教室に居ること

先日のたつログについてさっそく言葉が届いた。

「達富さん、観察ということばがどうも達富さんらしくない。堅いというか、冷たいというか、達富さんらしくない。」
とのことだ。

じゃあ、言い換えよう。

教室を見る者は、教室の声を聞く者になれる。
教室の声を聞く者は、子どもに伝えられる者になれる。
そして、伝えられる者は、子どもをできるようにする者として努力する入り口に立てる。
だから、子どもをできるようにしたいなら、まず教室を見ることだ。
そのために、教室に居られることに感謝することだ。

どうだろう、これでいいだろうか。

きょうは31回目の記念日。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。