もしも、あの年のきょう、きょうと同じような天気だったら。台風が九州の西側を北上するような一日だったら。きっと、日本がこんなに悲しむことにはならなかっただろ。長崎が鎮魂に包まれることはなかっただろう。
永井はそれさえもゆるそうとした。
「もしも」。僕はいつも「もしも」に逃げて目をそらしてしまう。話を正面からとらえずはぐらかしてしまう。
永井に「もしも」はなかった。
何もわかっていない僕と、すべてをゆるそうとした永井。県外生まれということしか共通することはないけれど、長崎を終の住処にすることをきめた僕は、「もしも」をやめようと思う。
僕の「もしも」を何処かにもっていっておくれ。風の向こうに吹き飛ばしておくれ。
今夜は風雨に眠れない夜になりそう。台風の下、九州の命は互いに気づかい、かばいあい、支え合い、分かち合って朝を迎える。あの年の夜、もっと凄まじい景気の中、分かち合いに生きた九州の命。
「もしもあの日、台風が来ていたなら」ではなく、「この現実があるから、あの現実をゆるそう」と思える大人になりたい。
神さま、きょうも日ごとの糧をくださりありがとうございます。きょうもいつくしみをありがとうございます。