面影橋/達富 洋二

山吹の咲く川に大きな鯉が泳いでいる。この体格なんだから夜でも見えそうなものなのにあの夜は何も見えなかった。目の前のことばさえ見えなかったんだから水の中が見えるはずはない。人もことばも心も神田川の水の音も分からなかった。◆大蒜の芽を炒めた皿を注文したときはまだ最後の授業が終わっていなかったと思う。それから都電荒川線の最終が行ってしまうまでにどれだけ話し続けただろう。理解できない話は煙草の煙を天井に追いやりビールを何度も運ばせた。◆無理をするような恋愛は恋愛なんかじゃない。愛はもっとも素直なんだ。何もかもが自分らしいものであるはずなんだ。無理をすることは幸せなんかじゃない。◆愛は無理していることに無自覚になることなの。愛は許していることを忘れてしまうことなの。◆静かだけど強いことばが残っている。◆僕はいま面影橋に立ち二十年前の鯉に語っている。「二十歳の恋への憧れは美しすぎたんだ。」と。

2009年6月3日 | カテゴリー :