きょうのFMラジオでは、この2年間の閉塞感にすさんだ日々の中で相手の声を聞くことの大切さ、そして聞く心を大事にしながら、聞いたことを振り返って語ることについて話をしました。
こんな話を聞いたことがあります。昔、足をけがした人が床の上で本を読み、思いを巡らし、夜空にちりばめられた無限にひろがる星を見つめ、天の声と対話したとのことです。
僕は早く床に就くので夜空は苦手です。だから、朝の海辺に座り、風を聞き、大自然と対話することにしています。
きょう、ラジオでそんな話をしているとき、相手の声(あるいはもっと大きな声)を聞くこととはまさに黙想であり、声を聞くことこそが語りかけることだとわかったのです。
ラジオでは、敬語の使い方、コミュニケーションのとり方が、具体的な話題でしたが、声を聞き、声を届けるという一連の営みは、この2年間の苦難な中に、忍耐し、海をわたる風を聞き、そのなかで謙遜に考え、少しだけ頭をはたらかせる。そうすることが希望につないでくれることと重なると気づいたのです。
忍耐が心を育て、忍耐がつながりを創造する。そんなことを考えながらの40分間でした。ラジオ局の中で「わたし」を見つめ直すことができました。僕に語らせてくれたノッコさん、そしてリスナーのみなさん。感謝です。
みなさん、聞いてくださり、ありがとうございました。
きょうの一曲は「熱中時代 -僕の先生はフィーバー-」でした。
僕が中学生だった頃、教師ドラマ(水谷豊さんが主演)があり、そのテーマソングがこの曲でした。
水谷さんが演じる北野先生に憧れ、離島の教師になることこそが自分の使命だと委ね、五島列島に向かい、「教えること」に熱中しました。
以来、この曲は僕の原点であり、僕のテーマソングなのです。
子どものいのち、子どもの成長、子どもの幸せ。
そこに奉仕することは、あの頃も、そして今もなお僕にとって、大空の無限の星の向こうから包み込んでくれるかけがえのない確かな尊い仕事なのです。
ということで、神さまのお恵み、聖霊の支えに生かされた木曜日の朝でした。
神さま、きょうも一日をありがとうございます。