大津皇子来たりて/達富 洋二

近鉄二上神社口駅からなだらかな野道を歩きます。カンカンカンと踏切の音。落ち葉を踏む音が重なります。古いため池は鉛色の雲を映し、何が居るのか底からのあぶくが水面を揺らします。◆京都に居を移す前は二上山のふもとに暮らしていました。二階の部屋から早朝の山に語りかけたものです。庭に干した白い洗濯物の向こうに緑がかった姿が見えると夏を感じました。白く化粧をすることのほとんどないこの山はまるで埋み火のように里をあたため花を開かせるのです。◆この山が造り酒屋のおおきな屋根越しに紫色に見えるのは赤い花と黄色い花が咲き始める春先のこと。あぜ道に立てかけたキャンバスを揺らす風もやわらかくなってくる頃です。伊勢の大伯皇女へ届けと大津皇子の声が流れているようです。この里に春がおとずれます。◆朝に択ぶ三能の士、暮に開く万騎の筵。臠を喫みて倶に豁癸、盞を傾けて共に陶然たり。月弓谷裏に輝き、雲旌嶺前に張る。◆大津皇子の遊猟という詩。四〇歳のわたしにこれほどの元気はないにしても、あの紫の山を眺めるとそこに彼の声が聞こえてきそうなんです。