いつのまにか通り過ぎて/達富 洋二

重いガラス戸を押して店に入った。厨房からの湯気は部屋中を湿っぽくさせている。くもり窓にできた幾筋もの水滴の線の形から車の赤いライトがちらちら見える。◆スポーツ新聞を見ながら食べてる男。一人前の餃子をつつき合っている二人。赤と紺のおそろいの服を着た双子を連れた女。若い浮浪者。煙草をくわえたミニスカートの学生。テレビの中は演説の男。◆僕はビールと味噌ラーメンを注文した。油のついた週刊誌をひととおりめくったときビールが来た。注文しなくてもよかったな。一人で飲んでも美味くない。十二月か。換気扇の横でカレンダーが傾いている。◆「おばあちゃんイラクてなに」赤い服が聞いた。「遠いとこ」もうちょっとちゃんと教えたりいや。◆紺が聞いた。「自衛隊ってなに」ばあちゃんは聞こえないことにしているらしい。お嬢ちゃんには関係ないで。味噌ラーメンを運びながら店の男が紺に笑った。◆このラーメン屋のこの瞬間には関係ないかもな。僕は焼き豚の枚数を数えた。テレビの男はまだ言い訳のような演説を続けていた。