末試験のことも今は忘れている。◆小五は並んでいる鏡の広告の見比べている。「お父さん。あの鏡のところで洗おう。」何が気に入ったのか空色のマークのタクシー会社の広告を指さしている。◆こっちのは英語ばかりでよく分からん。あれはごちゃごちゃしすぎ。この黒と白だけのは銭湯には合ってない。タクシーの前に座ってシャンプーをはじめた。◆それならと中二はふたつ隣の自分の名前の漢字のひとつが書かれた居酒屋の前に座る。「なんか自分専用の場所みたい。」◆じゃあお父さんも洗おうと二人の間は薬局の文字。飲み過ぎだの食べ過ぎだの生活習慣だの。風呂上がりのビールの味も変わってしまいそうだ。
研究室を訪ねてくれた三期生の奥村さんのJR新快速の中からメール。◆帰って、母に達富先生の名刺を見せようと、かばんの中を探すのですが、名刺が見当たりません。失礼なことで申し訳ありませんが、研究室に忘れているかもしれません。母にはどうやって伝えようかと思います。もう一度家に着いたら、よく探してみます。◆確かに研究室の机の上に先ほどの名刺がある。「大丈夫大丈夫」と返信した。するとすぐに返信。◆その名刺を忘れた話も、達富先生と話したことも、父と母の二人がにこにこ聞いてくれました。先生に「JRでは紙袋を膝の上に置きなさい」と言ってくださったことに「さすが担任の先生やねぇ」と母が言っていました。ありがとうございました。おやすみなさい。◆いくつになっても担任気取りはよくない。けれどいつまでも担任でありたい。ずっと学生ではないことは知っているけれどいつまでも教え子であることは間違いない。
「家族の方ですか。親族の方ですか。」スタッフステーションでそう問われた。「いえ友人です。」とこたえた。「お友だちですね。案内します。」僕はもうそれだけで満足だった。この病院がとてもやさしいものに感じた。友を独りぼっちにさせていることのやりきれなさが少し薄らいだ。◆薄いピンクのカーペットまでもがあたたかな空気を作っている。この上を行ったり来たりしているドクターも知った人のような気がする。ふるさとの駅に立ったときの感じに似ていると思った時に四二三号室にたどり着いた。◆帰り道。タクシーの運転手が聞いた。「お見舞いですか。」「ええ。」友のやせたこけた顔が頭から離れず簡単にやりすごした。「お帰りのお客様はふつうは岸和田駅へお供するのですが府中ですか。どちらまでですか。」「京都からなんです。」「いいお友だちなんですね。」そうだ。そうなんだ。いい友なんだ。僕がいい友だちではなく友がぼくのいい友だちなんだ。
友が病にある。あの高笑いは以前ほどに響かない。会議中に配られた三角のサンドイッチを食べきることができない。「半分食べてくれるか」の声がかすれている。店ごと飲もう。飲み倒そうと声を上げていたのはそんなに昔じゃないのに。◆再発。病院に向かう。部屋に入る。僕が声をかける前に「元気にしてんのん?」のことば。水しか飲めなくなったのに人を気遣うのは忘れない。一緒にお茶でも飲もうと言ったって冷蔵庫まで手が届かないじゃない。ゆるめられたペットボトルのふたをふうと開ける。口に含みきれなかった水が顎まで濡らしているに拭こうとさえしない。◆寝間着の袖口が大きく開いているのは手首さえもが痩せたから。数年前にショットバーの階段から転げ落ちた時にできた二の腕の傷まで小さくなったように見える。◆帰り際に見せてくれた丸いめがねの向こうのキラリとしたいたずら小僧の笑みを僕は忘れない。忘れられない。
十年前。あんまり夕日が赤いので二上山のふもとを歩いてみた。◆當麻寺の造り酒屋の脇を通り、なだらかな坂道をゆったり歩く。どんぐりのいっぱい入った上着を着た息子がぼくの手からするりとかけだした。踊るように跳ねるたびにどんぐりが飛び出して転がっていく。電信柱を二本分走ってはこちらを見ながら待っている。両手を振っている影法師に届きそうと思えば、またかけていく。◆近鉄線の踏切がカンカンと鳴る。電車窓から漏れる白い明かりを線のように残して六輌の箱が西の空に消えていく。ため池の鮒がポチャンと音を立て、背びれの形を映しながら沈んでいく。二上山の赤が水面で三角に揺れる。かさかさの小さな両手で僕の髪をつかみながら肩車の上で息子が空を見ている。◆あんまり夕日が赤いので僕らはひとつになって、いつまでもいつまでも山を見ていた。
新美南吉が生まれた大正二年七月三〇日は奇しくも歌人伊藤左千夫がこの世を去った日である。生命が絶えないものであるとするなら南吉は左千夫の生まれ変わりとでも言えよう。◆左千夫の代表作「野菊の墓」は十五歳の少年政夫と民子との淡い恋の物語である。作品は「民子は余儀なき結婚をして遂に世を去り、僕は余儀なき結婚をして長らえている。民子は僕の写真と僕の手紙とを胸を離さずに持って居よう。幽明遙けく隔つとも僕の心は一日も民子の上を去らぬ。」で終わっている。◆時に「我がヴィナス」と呼び、時に「M子」と呼んだ一人の女性が頻繁に登場する日記は南吉が中学校三年生から四年生にかけて綴られた。南吉十五歳の頃のことである。◆少年の恋などどこにでも転がっているものだ。あの熱いほこりっぽい川沿いの道を歩くまではそう思っていた。◆新幹線の窓から山が見える。夏の夕景は伊吹山までの山々の重なりを規則正しいリズムの紺色の濃淡に作り上げている。僕は時間にとけ込みそうな恋をのぞいてしまったのかもしれない。
僕のことを知らない人が僕のことを語っている。そんなのいやだ。僕は僕なりに生きているんだから。◆僕のことを知らない人が僕はこんな奴だと決めつける。そんなのいやだ。僕は今日まで僕なりに生きてきたんだから。◆そんな思いでこぶしを握りしめていた学生時代。唇をかみしめていたあの昼下がり。受話器に向かって叫んでいた雨の夜。僕は間違いなく若さの中にいた。◆あれから二十年。僕は河原町の焼鳥屋で思い出を懐かしんでる。若さを肴に二杯目のビールの泡を飲み干している。あの頃より年はとった。◆白いシャツ。裸足。帰りのバス。深夜の吉野家。自動販売機。自転車。スポーツタオル。若いってやさしい。若いって激しい。若いって危うい。だけど若すぎるって美しい。◆僕のことを知らない人が前にいる。僕に語りかけてくる。お前は何歳だと聞いてくる。僕は一度つばを飲み込んでにっこり言ってやる。あなたよりは若くて元気ですよって。
木の葉の間から高い窓が見えて、その窓の隅からケーベル先生の頭が見えた。傍らから濃い藍色の烟が立った。先生は煙草を呑んでいるなと余は阿倍君に云った。/この前此処を通ったのは何時だったか忘れてしまったが、今日見ると僅かの間にもう大分様子が違っている。甲武線の崖上は角並新しい立派な家に建て易えられて、何れも現代的日本の産み出した富の威力と切り放す事の出来ない門構ばかりである。その中に先生の住居だけが過去の記念の如くたった一見古ぼけたなりで残っている。先生はこの燻ぶり返った家の書斎に這入ったなりめったに外へ出た事がない。その書斎は取も直さず先生の頭が見えた木の葉の間の高い所であった。◆夏目の短篇の冒頭。学生の頃。面影橋近くの神田川沿いを歩く。クリーニング屋の脇に山吹が揺れる。傍らに座り短編集を開く。ケーベル先生のゼミに入門した気分になれる。四十を越えた僕。ケーベル先生はまだ僕のゼミの先生だ。
十二時五十分。弁当をひろげる。窓の向こうの比叡山はどっしりと座っている。熱い湯と一保堂の番茶。部屋は一瞬で昼になる。◆ゆっくり食べるわけではない。十五分で食べ終える。◆遠くの信号が音を響かせその中をバイクが過ぎていく。ぷいとはき出した梅干しのたねがカラリと音を立て弁当箱のふたに転がった。電線が上下に揺れその乗っかっている雀は波にまかせているようだ。◆本でも読みながら食べようかと本棚から取り出した分厚い書物は先ほどと同じ場所。食べ始める前に放りだした万年筆はすっかりペン先が乾いてしまっている。◆十五分間の昼食。同じ空の下。同じ時間帯。中学校の教室で息子が同じおかずを食べている。十五分で同じように箸を動かし同じ順番で食べている。◆「きょうの卵焼きは美味かったな。」一時五分。湯飲みを持ち椅子を回転させる。比叡山はずっと座っている。きっと息子の弁当箱でも梅干しのたねがカラリと音を立てているに違いない。
昼間の近鉄電車に一匹のチョウが乗ってきた。小倉駅で扉から乗ってきた。携帯電話の中吊り広告に数回当たったとき扉が閉まった。◆電車はやがて地下に潜る。車内は昼間の世界に闇を作る。普段ならだんだんと夕闇ができあがるはずのチョウの周りは一瞬で黄昏れた。◆はす向かいに座っている子どもが母親にチョウのことを教える。母親はその向こうの宝くじのチラシを読んでいる。その視線の前をチョウがよぎっても女の眼はチョウを追いかけない。◆子どもは席を立ち背伸びをしようとする。母親が右手で動くことを制する。「チョウがいるし」とだけつぶやいて子どもが座った。◆子どもは四条駅で一緒に降りようとチョウに手招きをする。母親がもっと強く子どもを引っ張って降りていく。◆どこで降りるつもりかは知らないがそこは小倉の駅ではないんだぞ。誰も助けてくれないんだぞ。北大路駅で降りるときあいつはすまして宝くじの「く」の字にとまっていた。
田植えの帰りに蛙を連れてきた。緑が六匹と茶色が二匹。◆帰りの車の中。疲れて寝ている二人の息子がバックミラーに映る。◆その向こうでグワッと声がする。やつは緑か茶色か。◆特別に飼う用意をしていたわけではない。息子たちは相談して川魚とザリガニのいる水槽に八匹を浮かべた。四本の脚をだらりとさせてポンプからの波に身を任せている姿はすでに水槽の住人になりきっている。◆疲れるだろうと下の息子が今年も小枝を一本浮かべた。兄は数本を輪ゴムで束ねて束ねて入れた。風呂上がりに見るとどちらの上にも一列に座っている。◆翌朝。ザリガニの隠れ家の前に白い肉のかたまりが沈んでいた。確かに茶色が一匹しかいない。溺れたのか滑り落ちたのかやられたのか。一匹になった茶色はさほど悲しんでいるようではない。◆夜になってもポンプの規則正しい音がするだけだ。バックミラーの中で跳ねたあの声はもう聞こえない。
どうしても胸が締めつけられる夜がある。今何ができるわけではないのに眠れない。朝になればと言い聞かせながらも不安がやってくる。◆誰にだってそんな夜はあるものさ。自分が小さく見える。あいつはどうだろうと気になる。昨日までの自分が悔やまれる。明日からの自分に自信がない。自分だけが小さく見える。◆一ヶ月後の自分が見えない。一年後の憧れはあるのに明日の自分が見えない。やりたいことはこんなに語れるのに。今が怖い。こんなことならと過去を責めてしまう。◆そんなものさと言い聞かせる。みんな同じだと言い聞かせる。自分だけが小さいわけじゃないと口にする。なのに夜はまだまだ続く。今日が終わっていないのに明日がくる。今日を終えずに日が過ぎる。◆自分に何ができるか問うてみる。何もできないと自分が語ってる。自分は何がしたいか問うてみる。ここに夢があると叫びたい。そんな二〇代。二十代ってそんなもの。君らの小さな叫びを僕は知っている。
土産に生姜をもらった。まだ掘ったばかりのみずみずしいものだ。少し太めの指をくねらせからめたような形をしている。土をつかみながらここまで大きくなったのだろう。◆生姜とはショウガの地下茎のこと。太陽に当たることなく大きくなる。色白でしっかりした繊維がたくましい。太陽の恵みは葉から送られてくるのだろうがこの地下茎を喰っているときに地上に伸び出た葉や茎のことなど想像したことはない。◆子どもの頃は生姜とは紅いものだと思っていた。そんな話をしながらの晩酌。新生姜を細めの短冊に切り塩をふりかける。瞬間の辛さと懐かしいまろみが口に広がる。酔鯨に司牡丹がすすむ。◆この味は単に春野の恵みを凝縮しただけではない。土をおこし水を図る世話がなければできあがるものではない。曲がりくねった十本の指のどの隙間にも土のあとのひとつもない。育て上げた者だけができる愛おしみの仕事だ。暗い土中にあったはずなのに光輝く艶が幾重にもまぶしい。
八幡浜から伊方まで国道が続く。約四〇キロ。大きな風車のふもとに蜜柑の木が続く。右にも左にも海が見える。瀬戸内海と宇和の海の色はまったく違う。◆予約のとき民宿の女将さんは台風だったら電話をしますからお越しにならないでくださいと言って電話を切った。確かに強い風が来れば岬ごと吹き飛ばされそうだ。◆岬の灯台までは車を降りてから小一時間の距離だ。浜木綿の群れがゆれる。その向こうに豊後水道が段々畑のように色を変えて横たわっている。潮が駆け引きをしている下に鯖や鰺の群れが身を引き締めて泳いでいるに違いない。◆セキアジと呼ばれる魚がここではハナアジと呼ばれる。岬鰺と書く。岬の先。つまり鼻のことだ。◆夕膳を賑わわせたのは一尺を超える岬鰺だ。すこし甘めのたまりに切り身をまとめてつけて頬張る。目を閉じて噛む。夕方の風景が見える。逆光の灯台の前で花弁を揺らしている浜木綿の群れが潮の段々にとけ込む。右に左にざざざとゆれる。
関東の友人が停留所のことを「テイリュウジョ」と言った。僕は「テイリュウショ」だと言った。それならなぜ便所を「ベンショ」と言わないのかと問われた。僕は住所は「ジュウショ」だと言ってやった。そこで話題を変えたが違和感を覚えたままなのが気に入らない。◆「所」につく漢字が一字のときは「ショ」と「ジョ」とで差はあまりないようだ。もちろん「難所」のように「ショ」とも「ジョ」とも言うものもある。◆しかし漢字二字以上からなる熟語に結びついた場合は「ショ」と言うことが多い。市役所や事務所などである。しかし研究所のように「ショ」とも「ジョ」とも言うものもあるようだ。では停留所はどうだ。◆調べてみた。NHKの放送用語では「ショ」という発音のみを認める語は十四語。「ジョ」のみは七語。両様を認めるのは五十語ということ。つまりどちらかに振り分けることは困難と言うことだろう。この手のことは違和感を覚える程度にしておくのがいいのかもしれない。
今年の八月六日の午前八時十五分は家族で静かに迎えた。手を合わせている僕の隣にいる十二歳は何を思っているのだろう。◆被爆者の平均年齢が七十三歳を越えたらしい。六十一年前の小学六年生がその平均の七十三歳になっていることになる。◆夏の高校野球の開会式前。多くの選手が集まる控えの場所の中で広島県代表の選手が一列に立って黙祷をしている。広島の選手だけが祈っている。その様子を映しているテレビカメラに他県の選手が微笑んでいる。今は笑う時じゃない。僕の拳に爪が突き刺さる。◆僕に何ができるとも思っていない。だけどこの憤りを沈めることもできない。四十を越えた僕があの場所にいたなら。生き続けられていたなら一〇〇歳を越えている。◆僕がこの世に生を受けたのは戦後二〇年も経たない夏。赤ん坊の僕には戦後の傷みがしみこんでいたかもしれない。僕は戦争を知らない子どもではないかもしれない。
野球が好きだ。いてもたってもいられない。普段は見ないテレビも夏休みは僕の独占になる。朝から高校野球。夜はスポーツニュースに熱闘甲子園。どうしてもの外出には携帯のラジオ。仕事の途中はasahi.comでチェック。◆ひいきのチームがあるわけではない。どのチームも勝ってほしい。最高の夏を見たいだけだ。この一球がどれだけ尊いものか。一球を追ったものだけが分かる。◆開幕まで一週間を切った。連載される新聞を見てはまだ見ぬ地方の学校に思いをはせる。最近は地方紙の様子をコンピュータで見ることができる。選手の親や恩師の声がそこにある。どれを見ても胸が熱くなる。◆それぞれの郷土をもって来る。風土があふれる。郷里のためにもと応援に力が入る。しかしプレーをするのは一人一人だ。チームの力だ。彼らの努力だ。彼らの力だ。だから熱くなる。だから見守りたい。◆野球が好きだ。彼らの息を感じたい。このときだけは扇風機をとめて麦茶で応援だ。一日で声がかれる。
京都の夏。なすびが美味い。豆腐が美味い。鰹節が美味い。鱧が美味い。錦の市場が輝くように僕を誘う。日曜日。家内と二往復した。◆賀茂なすはずしりと重いめのが好きだ。へたをめくったときに見える黄緑と濃い紫との差がうまさを見分けるこつだと小学生の頃にじいさんに教えてもらった。◆豆腐が水の中を泳いでいる。真っ赤な掌で逃げる豆腐をつかまえる。ゆうらり浮き上がってくる豆腐からしたたり落ちる水。この滴が少ない方が美味い。大丸の帰りに道にじいさんが自慢気に言っていた。◆朝一番の海の匂いがする。鰹を削ったときにこの匂いがするものはだしにしても美味い。くくくと鼻に引っかかる。菜っぱと炊いたんが好きだったじいさんのことばだ。◆鱧は身が立つものに限る。とんと身をたたいたときに跳ね返る強さがほしい。指でつまんだときに押し返してくる強さがほしい。じいさんから習ったことを今僕は家内にしゃべっている。とにかく夏の京都は美味い。
蝉の声が聞こえなくなる時がある。その木に何匹もとまっていることは知っている。さっきまではやかましいくらいに鳴いていた。今はそれが聞こえない。◆それは鳴くのをやめてしまったから聞こえなくなったのか。僕が聞き分けられなくなったのか。とにかく蝉の声が聞こえなくなっている。◆家のそばに用水路が流れている。日照りが続かない限りは山からの流れは絶えない。しかしその流れが聞こえないことがある。雨戸越しにでも聞こえるほどの音が聞こえない。蛙が流れていくのも見えているのに。◆待合室へ向かう無機質な女性の靴の音。誰に怒鳴っているのかタクシーのクラクション。温度調整の壊れた冷房のブーンという音。いつまで経っても聞こえなくならない。僕はその音に神経をやられている。◆ふと一息。窓から見える日焼けした少年たちの笑い声。いつからそこにいたのだろう。こんな声こそいつまでも聞いていたいのに。遠くの信号の声にため息。
ちびと風呂に入る。しぼった手ぬぐいを頭の上にのせてやる。赤い顔がますますほてってくる。次は手ぬぐいを冷たい水で浸して頭にのせてやる。◆友だちの名前を教えてくれる。はやりの遊びの説明はなかなかうまい。席替えをしたばかりの教室の座席は風呂のタイルに書いて覚えさせられる。◆「お父さんの子どもの頃はどうやった。」これが口癖だ。「そのころは天神さんにもたくさんカマキリがいてな。かまきりはこうやって後ろから手を回してな。」自分が裸であることも忘れて身振り手振りで話してしまう。ちびの頭からは湯気が出ている。◆バスタオルで拭く前に手ぬぐいを絞ぼってを拭かなければならない。お父さんと入るときの約束だ。ううんと言いながらしぼってもまだまだ水が落ちる。しぼっているうちにまた汗が出る。◆風呂上がり。「お父さん、ビールついだげる。」何よりも美味い一杯だ。「明日の日曜日。カマキリつかまえに行こな。」ちびの頭からはまだ湯気が出ている。
『昨日は十数年ぶりに先生にお会いできてとてもうれしかったです。言語を研究している先生にメールを送るのはとても緊張しますね。先生のお話がとても懐かしくて、楽しい時間を過ごせました。ありがとうございました。私にとって、やっぱり先生はいつまでたっても先生なんだなと感じました。美緒』◆先日の大阪での講演会。一時間ほど話したあとの休憩時間に一人の女性が演台のところにやってきた。質問でもあるのかなと思いつつも僕の口から出たことばは「美緒 久しぶり」◆「分かりましたか」「覚えてくれてたんや」「下の名前まで」「妹のことも覚えてる?」◆次々と発せられるかつての教え子のことばに僕はうなずいた。「先生が結婚したときやったやんな」「子どもも大きくなりましたか」あの時のことばと今の丁寧語とが混ざった美緒のことば。◆後半の講義は間違いなく小学校四年生の達富先生の授業になってしまったことだろう。
火曜日のことです。二年生の教室に入りました。週に一回の作文の授業です。「先生 背 高なったな」突然のことばに戸惑いました。◆一人の男の子がさかんに背が高くなったと言います。ですからまわりのみんなもそう言います。「ほんまや ほんまや背伸びてるわ」ということらしいです。◆四〇を超えてしかも一週間でどれだけの背が伸びるのでしょうか。わたしは話を切り上げようとしました。◆その時です。作文用紙を配っているわたしをじっと見上げていた女の子が「先生きょうはゆったりしてんな」としみじみと言いました。◆その日はあまりに暑かったのでポロシャツを着ていました。どうやら普段のワイシャツ姿と雰囲気が違ったようです。◆ゆったりするというのはいい感じです。緊張するのではなくこわばるのでもなく。「こんな感じの洋服もいいですか」とたずねてみました。すかさずその女の子。「でもだらしないのはあかん」。そういうことらしいです。
電信柱が田んぼ沿いの道にずらっと並んでいる。電線が波のように同じ形を繰り返しながら続いていく。その下を用水路が流れている。◆「きいろ」とは安全と書いてある電信柱。「みどり」は通学路とかいてある電信柱。その間に何もしるしのない電信柱が五本ある。◆きいろの下には大きなオイカワが群れで泳いでいる。気づかれないように魚とり網で挟みうちにすれば十匹は取れる。そっとそっと近寄って網を水の中に入れたら一気に走り出す。網を底から浮かさへんように。ぐっと。右手をこないするんや。◆みどりの下は土だまり。夕方ここに来れば亀が陸地で休んでいる。いっぱいいる。田んぼ側からそうっと見て一気に陸地に降りて両手で押さえる。小さいのはどんどん逃げるけど大きいのんは動作が遅いんや。水に入るぎりぎりのところで甲羅を手で押さえるんや。ほらこうやって。◆こんなことを話しながら食べているから我が家の夕食は二時間を過ぎてしまう。
海と空の境が肌色に光る。海の端は紫色。空の端は蜜柑色。二つの色が合わさって肌色に光る。◆新潟発の北越号は少し右に傾きながら日本海をただ走る。紫陽花の乱れる斜面。雀が舞う集落。立ち枯れた松の道。蓮の浮かぶ沼を縫うように走る。◆仕事先に向かう前に早めの昼食をとホームでそばを食べた。雪中庵という名前のその店の女性は透き通るような白い腕でそばを湯がいてくれた。◆仕事を済ませた帰り道。あれもこれもと買った土産の袋を抱えて階段を下りると「お帰りですか。」と声を掛けられた。帰りは電車の中で駅弁にビールでもと思っていたけれどそばに変更だ。◆できたそばに山菜をのせる腕が湯気と重なって朝よりも白く見える。「そばがお好きなんですね。」確かに僕はそばが好きだ。でもそれよりもこういう会話をさがしているのかもしれない。葱とだしの味がまだ口の中に残っている。◆草野球をする少年が車窓に見える。暮れなずむ北越路。海と空の肌色はいつのまにかすっかり小さくなっている。金沢十九時十五分。
一〇時一二分京都発五〇〇型のぞみ。大分への旅だ。みどりの窓口で切符を買う。大分までの往復と禁煙席の指定。僕がリクエストすると同時にコンピュータの画面をタッチする女性の指は疑うほどに速い。◆「こんなに速くて正確に処理する方ははじめてです。」カードにサインをしながら僕は思ったままをことばにした。「ありがとうございます。一日中しておりますから。好きな仕事です。」微笑みながら彼女は言う。◆「こちらが乗車券と新幹線、そしてソニックで大分まで。こちらがお帰りの分です。京都着が少々遅くなりますが、お気をつけて行ってらっしゃいませ。」先ほどのコンピュータのときとは全く違った表情だ。一枚一枚の切符をゆっくりと差し出して数字を指さしながら説明してくれる。◆「旅を楽しませるような説明ですね。」というような無粋なことは言わない。「 一日中しておりますから。好きな仕事です。」と返されるに違いない。◆彼女が仕立ててくれた旅がはじまる。博多行きのホーム。握りしめた切符が妙に愛おしい。
先週。はじめて担任した学級の二人と会った。小さな島の小さな小学校の五年生だった。京都から赴任した僕は島の教員住宅に住んだ。教会の横の赤い屋根のその住宅は村のどこからでも見えた。帰ってくると机の上に刺身と焼き魚が置いてある。朝はいつの間にか学級の子どもが横に寝ている。◆何もかもが子どもと一緒だった。風に吹かれて走った。夕日の中で歌った。月の夜はハーモニカを吹きながら夜中まで海辺にいた。家庭訪問で教え子の父親と取っ組み合いをして居間のガラスを割り母親に叱られた。◆加世子の母親が逝った夜。僕は朝まではなえの父親と飲んだ。朝。そこから学校に行った。誰も何も語らない。僕らはいつも一緒だった。◆二十七歳になった加世子が言った。「センセーヤ ナーンモ カワットランネ」すっかり大人になった加世子も化粧をしている以外はあのときのままだ。はなえが言った。「センセーヤ ワタシンセナカニ ツバサバ ツケテクレタケン」そのえくぼを覚えてる。◆あれから十七年。その石造りの小学校は今はもうない。
小学校の塀越しに体育の歓声。三階にある音楽室からは歌声が聞こえます。何人で歌っているのでしょう。ピアノの音が消えてしまいそうです。◆「だいちゃんも一緒に歌おうか」そばの公園では若いお母さんが歩きはじめたばかりの子どもに話しかけています。おじいさんが銀杏の木陰でじっとしています。鳩は首を前後に揺らして歩いています。僕は手ぬぐいで汗を拭きながらシーソーの支柱に腰掛けました。◆足もとの石を拾ってポンと投げるといつの間にかそこに来ていた鳩が三〇センチほど横にはねました。そこまで続いていた楓の葉のような足跡が途切れ少し離れてまた続きます。◆郵便屋さんのバイク。音楽室からは先生の手拍子とリコーダー。香ばしいにおいのする給食室から水の飛び散る音。◆僕が立ち上がったときおじいさんの前で子どもが転びました。かけ寄る母親の横を鳩が飛びます。逆光の空に舞う影の向こうで授業終わりのチャイムが響いていました。
岡崎での古書市。子どもたちはアトムの初版本に目をとめ、家内は長崎文化史を手に取り、私は衣笠子ども風土記を見つけました。◆昭和四十八年の発行ですから私が小学校に通っていた頃です。なぜ運動場の真ん中に大きなくすのきがあるのか分かりました。体育館の「創造」という大きな墨書はたいへんな文化財らしいです。そんなことが子どもたちの作文に書かれています。その書き手は間違いなく僕の悪友たちばかりです。◆あの頃天神さんの梅の林を荒らしたあいつ。お土居のてっぺんから小便したのはあいつ。市電の敷石をくすねたのはこの僕。風土記のすきまに三十年前がよみがえります。◆帰り道。御所の砂利道を自転車で走ります。子どもたちは連休最終日は衣笠探検をしようと計画中です。家内は夕飯は魚でどうかと声を上げています。それなら日本酒に鱧。三十年前から炭火が自慢の魚屋を案内しようと僕はペダルを踏みました。今出川通りが西日に蜜柑色になっています。
夕方六時二十分。僕は北大路通りを西へ歩く。橋を渡る。坂の途中の花の店から小さな花弁が風に舞う。◆白い教会の向こうに蜜柑色と浅黄色の混ざった空。市バスの影が西大路通りを上ってくる。何もかもが夕暮れ。観光客が金閣寺を振り返りながらバスに消える。なごりの花弁がタイヤに巻き上げられ僕の足下に届いた。小さく折れたその桜色はどこから来たのだろう。◆一日中開いている店もある。これから賑わう銭湯が見える。郵便局には乗り捨てた自転車が四台。文房具屋のおばさんが薬屋の娘と笑っている。小料理屋の着物姿の女性の打ち水の音が響く。◆赤い提灯の下に半畳ほどの水たまり。高校生の自転車のスピードに水面が揺れる。赤い光りが少し遅れて揺れる。その上を八重の桜の花弁が小舟のように行ったり来たりしている。この桜色はどこへ行くのだろう。◆僕は長い石段を下りた。六時四十分。金閣寺の森はすっかり暮れていた。
桂大橋までタクシーに乗った。千本北大路でうまく空車が見つかった。◆このごろは目的地までの道順をたずねてくれるドライバーが増えたが僕はいつもお任せだ。このオレンジと白のドライバーは違った。◆何もたずねず、WBCの話ばかりする。だけど。桂大橋まで信号に止まったのは一度きりだ。料金もいつもより三百円ほど安い。◆そう言えば道中こんな話をした。「イチローに教えられます。」「野球とどう関係がありますか。」「プロです。相手を喜ばさなあきません。」個人的には呼べないらしく個人の電話番号は教えてもらえなかったが運転手さんの名前はしっかり記憶した。◆帰りも大学までタクシーに乗った。桂川沿いの住宅地でたまたま見つけた黒い中型。手を挙げている僕を見つけた笑顔は夕暮のフロントガラス越しに穏やかだった。◆「四十九年乗っているんです。」「プロの根性はたいしたもんでしょう。」「いえいえ、ですが、道がこっちを走ってくれって、光って見えるんですよ。誘ってくれてるんですかね。」◆思いの外多かったお釣りと一緒にもらったタクシーカード。予約専用の電話番号は僕の携帯電話にしっかり登録してある。もちろん電話番号なしの運転手さんの名前だけも登録済みだ。
三年生の作文の教室。わたしは廊下側の女の子の冷蔵庫の片付け方の作文を読んでいた。「先生」と、小さな声がしたので顔を上げた。男の子がオウムの飼い方を書いている男の子が手をあげている。
「どうしましたか」
「オウムがバードフードを食べるんやけど 食べ終わったって書いたら ぜんぶたべてしもたみたいやろ ちゃうねん 全部食べてへんねん どう書いたらええんやろ」
「……食べなくなったら はどう?」
「あー そうか 食べへんようになったらか それ以上食べへんようになったらか」
わたしは窓際の一番前に座っている子どもに呼ばれ、そちらへ移った。
職員室で子どもたちの作文を読んでいた。どの子どものものも気になる。急いで読みたい気持ちをおさえてゆっくりと読む。一人で黙々と書いていた子どもの作文は今はじめて読む。なるほどとうなずかされる。何度かやりとりをした子どものものはその過程が目に浮かぶ。
オウムを書いた子どもの作文が出てきた。「バードフードはからだけをのこすので、インコが、もうそれい上食べなくなったら、かるくふいてあげましょう。」と書いてある。
「もう、それい上食べなくなったら」とある。「食べへんようになったら」と書いているとばかり思っていた。
「食べなくなったら」はわたしの真似ではない。「それい上」ということばが付いている。おまけに「もう」まで付いている。いや、付いているのではない。どうしても「もう、それい上」と付けなければならなかったのだろう。どうしても。
学生だったあの頃、面影橋近くの古着屋で黒い外套を見つけた。やっと手に入れたその外套を纏って僕は上野駅から急行八甲田に乗った。◆遠野。どこからでも早池峰山が見える。遠く広がる田圃。先週の雪が残る畦。軽トラの荷台に淡い木漏れ日が動いている。石油ストーブの匂いをのせて風が通りすぎる。お天気雨の空にカラスウリ。きらりと光るカラスウリ。ゆうらり揺れる。急行の中で読んだ賢治の童話が蘇る。◆カンパネルラとザネリがカラスウリの灯りをもって星の祭りに行く。ジョバンニは母さんのために牛乳瓶をもって走る。クラスメートが橋を渡っていく。ジョバンニは独り丘の上で星を見る。◆ジョバンニは、なんともいえずさびしくなって、いきなり走りだしました。すると耳に手をあてて、わああといいながら片足でぴょんぴょん跳んでいた小さな子どもらは、ジョバンニがおもしろくてかけるのだと思ってわあいと叫びました。まもなくジョバンニは黒い丘の方へ急ぎました。◆外套から賢治の文庫本を出すまでもない。今、社の角を曲がった少年はジョバンニに違いない。
阪急のどこの駅だったでしょうか。出発を待っていました。窓の外に見える医院の看板が目にとまりました。「永眠科」と書いてあるからです。近頃の医療はいろいろな科があるもんだと感心しているうちに電車が動き出しました。どんな治療をするのだろう。麻酔が中心かな。蘇生はしないのだろうな。◆と考えていると「増永眼科」という白い建物が見えてきました。昼下がりの電車の中。笑いをかみしめることもできず、吹き出してしまいました。どうやら僕は見たことでしか判断できない性格のようです。情けないことです。◆別府の駅前のお菓子屋さんにも妙なチラシがありました。「知っている人はなつかしい 知らない人はしんせん バーボー」どんなお菓子か知らない僕は砂風呂に埋められている二十分のあいだずっと引っかかっていました。◆帰り道。もう一度そのチラシを見ました。「なつかしい」とか「しんせん」とか、感じ方くらい自由にさせてよ。どうやら僕は気ままに生きていくしかない性格のようです。悲しいことです。
降水確率八〇パーセントの日に稲刈りに出掛けた。春の田植え以降は農協の方に任せっきりだった今年。◆こちらの稲刈りの予想は翌週。しかし受話器からの声は「十一日に刈りましょう。」と。以来天気予報を見続けることとなった。何パーセントなら取りやめになるのか。降っても刈るのか。たずねるにたずねられず八十パーセントの朝をむかえた。◆雲行きがおかしくなってきたお昼前。「食べる前に刈れるだけ刈りましょう 。」コンバインが入れないところを鎌で刈り続ける。ピョンと跳ねる蛙が雨を呼んでいるようだ。ひび割れた土の間に大きな田螺がはさまっている。ううんと腰を伸ばす。◆「ここらはしるいでおいときましょう。」田の土のついた長靴がちょっとかっこいい。◆農協センターでふかした芋とおむすびを食べているとザァーと雨がはねた。きれいになった長靴で稲木を確かめに行った。ちょうど田螺の穴から蛙が二匹出てきたところだった。
四十を越えた。昨年の誕生日に宣言しようかとも思ったが四十までは登り道だと勝手に決め込んでいた。◆八十を過ぎても生きていけるとは思っていない。それなら十分に折り返しは過ぎている。今年こそ宣言だ。◆点滅の信号を走ってまで渡ろうとは思わない。一日の楽しみの晩酌も少し過ぎれば朝まで残る。よいしょっと一声かけてから立ち上がってしまっている。◆吉田拓郎は野に咲く花ではなく転がる石になれと唄った。二十代の歌だ。今転がればそのまま止まらずに何処へ行くか分からない。◆過日広島で世話になったタクシーの運転手は夫婦で炭焼き小屋に住みたいと言っていた。「もうあと十年じゃき。」その笑顔は心なしか悲しかった。◆登り道か下り道か。友の多くは年上だ。追いかけているうちに僕も下り道になっている。教え子の多くは年下だ。追い抜かれまいと頑張っているうちに下り道だ。◆下り道宣言。だけど今はまだ下り道の前半。そんなことばを付け足して自分に言い聞かせている。
近くのお宮まで散歩に行く。下の息子は僕の前を歩いたり手にぶら下がったり忙しい。上はしきりに学校での話を続ける。聞き入ってしまうと下の子の足を踏みそうになる。いつもの犬が舌を出しながらやってくる。◆この頃はグローブを持って出掛ける。下の息子は青いボールを蹴りながら前を行く。上は軟球をポンポンと鳴らしながら友達の話を続ける。相変わらず犬はハアハアとやっている。◆夕涼みの犬にいいところを見せようと二人は大きな音をさせてボールと戯れる。◆神使の牛の角に帽子を引っかけて休んでいると社のかげからお宮の人が出てきた。大きな手箕に梅がどっさり入っている。今年は大きくて数も多いらしい。◆帰り道。グローブも半ズボンの四つのポケットもふくらんでいる。ボールを投げても蹴っても実が落ちる。笑っても実が跳ねる。◆郵便ポストの横を黄色い実が転がった。舌を出した犬の前に転がった。奴は鼻で転がした。それでも雨はまだ降らない。
水槽から緑の蛙が居なくなった。金魚の餌を食べないことに心配した下の子が小さな庭に逃がしたらしい。◆家内が紫陽花に水をやっているときに見たらしい。上の子は蜜柑の葉っぱのかげで目撃したと言う。逃がした本人は金木犀の下に置いたとのことでそこを見張っている。現場に戻るということらしい。◆「田んぼで育った蛙が我が家の庭で生きていけるはずがない。」夕飯の時の会話は僕のひと言で片付けられてしまった。どうも不満げな三人の顔は緑の蛙に似ている。◆朝刊を取りに行った長男が萩の下で緑が跳ねたと駆けて帰ってきた。弟を連れ母親を連れバタバタと出て行く。昼間の暑さとは違いひんやりした空気が広がっている。湿った土からは田舎の匂いがする。◆やはり見つけられなかったようだ。瓶の牛乳を飲みながら三人は萩の下あたりを見張る計画を立てている。その時。茶漬けをすすりながら「おらへんおらへん」と言う僕の声の向こうにグワッっと奴の声が響いた。
雑木林を越えたところに秋篠寺がある。光仁天皇ゆかりのこの寺の伎芸天にはじめて逢ったのは学生の頃だ。◆立原正秋によって描写される伎芸天は決してやさしいだけではない。我が身の隙間を辛辣につく厳しさがそこにはある。◆聞くところによるとこの伎芸天は頭と躰が違う時代に作られたらしい。天平の乾漆造りの頭部と鎌倉の木造彩色の躰が同じ立像として生きている。動き出しそうなわけだ。◆かすかに傾いた首。揺れそうな腕の傾き。今にも僕に届きそうだ。半時間もその前に居れば息苦しくなる。だけど御堂を出ると無性に引き返したくなる。◆立原はこの立像に恋したらしい。僕はこの立像にたまに逢いたい大学ノートに残した。◆五月雨の水曜日。七年ぶりに御堂の中に入った。伎芸天も少し齢を重ねたようだ。小一時間。御堂を出ようとふと振り向いたときの立像の目はあの頃のようにやさしかった。四十一になった僕の耳に「棘がとれましたね」と声が届いた。
もうとうに使えなくなったような乳母車に子どもが五人あふれている。ランニングシャツ姿の子どもは五人とも前歯がない。◆この地の日暮れは八時頃。まだまだ明るい。店先というよりほとんど道路に置かれた机で半ズボンの男たちが何かの足の塩焼きを頬張りながらタイガービールを飲んでいる。◆マレー語で話される会話が僕に分かるはずはない。もう何度も店の前を行き来した。どうしても入ることができない。だけどどうしても入りたい何かがある。◆もう五人とも微笑めあえるくらいになったとき数人の客が勘定を済ませた。◆道ばたの机が空いている。とにかく座り先の客のビール瓶を指さした。何か言われたけれど分からない。メニューもない。奥の壁に貼られている古い紙には何も分からない文字が並んでいるだけだ。何とか予想できそうな漢字の品が一つ。「this one!」道路に運ばれたあつあつの餃子を頬張ったとき前歯のない五人の笑顔と目があった。
昭和三〇年代の京都西陣に生まれた僕には路地裏の匂いが染みついている。当時、西陣は元気だった。生活の中でみんながうるおっていた。◆午前中に犬を連れて魚を見せて回るばあちゃんがいた。魚を決めさせ、「お造りか。焼いとくんか。」だけを聞いたら夕方に料理されて届けられる。それを肴に親父は伏見の二級酒を飲んでいた。◆古い大八車で野菜を運ぶのは賀茂の振り売り。季節の旬が山盛りになっている。冬は水菜とすぐき。あのすっぱいだけの漬け物の美味さが分かるようになったのはずいぶんあとのことだ。◆近くの市場の卵屋。ほしい個数を言うと籾殻に埋まった卵を掘り出してくれる。右手に二つの卵を握り裸電球に透かしてみる。何が見えるのかは分からない。「ええ玉ばっかりや」渡された僕は揺れないように抱えて母のあとをついて行く。◆昭和が懐かしい。僕はその頃の景色をたどって今日も息を吸う。見上げた長屋越しの小さな空に路地裏の月も西陣を懐かしんでいる。
二人の息子が田植えから帰ってきた日。ベランダの水槽に蛙が二匹浮いていた。黄緑とこげ茶。二匹とも黒い目に愛嬌がある。◆手と呼ぶのか前脚というのか分からないがぶらんとさせている。力を抜いた脚も伸ばして浮いている。◆水槽の底からのぶくぶくした泡に一日中揺られている。こんなはずじゃなかったと思っているのだろうか。気に入っているのだろうか。◆週明けの昼。庭の紫陽花の葉っぱが水面に落としてあった。青い若い葉っぱは蛙の遠くで揺れている。二匹は相変わらずだらりと浮かんでいる。◆火曜日の夕方。缶ビールを片手にベランダに座るとこげ茶と目が合った。息子が浮かべたかまぼこ板にじっと座っている。泡に動かされて板ごとくるりと回った。二匹並んだ蛙のうしろ姿なんて見たことなかったかも。◆水曜日の朝。息子たちは相談して板の上に金魚の餌を四つ載せて学校に出掛けた。八時半。朝刊を読んでいる僕の横で黄緑が大きなあくびをした。
連休中の授業だということで定刻の五時四十分よりもちょっと早いめに終わった日。早過ぎたかなと弱気。もっと早く終わってあげてもよかったかなとこれまた弱気。◆躑躅の赤が眩しい。残りの花水木がはらりと落ちる。青と桃色の矢車草が並んで揺れる。いつもの帰り道とは違ったにおいがしそう。◆こんなに気分がいいんだからみんなも散歩に行ってるだろうな。賀茂川辺りまで行って飲んで騒いでいるかも。まだまだ教室でおしゃべりに夢中かな。お節介な想像に早めに終わった言い訳しながら角を曲がる。◆ゆっくり帰るにも寄り道する店もない。駆ければ渡れそうな信号をゆっくり待つくらいがせいぜいの時間つぶし。◆と、向こうからにこにこした自転車が一台。ハンドルに提げた白い袋からは九条葱。さっきまで教室に座っていた女の子が買い物を済ませてこちらを見て笑ってる。夕方の安売りに間に合ったみたい。◆暮れかかったようなまだまだ明るいような空を見ながらいいことしたよと僕は信号を渡った。
五月人形のことを大将さんと呼んでいます。両親がそう呼んでいたからです。段飾りの大将さんは子どもの頃からの自慢でした。◆鯉のぼりや陣太鼓。柏餅やお酒。そんな飾りのいちばんてっぺんに白い髭の大将さんが座っています。両側には長い刀と弓。この刀が魅力的でした。◆金屏風の前に並べられたそれは手では触れてはいけないほどの宝物のようです。だけど一回だけでもええから手に持って刀を抜いてみたい。弓を力いっぱい引いてみたい。小学生の僕の思いは膨らみます。◆お兄ちゃんだってさわれないものを僕がさわれるはずがない。きっと叱られるに決まってる。触れないままの五月がいくつも過ぎていきました。◆今年こそはと決めた五年生。大将さんを飾るところから手伝いました。これだったら堂々と刀を操れるはず。矢を飛ばせるはず。そんな緊張の横でお父さんはひょいと刀を抜いてペーパーナイフがわりに封筒を開けています。◆以来僕は封筒を開けると五月のかおりがするのです。
庭の花水木が満開。此処に越してきたときに植えたものだ。割と大振りの薄紅の四枚の花弁は実は苞というらしい。花はその真ん中にある黄緑色のまあるいものでまったく花らしくない。◆四年ほど前は僕の背よりそれほど高くなく台風に根こそぎやられそうになっていた。夏は針のするどい毛虫に囲まれ葉をすっかりなくす。紅く色づくはずの頃には枝だけになっている。◆中途半端な季節に葉を落とすと春に蕾をつけられないようで実は今年がはじめての花である。家人はこれまで「花見ず木」と茶化して笑っていたがこの春は見事な満開にただただ恐縮していた。◆いくつ花をつけているか数えてやろうと見上げるといつの間にか二階に届きそうになっている。葉っぱも花もなかったせいで上へ上へと伸びたようだ。◆ひいふうみいよおいつむうななやあ。百をゆうに超えている。青い空に逆光の四枚の苞。天に向かって咲いている。いよいよ真ん中の花は見えそうにない。
天神さんの南側の商店街を下の森といいます。おふくろがそう呼んでいただけかもしれませんが水菜は今でも下の森で買うことにしています。◆新聞紙で巻いてくれるところがたまりません。言うてもいないのにおまけに人参が一本付いてきます。そうなるとこっちも何かもう一盛り。結局高い買い物をさせられてしまっています。◆この頃はせがれを連れていくことにしています。「おじさん。壬生菜をください。」「ぼんえらいな。水菜と壬生菜の違いが分かるんか。」「先が円いのが壬生菜ってお父さんが言うてたし。」◆これだけの会話で人参が二本になります。ほなかぶらももうとかなあかんな。ついつい目当て以外のものにも手が出てしまいそうになる父親の袖を引くのがせがれ。「そんなん買うても食べられへんやん。お母さんいっつもゆうたはるやんか。」◆せがれがしっかりしてるのかおやじがたよりないのか。ぶらぶら帰る二人の背中に大将のことば。商売あがったりや。
近鉄二上神社口駅からなだらかな野道を歩きます。カンカンカンと踏切の音。落ち葉を踏む音が重なります。古いため池は鉛色の雲を映し、何が居るのか底からのあぶくが水面を揺らします。◆京都に居を移す前は二上山のふもとに暮らしていました。二階の部屋から早朝の山に語りかけたものです。庭に干した白い洗濯物の向こうに緑がかった姿が見えると夏を感じました。白く化粧をすることのほとんどないこの山はまるで埋み火のように里をあたため花を開かせるのです。◆この山が造り酒屋のおおきな屋根越しに紫色に見えるのは赤い花と黄色い花が咲き始める春先のこと。あぜ道に立てかけたキャンバスを揺らす風もやわらかくなってくる頃です。伊勢の大伯皇女へ届けと大津皇子の声が流れているようです。この里に春がおとずれます。◆朝に択ぶ三能の士、暮に開く万騎の筵。臠を喫みて倶に豁癸、盞を傾けて共に陶然たり。月弓谷裏に輝き、雲旌嶺前に張る。◆大津皇子の遊猟という詩。四〇歳のわたしにこれほどの元気はないにしても、あの紫の山を眺めるとそこに彼の声が聞こえてきそうなんです。
暮れに薬局のくじで当てた入浴剤「全国湯巡り」。白くにごった湯もあれば鉛色のいかにもそれらしいものもある。◆上の息子は北海道びいきで登別。下はかっこいいからと龍神。家内は郷里を懐かしみ雲仙。それぞれに楽しんだ四日目。わたしは城崎で昼の風呂。◆川沿いに集まる集落。点在する旅館。ひと昔前の温泉街とはまさしくこんな感じだったのだろう。十年ほど前に訪ねた城崎の町を思い出す。城崎かあ。湯を肩にかけたりすくったりしながら筋肉質の志賀直哉の写真を思い出す。清兵衛と瓢箪に小僧の神様。繊細で目に浮かぶような描写。◆家内に古い文庫本を持って来させてしばし。なんとも贅沢な風呂。からだも心も温まったのは温泉の効能ばかりではない。◆「よし。夜は寿司屋に行こう。」登別の日は毛ガニ。雲仙の日は島原牛と続いただけに今夜は日本海の魚と予想していた家内はもう着替えをすませている。小僧二人はきょとんとしてる。◆四人分出してくれる神様はいないだろうかと考えながら風呂を出る。食費のかさむ温泉旅行をもらったものだと嘆きつつ甘鯛の味を思い浮かべた晦日だった。
昼の銭湯。体を横たえながら入る風呂が気に入っています。細かい泡が全身を包みお湯の流れが体を温めます。頭があたる枕のところは内側に冷水が流れているらしく水滴がついています。◆掛かり湯のあと。ふうっとひと声。しばし脚を伸ばして手拭いを頭に。日頃の考え事を振り返ろうとしても何も思いつきません。高い天窓まで湯気がのぼっていくのを眺めるだけです。◆おや。まだ昼間の日射しに光る天窓の隅に蜘蛛の巣がかかっています。目を凝らしても主の蜘蛛は見えません。ゆらゆらと蛾の羽が一枚ゆれています。◆湯船に落ちてきたら手ぬぐいで救ってやろう。髪を洗っているときに背中に落ちたら気づかないだろうな。女風呂に舞っていけば驚くぞ。◆落ちていないかまだあるか。何度も確かめてしまいます。手拭いを持って再び横になれる湯船へ。例の羽はさっきと同じようにまだゆらゆらしていますが天窓の向こうは夕方の空になっていました。
雲ひとつない火曜日の午前。北大路橋と出雲路橋の間の土手に腰を下ろしてひなたぼっこをしています。◆右手の広場にひとつの小学校がそのまま移動してきたみたいです。いろんな学年の子どもがかたまっています。◆校長先生でしょうか。手持ちのマイクでなにやら話しています。ですがそんな話よりも子どもたちは川面すれすれに飛ぶ鳥の姿に目を凝らしています。◆体育の先生でしょうか。上から下まで真っ黒の体操服に身を包みながら準備体操をしています。半袖半ズボンの子どもの方がよっぽど凛としています。◆二つの橋を渡って右岸から左岸へと走り抜けます。一周二キロ弱のコースを一年生も六年生も走ります。いつのまにかお母さんたちが集まり声をかけます。黒服は汗もかかず腕を組んでいます。◆賀茂街道から吹いてきた赤い葉っぱを追いかけているうちにみんなに追い抜かれた男の子の青い靴ももう三周目です。がんばれっ。こんなことなら僕もズックで来ればよかったと黄色い葉っぱをくるくるまわしました。
敦子さんが逝った。胸にできた悪いものがひろがったらしい。夏の終わりには一緒に夕立の雨宿りをしたのに。知らない間に躰を病み知らない間に逝ってしまった。◆幼なじみじゃない。学友でもない。倅の友達の母親で家内の友達だ。だけど父親同士も仲良くなった。旦那どうしが語り合った。敦子さんはいつも焚き火を見ながら僕たちの話を聴いていてくれた。◆滑れないくせに子どもとリフトを乗り継いでいく。右に左に穴を開けていく黄色いウエアを忘れない。息子が最後の一口を食べきるまでお皿を重ねないまなざしを忘れない。◆大きな椅子に身をあずけるようにしながらひざを抱えてカップを持つ。「青空の下の紅茶が一番ね。」歌うような声。二人の子どもの声を追う瞳。◆今年は富良野だよ。パウダーはこけても痛くないから頂上まで行こう。「達富さんのそんなことばにはだまされないから。」◆ねえ、北海道じゃなくてもいいからもう一度紅茶を飲みにおいでよ。
比治山橋の上を歩いた。妙に躰が熱い。小鰯の刺身に芋焼酎。生姜を盛って数匹まとめて喰う。さっとひろがる脂と焼酎が混ざり合う。けっこう飲んだのかもしれない。◆「あの牡蠣船、船ごと買い取って喰い続けようか。」二人の笑い声が川面を滑る。◆十年たってもこうして笑っていような。四歳上の男が空を見る。年下は「本当に」と風に言う。十年たってもこうして。橋を渡りきったとき年上が振り返りながらもう一度言った。◆最終の新幹線まで駅の上で牡蠣を食おう。年上は元気だ。生で六つと浜焼き四つと酒蒸しをひと皿。もちろん賀茂鶴の吟醸。◆ここの牡蠣は白い。海水で洗われているからだと女将は言う。殻が黒いからそう見えるだけだと客は言う。そんなことより土手鍋も食おうと年上が言う。◆最終のホーム。缶ビールを振り回しながら歩く。焼き汁を飲もうとしたとき殻で切った唇が痛い。来年もこうして。年下の僕は少し大きな声で年上に言った。
秋のいい日に薬師寺を歩きました。昼前の人の少ない時間だったので高い空をゆく飛行機の音まで聞こえてきそうです。◆順路から外れて腰をおろしました。回廊のひさしと東塔が重なって見えます。この塔は六重に見えますが小さな屋根は裳階というもので実は三重の塔。あんまりのんびりしている僕を見て後ろからお寺の人が教えてくれました。◆長々と説明をされても困るなと思い腰を上げようとすると邪魔をしましたと向こうに行ってしまわれました。◆よくは見えませんが東塔の水煙の透かし彫りのことは中学で習ったことがあります。笛を吹いた飛天が二十四人。笛を奏でているはずです。大空にみほとけを讃える姿が何とか見えそうです。◆雨の日はどんなふうに見えるのだろうと思いながら境内を出ようとすると「さようなら」と聞き覚えのある声。さきほどのおばさん。さようならと返したとき白鳳の祈りの向こうに飛行機雲がすすすうっとのびていきました。
杉の木が五本並んでいる。間隔はそろっていない。いちばん左側と隣とは割と離れていて二本めと次とは近い。◆三本めは少し太い幹だが奥にあるせいか黒く細く見える。右側にぽつんとあるのは表面が白くおまけに空の色が映って飛び出しているようだ。◆五本の木を縫うように楓の枝が伸びている。秋の日射しにそれが光っている。木立の奥のお堂の朱はその色を深く落とし緑にとけている。◆月のいとはなやかにさしいでたるに今宵は十五夜なりけりと思い出でて殿上のお遊び恋しく…◆光の対立語はかならずしも「かげ」ではない。主人公源氏は、光をも、その陰影をも宰領することによって、物語の統率者たりうるかのようだ。これは源氏物語研究の藤井貞和の説。◆今ぼくの足もとの木漏れ日が動いた。瀬田川の十月の波はそんなことにはおかまいなしに上に下にいそがしく動いている。
高知帰りの土産の煎餅。深い赤色の袋と濃い鶯色の袋に入っている。◆それぞれの袋にちょっとした文章が書いてある。◆「流れても 流れても河」沈下橋のそばには大岩の淵があって、子どもたちは橋から競って飛び込みます。男の子も女の子も、まるい葉っぱをくわえ鼻をふさぐやり方を知っていました。◆「幼なごころも 飛び飛び はねる」夜になると、てんでに黒いえび玉を持って、ひざまで浸かりながらえび採りに出かけます。ランタンの明かりに、しゅっと後ろに飛ぶのを、そら、上手にすくいました。◆四万十川の景色がそのまま表されたようなこの短文にしばし思いを馳せる。最後に見た四万十は二〇年前。青い水面とカラスウリのだいだいが見事だった。吹いてくる風は石鎚山からのかたい匂いがした。◆久しぶりに高知に出会ったような気分。と言いつつ酔鯨をもう一杯。
火曜日と木曜日のお昼は新町通のそば屋です。そば屋で麺ではない定食というのもどうかと思いいつもにしんそばです。◆本当のところ隣のお客の定食も気になります。いつのまにか自分の中で火曜日はにしんそばを食べたら木曜日は定食でも許されるだろうという取り決めができました。◆お気に入りはあじフライ定食。からっとしたフライも絶品ですが山盛りのサラダもいい感じです。熱いみそ汁がお腹にしみこんでいきます。◆お皿の横に添えられた一切れのトマト。家では食べませんが木曜日の昼は別です。避け続けてきたので三〇年ぶりのトマトです。◆昨日。運ばれて来た定食。何かいつもと違います。何だろうと思いながらあつあつのあじの身を楽しんでいました。◆キャベツを食べながら気がついたのはちょこんと添えられた白い梨。こんなところに夏の終わりを感じました。
少年野球を見たくて柊野の広場に行きました。懐かしい音がします。◆選手の数だけ大人がいるのかと思えばそうではないようです。至れり尽くせりの野球ごっこではありません。◆ユニホームが歩いているのかと思ってしまうくらいの背番号3もお弁当を空にすると自分でスパイクの紐をしめて走っていきます。◆親でも先生でもない大人に怒鳴られています。難しいルールや横文字はどこまで通じているのでしょう。うなずくたびにヘルメットが上下します。「結果を出せ!」にうなずく子どもは結果とは何か分かっていないようです。◆二階から打った方がいいようなボールに手を出して叱られます。カバーが遅いと頭をはたかれます。打つも見送るも守るもベンチの指示。◆楽しいのかなあと僕は三本目のサッポロビール。キンという音を聞いたのはたった一度だけの一塁線のファールボール。◆家で空のお弁当箱を放り出し、背番号3を脱いだあとは、いつのまにかホームランになったあのファールの打ち方を自慢気に家族に話すのでしょう。
親父が逝ってから二年。いない日々に慣れることはありませんが写真と話せるようにはなりました。◆母は週に一度お寺の掃除に行っています。もう三度目の夏です。母が何を見ているのか分かりません。何を確かめているのかも知りません。ただ膝を折って笹と松の葉を拾い続けています。◆三回忌は大祥忌というそうです。祥という字はいい字です。それだけで父が苦しんでいないような気がします。◆静かなお経が続きます。いびつなガラスからは夏の日差し。梅雨の合間の青空には涼しい風。ざざざと笹の葉がすれる音。一面の苔の上を体中で歩く黒い蟻。◆静かにお経が流れます。父の弟が足を崩します。目があって互いに苦笑い。ざざざざざ。ひときわ大きな音。何枚もの笹が光の中を舞います。◆また散らかってしもた。きれいにしといたのに。お父さんに叱られるわ。母が小さく呟きました。◆かまへんやんな。僕は線香の煙の向こうの写真に少し大きな声で言ってやりました。
向かいのホームに青い電車が止まっています。南宮崎と書かれた行き先が魅力的。動き出すまでのわずかな時間に僕は片足だけ車内に入れてみました。◆広島を通って九州に入って大分経由で宮崎。頭の中の地図を青い電車が動きます。広島は夜で大分が夜明けで宮崎が朝。時計を重ねます。賀茂鶴と麦焼酎と冷や汁。美味いものが重なります。◆出発を告げる車掌さんの声。ホームから窓越しに車内が見えます。寝台のシーツの準備をしている大学生。浴衣で二本目のビールを空けている男。ほっぺのご飯つぶを取ってあげている母親。ヘッドホンに無表情な若者。◆小さくなっていく赤い灯が上に下に揺れます。京都駅は旅のはじまりでもあるし途中でもあるんだなあと独り言。◆改札の前でポケットの切符を探していたとき函館行きの電車の時間が案内に出ました。富山を通って新潟経由で函館か。ホタルイカの沖漬けにカニ汁にいか素麺。少し寄り道して銘酒八海山。ああ旅に出たい。
お気に入りは錦の市場ですがスーパーも楽しいものです。わら天神のコープや白梅町のイズミヤさんは馴染みです。◆酒の肴ですからかごも持たずさっさと歩いての買い物です。直行するのは魚と京野菜。旬のものは美しくて安いのがあたりまえ。◆少し前は初鰹や黍魚子のいいものを見つけては舌鼓。真っ白な梭子魚子にも惹かれ何度も酔わされました。◆このごろは地の野菜が並ぶようになってきました。まだ濃い色はしていませんが野菜のつやを見ると足を止め手にしてしまいます。焼くか炒めるか揚げるかそれともそのまま豆腐に添えて冷や酒か。◆昨日のこと。行儀の悪い万願寺が箱に盛られています。その前に行かなくても青臭さがわかります。一盛り十本。そんなには食べられませんがまあ残れば隣にやればいいかと思って提げて帰ってきました。◆焼いて二本。天麩羅で二本。残りは漬け物に。隣に向いて「またこんどな」と盃を上げた時ビードロの風鈴がちりんと鳴りました。
北九州折尾の駅。五番ホームに電車が入ってくる。小倉行きの普通列車。「オベントオー」とはりあげた声。紺色の帽子。海老茶の開襟シャツ。白いたすき。◆大分行きの待ち合わせに向かって人はどっと階段に走る。大きな声に立ち止まってくれる人はいない。「オベントオー」もうひと声。◆重たい箱を台の上に置くと背中に十字の汗のしみ。僕はその後ろから「名物を一つください」と声をかけた。◆関門トンネルを出ると緑と太陽の国「九州」に入る。そこには僕の楽しみの一つである東筑件の「かしわめし」が待っている。この駅弁の味から夢多き九州の旅が始まるのである。◆これは「かしわめし」の包み紙に書かれた石黒敬七の文。白い紙に赤く「かしわめし」とこの文。その横に「ケッコーなお味」と鶏がしゃべっている。◆僕は博多行きの電車を待っているところ。僕に「ドガンカナ。ウマカロ。」とひと声かけて再び仕事に戻るおじさんのたすきは海老茶の汗の十字とぴったり重なる。線路の上に陽炎が揺れている。
時間があったのでめったに通らない路地を歩いてみました。月曜日の朝のことです。◆お地蔵さんにはまだ湯気が見える熱いお茶とばら寿司が供えてあります。おばさんが玄関先の提灯を外して片付けています。そう言えばきのうはこのあたりのお祭りです。◆赤い髪かざりをつけて鬼になった男たちが町内を踊って歩きます。無病息災。笛と鉦の音と語りのような歌。幼い頃は鬼が怖くてしかたがありませんでした。◆鬼の後ろに大きな傘があります。その傘に入ると御利益があるとのこと。ですがなかなか入れません。鬼がいるからです。右に左に飛び跳ねながら音を鳴らす鬼をすり抜けてそこまで行くのは大変です。◆何歳の時のことだったでしょうか。自分の家の前に傘が止まりました。すっと入ってすっと出てきました。鬼は三件ほど向こうの家の前で跳ねています。◆そんなことを思い出しながらの月曜日の路地裏。地面を見ると「おにさんここでおどっといてください」と白墨で道に書いてありました。
こげ茶色と黒と灰色の混ざった感じ。畳と線香と夕立ちのが重なりあったようなにおい。それが縁側。◆庭には柿の木。その向こうに隣のすだれが揺れています。家の中からはテレビの声。おばちゃんの歩く影がすだれの隙間を動きます。すいかを食べ終わった僕は縁側に座ったり横になったりしながら本を読みます。◆ひんやりした縁側の板。ごろんと頬杖ついて本を読む。肌が板に触れたときのひんやりはいくつになっても気持ちいいものでした。肘に板のかたちの線がついてそれはそれで結構痛いのですがやめられません。◆「昆虫記」も「怪人二十面相」もここでこうしてよんだものです。川端も立原もエンデもそうです。◆座り疲れたらごろんとなって読む。ひんやりして読む。あたたまってきたら新しいひんやりを求めて少し移動。二回寝返りを打つと右足の親指が入ってしまうほどの節穴があります。本を読みながらその節穴にすいかの種をいくつも落としたことは今もひみつです。
伯父の法事で伊勢に行ってきました。母の里です。小学生の夏休みはひと月そこで暮らしていました。◆ですからわたしの話しことばには伊勢のことばが混じっています。「ナニヤットンノ」「ゴウワクノォ」「オオキンナ」今でも口から出ることがあります。◆そんな生活のことばの中でつかってみたくてもなかなか使えないことばがあります。伊勢では京都で「~シハル」と言うのを「~シテミエル」と言うことがあります。◆隣の奥さんが六地蔵さんのお世話をしたはることを「世話してみえる」というのです。何でもないことばだからこそそこに暮らさないものには言いにくいのでしょう。◆伯父の孫が縁側から大きな声で言います。「お寺さんが来て見えた。きょうも足の先がおぼえなしになるんか。」さらりとつかっています。みんなが座布団の上でお念仏をとなえます。◆昭和十年赤い鳥に「手の先が冷えておぼえなしになったよ」という三重の小学生の詩が載っています。
北大路のバスターミナルで傘をさそうかどうか迷っていたときのことです。おばあちゃんと小さな女の子が何やら言っていました。◆ウチノシャンワ。ハイ。オバアチャンノパラパラモアルン。ハイハイ。何のことか分かりません。光景を見ているとこんな会話なのかなと思います。◆わたしの傘は(ありますか)。はい(ここにあります)。おばあちゃんの傘もあるのですか。はいはい(ありますよ)。シャンは子どもの傘。パラパラはおばあちゃんの傘のことでしょうか。◆「シャン」と「パラパラ」。調べてみてもありません。京都方言ではないようです。その子どもと家族だけのことばなんでしょう。◆八木重吉に「金魚」という詩があります。桃子は/金魚のことを/「ちんとん」という/ほんものの金魚より/もっと金魚らしくいう◆川崎洋は「子どもはおとなのようにことばにつかわれるということがなく、手持ちのことばを生き生きとつかいます」と言っています。
御前通りのお豆腐屋さんに木綿と湯葉を買いに行きました。◆おぼろ豆腐から淡い豆のにおいがしてきます。おあげがふうっとふくらんでいます。軒の紺の暖簾が暖かい風にゆらゆらしています。大きな器を抱えたおばさんが奥から出てきました。おからです。◆おからを「雪花菜」と知ったのは大学受験のときです。それではおからは春の印象でした。わけは簡単です。◆親父が母の手料理の「卯の花」を肴に晩酌をしていたときです。佐佐木信綱の三十一文字を詠みながらその意を僕に問いました。◆卯の花の 匂う垣根に 時鳥 早も来鳴きて 忍音もらす 夏は来ぬ◆小学生の僕は「夏は来ぬ」の意を「夏は来いひん」と思いました。夏が来ないなら今は春。ずっと春。卯の花は春。だからおからも春。単純なことです。◆ですがこうして今。春の夕暮れ。目の前におからがどんと置かれているのを見るとおからはやっぱり春。白い花。名残の雪の花菜なんです。
四条河原町のバス停。水曜日の春の午後。高島屋での買い物の帰り。こんな時間にバス停に立つのは久しぶりです。◆河原町通りの東側のビルを眺めながら北行きの二〇五を待つこと十五分。アーケードの中を歩いていると新しい建物ばかりに見えますがアーケードの上は案外古い家です。のっぽのビルにくっついている看板を上から順に読んでいました。◆京都バスがやってきました。なんだかわくわくするような場所へ連れて行ってくれそうな気がします。まだ厚めの上着のお年寄りが連れ添って乗っていきます。◆いつの間にか僕の後には長い行列が出来ています。遠足の先生の気分です。すぐうしろのおばあちゃんと目が合いました。お先にどうぞ。かましまへん。おにいさん先に乗っとくれやす。二番目やさかいに座れますさかいに。◆やっときたバスは思ったより満員です。詰め込まれるように乗りました。一番前のつり革を持ちながら後ろを見ると膝の上に大きな薔薇の紙袋を載せて座っているおばあちゃんがしわだらけの手を振ってくれました。
ぽくぽくと木魚をたたく坊さんの頭を見ていると鳥皮の塩焼きを思い出した。ぶつぶつした肌に蝋燭の光があたっているところなどは脂を落とす瞬間と重なる。◆難しい漢字の並んだ経典を見る気にはならない。亡き人を思い出すと涙が止まらない。しばし天井や欄間などの吟味。仏壇の隅のじいさんやばあさんの写真には妙な貫禄がある。流れた時間の長さゆえの風格なのかもしれない。◆なぜ鳥皮などに見えたのだろう。線香の煙が漂っていく方向を確かめながら鳥皮を連想した道筋をさかのぼってみる。◆亡き伯父とはよく話をした。こたつに入りながら命の話をした。池で釣りながら明日の日本の話をした。畑で大根をひきながら酒の肴の話をした。鯛を三枚におろしながら悔しい思い出話をした。◆同じ間隔のはずの木魚の音が妙に乱れてきた。どうした坊さん。ふと見ると孫娘が坊主頭をぴたぴたと叩いている。坊さん。読経をやめることもできないし両手はぽくぽくとちーんでふさがっている。◆これは見もの。じっと耐えている汗ばんだ坊主頭はまさに焼き上がり寸前の鳥皮だ。
右の腕が上がらない。思い当たるふしがないわけではない。あいつだ。運動場の端と端に立って長いキャッチボールをした。運動会の後。僕を調子にのせたあの細身の太い眉の若い男だ。◆違うあのときだ。志賀高原で慣れないボードに投げ飛ばされたときだ。こぶがいくつも続いた。アースカラーのウエアを着てこぶの陰に座り込んでいた女の子を除けそこなったときだ。そこは座るところじゃない。◆そうじゃない。あの場所だ。祇園のスナックの階段だ。いつもはエレベーターなのにその日は違った。五階に行くか地下に行くか。ほんの少し考えて階段で降りることにした。玄関脇の階段はひれ酒に酔った脚には急すぎた。崩れかかった大きな躰を支えたあの場所だ。◆背中を洗うのが不自由だ。上着を着るのに時間がかかる。寝返りで目が覚める。◆内側から消毒すればいいって。馬鹿。そんな冗談も言いたくないほど痛い。◆逆療法。丸めた靴下を洗濯機に向けて投げた。激しい痛みとともに明後日の方に飛んでいった。やれやれ。散らばった靴下を取りに行ったとき四〇の顔が鏡の向こうに揺れた。
早めの昼。日曜日によく行く店はまだ開いていない。大将が玄関に水を打って開店の準備中だ。◆金閣寺前なら観光客相手に何かあると思ったが喫茶店みたいなところばかりしかない。できればにしんそばをと思いもう少し歩くことにした。◆西大路から北大路にかかる頃いい匂いがしてきた。紛れもなくそばのだしの匂いだ。暖簾も出ている。小料理屋。入口の品書きに値段はない。昼からのにしんそばにそれほど出すわけにはいかない。もう少し歩くことにした。きょうは昼抜きになるかもしれないな。◆横断歩道の先は花屋。こんなに春の花が咲き乱れているとは思ってもいなかった。チューリップの鉢植えが今にも咲きそうだ。ラナンキュラスはもう溢れている。サクラソウが揺れているのは蜂が踊るから。◆下げて歩くのは少し照れるが一鉢連れて帰ることにした。トパーズのフリージア。一年前の春の日射しを思い出す。何だか新しい一日になったような気分だ。にしんそばが化けた花を眺めながら道を北に折れた。春先の道草はゆっくりとおだやかに時間が過ぎていく。
金沢は雪。新しい駅舎の工事の音も雪に吸い込まれている。アーケードのつなぎ目から落ちる雪解けの水が冷たい。◆休みの日の近江町市場は開いている店も客も少ない。店の中からやたらと声をかけられる。ゆっくり品定めもしていられない。ここでも上から雫が落ちてきた。◆香林坊から片町への道にも雪の山が続く。昼間は薄汚れた白もヘッドライトに照らされて眩しい。つま先で雪を削ってみようとするところなんかは観光客の典型だ。◆表通りから少し奥まった店でのどぐろの塩焼きを食べた。夏に上越で焼いてもらったものより身がかたい。天狗も酔って舞ったという酒によく合う。白子を口に含んでから飲む酒は菊姫。◆翌朝は犀川のほとりを歩いた。大きな川でもなく昔風情の景色でもないが懐かしい。大橋の右手の古い中華料理の店からは青い煙が出ている。◆犀星の記念館には誰もいなかった。入口付近にあるビデオを二回見てから館内を歩く。犀星愛用の杖と帽子がかっこいい。五〇になったらかぶろうと決めて窓に映る姿に帽子をかぶせてみた。向かいの家の屋根からぽつぽつと雫が落ちた。
庭の沈丁花のつぼみがふくらんできた。去年の十一月の天神さんの縁日で買ってきたものだ。植木屋との値段の交渉は楽しい。金柑の木もつけるから二千円にしておくとのこと。わたしは家に蜜柑が育っているのでおまけしてくれるのなら金木犀にしてくれと頼んだ。◆「金木犀やったら二千三百円やな。」別に三百円がないわけではないがここは譲れない。互いに笑っているのに真剣勝負。そばにいたお客さんがその金柑を買っていく。そら見たことか、すました目がわたしを刺す。◆「大将、買うとき。二千二百円や。」さっきまでは、兄ちゃんだったのに、大将に格上げだ。しかも二千二百円。◆「しょうがないな。もうとくわ。枝折らんといてや。」小銭をさがしているとき奥の方でかたい葉を揺らしている金木犀が光っているように見えた。プロの目はそれを見逃すはずがない。◆「兄ちゃん、金ちゃんもつけて三千円や。」金木犀が金ちゃんと呼ばれている。ひとつずつ足し算したら、案外、損をしているかもしれない。納得したようなしないような。それでも秋になった頃の花の香りを思い浮かべながら満足の天神さんの帰り道。
鵜方の駅から古いバスに揺られて小一時間。三重県大王崎波切。風のやまない小さな漁村です。◆白い灯台に続く道に積み重なるようにして建つこの村の家の屋根には網が掛けてあります。おもしの石が潮風にみがかれ厳しさを映しています。◆細い階段でつながるこの村は、人の心を砕き、絵描きにとって惹かれる処です。にせものの僕は海と光の色より、波の音を聴きながらの鰹茶漬けと地の酒です。◆丼からはみ出すように盛りつけられた鰹はどんな赤より美味しそうです。丼の蓋にたまりと生姜。漬かった鰹は錆色。◆まずは二合。散らかった生姜を集めて熱燗を二合。◆そして茶漬け。蓋のたまりを丼にかけ、新しい生姜をのせます。ストーブにかかったやかんから熱いお茶をたっぷりかけると魚が丸く踊り出します。◆石油ストーブの匂いの中で熱い鰹をずずっとすすります。遠くに波が岩を打ちます。昼からもパレットを持つ気にはなれません。
冬
三好達治
冬の日 しづかに泪をながしぬ
泪をながせば
山のかたちさへ 冴え冴えと澄み
空はさ青に
小さき雲の流れたり
音もなく
人はみなたつきのかたにいそしむを
われが上にも
よきいとなみのあれかしと
かくは願ひ
わが泪ひとりぬぐはれぬ
今は世に
おしなべて
いちぢるしきものなく
比叡山のあしもとに虹が二本かかった日、船岡山から見る冬の京都は普段と変わりなかった。◆僕は賀茂川に向かって茶色くなった銀杏の葉っぱを道を歩いた。東の堤のベンチに座って向こう岸を散歩する人の数をかぞえた。北大路橋から丸太町橋まで歩いて西に向かったらさっきと違う色の銀杏の葉っぱが肩に降ってきた。寺町を下がり、一保堂でほうじ茶を買ってから書き初めにと古梅園で紫の墨と画仙紙の大きいのを買った。烏丸から京都駅に出て高いデパートの上から冬の京都を見た。◆おしなべて著しいものはなかった。
お互いに気に入ってる曲を集めたカセットテープを交換したクリスマスもあった。おそろいのティーカップを買った冬もあった。◆同じシャンプーを使っていたことが分かって驚いた公園でプレゼントを交換したクリスマス。◆クリスマスって楽しむよりか楽しませてあげる方がいいよね。そんなことをいいながら街を歩いた。居酒屋でにんにくの芽の炒め物でバーボンを飲んだ帰りのことだ。◆さっきからずっと握りしめていた星形の贈り物はもうラッピングもぐちゃぐちゃだ。やっぱり君がカンパリソーダをたのんだときに思い切って渡せばよかったんだ。もうクリスマスが終わっちゃうよ。◆今日は横文字を意識して洋酒ばっかり飲んでた二人。おかげで少し酔ったかも。◆信号で止まるたびにポケットの中で確かめる小さな箱。君に渡すことだけを待っていた星の箱。もう中身が何だったか忘れちゃいそうだ。◆帰りのバスの中。君からもらった平たい箱。これもしわくちゃ。くもったガラス窓からどこかの家のツリーの灯りが見える。外は白い雪の夜。
重いガラス戸を押して店に入った。厨房からの湯気は部屋中を湿っぽくさせている。くもり窓にできた幾筋もの水滴の線の形から車の赤いライトがちらちら見える。◆スポーツ新聞を見ながら食べてる男。一人前の餃子をつつき合っている二人。赤と紺のおそろいの服を着た双子を連れた女。若い浮浪者。煙草をくわえたミニスカートの学生。テレビの中は演説の男。◆僕はビールと味噌ラーメンを注文した。油のついた週刊誌をひととおりめくったときビールが来た。注文しなくてもよかったな。一人で飲んでも美味くない。十二月か。換気扇の横でカレンダーが傾いている。◆「おばあちゃんイラクてなに」赤い服が聞いた。「遠いとこ」もうちょっとちゃんと教えたりいや。◆紺が聞いた。「自衛隊ってなに」ばあちゃんは聞こえないことにしているらしい。お嬢ちゃんには関係ないで。味噌ラーメンを運びながら店の男が紺に笑った。◆このラーメン屋のこの瞬間には関係ないかもな。僕は焼き豚の枚数を数えた。テレビの男はまだ言い訳のような演説を続けていた。
毎週金曜日は小学校へ行っています。詩や音読の授業をしたり、書写の授業をしたりしています。先日は「歩く」と書写しました。私は大きな筆を持ち私をじっと見つめる瞳の前でえいっと書きます。子どもたちは息をのみながら見ています。そしてううんとうなっています。◆ひらがなは漢字よりも小さく書きます。「はらい」の長さに気をつけなさい。画の長さが違うからね。字配りに注意しなさい。いろいろなことを言いたいのですが子どもたちには何を何と言えばいいのでしょうか。◆さあ手習いの始まりです。子どもたちもえいっとやっています。始筆。送筆。終筆。三年生の頃から何度もしているので大丈夫です。きょうは画の長さです。「はらい」の長さです。字配りです。◆文鎮を左手に持って書いている子どもがいます。どうしてそんなところを汚したのでしょう。鼻の頭に墨が付いままの子どもがいます。「先生、もう少し長い紙はありませんか。ぼくの「く」が入りません。」◆じっと私の顔を見つめる男の子の向こうに見える比叡山はいつのまにか紫色の山になっています。もう京都は冬です。
列車の回転操車場の前に大山そばの看板を上げた店がある。吾左衛門弁当というのが名物らしい。◆日本海の荒波で漁れる生きの良い鯖で作った棒寿司と伯耆富士大山山麓で採れる山菜を使ったおこわに赤貝にあまさぎなど山陰の山海の幸を盛り合わせた弁当だ。少々値ははるが秋の胃袋には魅力的すぎる。そいつとかけそばを注文した。◆操車場でゆっくり回転しているのはEF64。二十年ほど前は強い力で日本中の坂道を走っていた青い電車だ。白く汚れた窓ガラスが秋の光に照らされみかん色に見える。◆鯖寿司をひとつ頬張り色の濃い蕎麦のつゆを飲む。青い脂がゆっくりとける。栗と筍の入ったおこわを多めに頬張りつゆを飲む。もち米がさらりと動き出す。蕎麦をずずずっとひとくち。◆冷たくはないがやはり秋のはじめよりはかたい山風が吹いている。机の上に散らかっている七味唐辛子がすっと動いた。◆最後の鯖寿司を口に入れぬるくなった伯耆茶をすすった。青い電車の横の枯木に巻き付いたカラスウリがきらきらっと揺れた。
駿河湾の夕景。ぽちょんと桜海老がはねたようです。明日は晴れるのかなぁと子ども心。◆歯にはさまっていたのか昼に食べた鰯の醤油干しの胡麻が舌の上に出てきました。口に胡麻味がひろがるのもちょっといや。◆ぷっと飛ばそうと思ったとき、窓越しにホームにいる中学生と目があってしまいました。ぷっともできず、えいっと噛んだ味は秋摘みの川根茶の味。◆胡麻だとばかり思っていたのに茶ばしらだったんだ。そうそうこんな味のぬるめのお茶だったなぁ。昼の店を思いだそうとしても頭に浮かぶのは赤いテレビとその横にはってあったラップにくるまれた関取のサイン。◆誰の名前だったかな。ゆっくり動き出した新幹線。向こうから切符を確かめに来た車掌さんの赤ら顔はどことなく霧島似。そうそう霧島だった。◆通路の向かいの男性が持つスポーツ紙には武蔵丸の写真。夕方の電車の中の風景。窓の向こうはまだまだ青みを残す夕焼けの黄金。三角の光が着いたり消えたりする海。茶ばしらを噛みながら静岡からの帰りです。
夫婦 天野 忠
四十五歳のお前が
空を見ていた
頬杖をついて
ぽかんと
空を見ていた
空には
鳥もなく
虹もなかった
何もなかった
空には
空色だけがあった
ぽかんと
お前は
空を見ていた
頬杖ついて
それを
私が見ていた
こんな詩を六年生に読ませてみた。◆何を見ていますかとたずねると奥さんを見ているとこたえた。頬杖をついている奥さんを見ているとこたえた子どももいた。うまいこと言いますねと褒めると、頬杖をついて何もない空を見ている奥さんを見ているとこたえる子どもが出て来たので、作者はそしてどう思いましたかとたずねた。◆すると、「お前も老けたな」子どもがわざわざ手を挙げて言った。私が「ほう、そうですか」と言ったら別の子どもが「太ったな」と言ったし、また別の子どもは「お前と結婚しておれは幸せやわ」と言った。他にもまだまだ言いたそうにしている子どももいたがいちばん前の子どもと目があったので、どうですかと聞くと「晩ごはん何や」と言った。「味のあること言いますね。」と言って授業を終えた。◆帰り道、僕はにしんそばを注文してから頬杖をついて結びの一番を見ていた。
小春日和の祇園円山の午後。錦市場で買った揚げたての天ぷらを下げて遅い昼を食べていた先週の水曜日。◆初老の夫婦が祇園豆腐は何処で喰わせるのかと聞いてきた。手についた油を舐めながらふんふんと詳しく聞いた。豆腐なら南禅寺。勘違いしているに違いないと思い奥丹と順正を教えようとしたとき奥方が田楽で名高い店だと付け足した。◆南禅寺の店も田楽は喰わせるが売りは湯豆腐。違うようだ。近くの古い店の大将に尋ねると田楽は昔の二軒茶屋で喰わせたとのこと。◆祇園の二軒茶屋。なるほど。「ひいふうみいよう」の四方の景色だ。
ひいふうみいよう
四方の景色を初春と眺めて
梅に鶯ほほうほけきょとさえずる
あすは祇園の二軒茶屋で琴や三味線
囃してんてん手まり歌
歌の中山…
どの辺りにあったのか。おやじの話では中村屋と藤屋という二軒の茶屋は清閑寺から清水さんに至る道につながる「歌の中山」と呼ばれるところにあったらしい。◆夫婦に歌を聴かせたがどうだっただろう。ちょごん ごんごん/ちょろく ろくろくと口ずさんで行かれたところを見ると口に田楽は入らなかったが思いのほか歌は気に入られたのかも知れない。
本願寺のお堂の大きな屋根瓦。見上げているはずなのに吸い込まれていくような気持ちになります。あんな大きなすべり台があればいいなと言って親を困らせたのはいくつの時だったでしょうか。◆ざあっと驟雨のようにやってくる鳩の群れは今でも怖く苦手です。子どもの小さな掌に舞い降りる一羽はかわいいのですが。◆「はと」京都市植柳校二年/ほんがんじの/はとは/からだまげて/はよほしいと/ふくろの中まで/あたまつっこみます。/わたしが/かえろうとすると/四れつにならんで/ついてきます。/おまめはありませんよ。/またきますよ。◆昭和三〇年代の二年生の詩。作者の女の子はどうやら鳩の群れが怖くなかったようです。僕とは正反対のようです。◆ですが、「おまめはありませんよ。」「またきますよ。」僕は市電の停留所の前の信号を待っているときに聞いたような気がするんです。丸物の紙袋を持ったその子のおばあちゃんと僕のおじいちゃんが、「寒おすな」て言ってた横で聞いた気がするんです。
まっすぐにのぼる煙を見ると年の暮れを感じてしまいます。不思議なことです。夏の夕暮れ。畑のそばの煙を見ても年の暮れを思ってしまうのです。◆北野の天神さんでよく遊んでいました。「お腹がすいて北野(来た)の天神さん」こんな遊びことばもいつの間にか覚えていました。東門の近くの焼き餅やさんで端をもらって「おっちゃんおおきに」って言ってました。◆秋のある日。近所のおばあちゃんやカメラをもった大人たちが集まってきた日がありました。向こうから祝詞が聞こえてきます。石を叩く音がします。そして煙が一本秋の空にのぼります。◆一年間に奉納された絵馬を焼納する神事だと知ったのは中学になってからのことです。何万枚もの絵馬が注連縄の中の青竹と一緒に焚きあげられていくのは凛としながらも悲しく見えました。◆おばあちゃんたちは煙に手を合わせ無病息災を祈ります。受験生たちは年明けの大願成就を誓います。合わせた両手の中に焼き餅を隠した僕は初詣の練習をしているのかなと思っていました。
京都には「はんなり」ということばがあります。「あのお方はほんまにはんなりしたはるなぁ」「ここはんなりしててええわぁ」というようにつかいます。「はんなり」とはどんなことばなのでしょうか。◆まず「ん」について考えてみましょう。日本語には音便化というものがあります。その中の撥音便はある音を「ん」と発声させる働きがあります。この「はんなり」もそうです。もともとは「はななり」だと思われます。◆次に漢字で表すことを考えてみましょう。「はななり」は「花なり」となるわけです。花と言えば世阿弥の風姿花伝が有名です。「秘すれば花」「時分の花」ということばがあります。「花」には陽気で上品で栄えているという意味があるのです。ですから「はんなり」とは上品ではなやかという意味です。それ以外にも「花」に状態を表す接尾語「り」をつけて撥音便化したという考えもあります。◆芭蕉も「はんなりと/細工に染まる/花うこん」という句を残しています。
飼っていた犬が逝った。十四年と数ヶ月。お医者は長生きしたほうだと云ったけれど命は比べるものじゃない。いつまでもそばにいるのがあたりまえなんだ。◆父がつけた名前はエリ。僕は好きな歌の題名をもじってエリーと呼んだ。エリーは小さな小さな命。◆遅くに帰る僕を玄関で待ってくれているエリー。何よりも僕の鞄と靴下が好きなエリー。フライドチキンとするめが好物のエリー。ベッドにもっぐては僕の脚にくっついて寝息立てるエリー。◆すねることが上手で甘えることが得意。人を迎えるのが好き。親父のことがいちばん好きなくせに親父が抱こうとすると客の方へ行く。体調を気にしてくれる母には従順なくせに上目遣いで様子をうかがいその目を盗んでするめをくれる僕のこともちゃんと見ている。◆エリーはもういない。去年から聞こえはじめた鼾ももう聞こえない。◆動物たちの恐ろしい夢のなかに/川崎洋/犬も/馬も/夢をみるらしい/動物たちの/恐ろしい夢のなかに/人間がいませんように◆エリーの夢のなかに僕や父や母がいませんように。あいつが怖い夢をみていませんように。