クリスマスと同点。お正月より上。遠足よりも、やっぱり上。
誕生日はいいものだ。この日ばかりは、こんな僕でもいい人になれる。
4時に起きて、朝のミサ。午前中に本気の授業を2本。どの学生も本当にいい表情。お昼は小さな中華。床屋経由で佐世保。
この静かな店は成長している。前回来たときよりも、その前に愉しんだときよりも成長している。その変化はおもてなしの距離に表れている。「適度な距離」なんて安っぽいものではない。「安心感の距離」という分かるようで分からない表現でもない。この店の距離は「気づかない距離」。
「さあ、オーダーしようかな。」の瞬間にはすでにそばに笑顔。そしていつの間にかおもてなしに包まれている。
と思えば、知らない間に厨房へ。シェフとの笑い声に僕はもてなされている。
気づかない距離を作るには、もてなしともてなされの信頼が必要だ。そう、信頼。信じるっていうのは自分を預け委ねること。預けたからこそ気づかない関係になれる。委ねたからこそ愛し愛されてるあいだがらになれる。
気づかないことは気づかわないこととちょっと似てる。
大満足のイタリアン。cafe de “Lucca”
さて、きょうのふりかえり。
6時9分のメール。かちんかちんに凍らせたどこまでも赤いいちごを食べ、どこまでも白い花束と手作りのアルバムを眺める。週末のバーベキューのための岩盤を撫で、イタリアのロザリオを握り、新しくて懐かしいTシャツを着てラスクを肴に分厚い手紙の束を読みながら最後のプラハビールを飲んでいる。
さて、次の週末の予定。
土曜日は熊本。ちいさな研究会に誰か来ないかなあ。
日曜日は自宅。溶岩板で野菜を焼きながらビールを飲み、そのあとはチーズでワイン。母屋に戻ったあとは、熊本製粉の麺でしめる。
6月9日。神様に命をいただいた日。
僕は神様の都合でこの一年を生きる。
望まれた仕事に汗を流す。
神様、いつもともにいてくださりありがとうございます。