蝉が鳴く/達富 洋二

蝉の声が聞こえなくなる時がある。その木に何匹もとまっていることは知っている。さっきまではやかましいくらいに鳴いていた。今はそれが聞こえない。◆それは鳴くのをやめてしまったから聞こえなくなったのか。僕が聞き分けられなくなったのか。とにかく蝉の声が聞こえなくなっている。◆家のそばに用水路が流れている。日照りが続かない限りは山からの流れは絶えない。しかしその流れが聞こえないことがある。雨戸越しにでも聞こえるほどの音が聞こえない。蛙が流れていくのも見えているのに。◆待合室へ向かう無機質な女性の靴の音。誰に怒鳴っているのかタクシーのクラクション。温度調整の壊れた冷房のブーンという音。いつまで経っても聞こえなくならない。僕はその音に神経をやられている。◆ふと一息。窓から見える日焼けした少年たちの笑い声。いつからそこにいたのだろう。こんな声こそいつまでも聞いていたいのに。遠くの信号の声にため息。