三年生の作文の教室。わたしは廊下側の女の子の冷蔵庫の片付け方の作文を読んでいた。「先生」と、小さな声がしたので顔を上げた。男の子がオウムの飼い方を書いている男の子が手をあげている。
「どうしましたか」
「オウムがバードフードを食べるんやけど 食べ終わったって書いたら ぜんぶたべてしもたみたいやろ ちゃうねん 全部食べてへんねん どう書いたらええんやろ」
「……食べなくなったら はどう?」
「あー そうか 食べへんようになったらか それ以上食べへんようになったらか」
わたしは窓際の一番前に座っている子どもに呼ばれ、そちらへ移った。
職員室で子どもたちの作文を読んでいた。どの子どものものも気になる。急いで読みたい気持ちをおさえてゆっくりと読む。一人で黙々と書いていた子どもの作文は今はじめて読む。なるほどとうなずかされる。何度かやりとりをした子どものものはその過程が目に浮かぶ。
オウムを書いた子どもの作文が出てきた。「バードフードはからだけをのこすので、インコが、もうそれい上食べなくなったら、かるくふいてあげましょう。」と書いてある。
「もう、それい上食べなくなったら」とある。「食べへんようになったら」と書いているとばかり思っていた。
「食べなくなったら」はわたしの真似ではない。「それい上」ということばが付いている。おまけに「もう」まで付いている。いや、付いているのではない。どうしても「もう、それい上」と付けなければならなかったのだろう。どうしても。