平和を生きる

11時2分。長崎の教員になったのは30年以上前だけど、あの日以来、11時2分の黙祷は欠かさない。小学校の階段の踊り場で立ち止まったこともある。炎天下の運動場のこともあった。夾竹桃の陰で空を見上げたこともあった。きょうは、大村湾を眺めながら平和を祈った。

平和はを祈ることは過去のことでも他人事でもない。いま、私たちが悲しい歴史を見つめることだ。家族で平和を語り合うこと。ここから世界の平和は始まる。

そんな昼下がり、僕は武雄温泉の湯船に身を沈め、「日ごとの糧をお与えください」と祈ってる。

神様、きょうも一日をありがとうございます。