着物の襟/達富 洋二

母の着物姿が好きだった。茶の席で座っている時も墓前で掌を合わせている時も。夕暮れ打ち水している時も凛として隙がなかった。寄せ付けない強さがあった。◆休みの日に母が出かける時は着付けを手伝った。帯揚げと帯締めを着物と帯に合わせて選ぶのがひそかな楽しみだった。◆葬儀の日。弟の勉強部屋は多くの親戚たちの着替えの場所となった。幾つもの喪服が静かに動いている。衣擦れの音が響く。帯締めの組み方の違いだけが妙に目につく。◆母はその奥のついたてのかげで襦袢に着替えていた。縫った襟を確かめる。衣紋掛けの黒い着物を肩に掛ける。桐の箪笥の匂いが漂う。◆僕が手渡す墨の帯締めをきりりと横に引き、その端をぎゅっと挟み込む。帯をぽんと叩いて着付けは終わる。◆振り向いた母の白い襟に黒い点。「糸ほつれてるわ。」手をのばそうとした時、点が浮くように飛んだ。「お母さん蚊や。」蚊を追うより、黒を縁取る襟の白さが目に残った。◆階段の下からの読経の声。供えの百合の香り。弟の写真。◆蚊の行方などもうどうでもよくなった。