言葉に自分の育ちが見える

「九州 教室の声に学ぶ会 天草の集い」の参会者からメッセージが届いた。
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ありがとうございます。
天草の先生方の学ぶ姿に熱意を感じつつ,自分もあの3時間は,学び浸っていました。
九州 教室の声に学ぶ会には,考えたい,考えなければならない余白があり,その部分が,個々の考えや方法を新たに生み出せるようになっていると改めて感じました。うまく表現できませんが,そこが学び続けることや開発,開拓の面白さを実感できる部分であるかと。
研究会では,読んで聞いて考えて、書きながら聞いて考えて読んで・・・・・・。
不器用な部分と,さらにマルチに対応できないことにも気づくことができました。
(発表された内容の聞き漏らしが多々あったような気がします)
今日から自分の今の環境を生かせるように,見通しと準備にも力を注ぎます。
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僕はこのような言語化がとても大事だと考えている。こうして学びを言語化しておくことで自身が育つ。言語化することで自分の育ちが見える。
メタ化、メタ化、ってよく口にする人がいるけど、どうなんだろう。メタ化以前のことだろうけど、手帖をみれば自分の育ちのだいたいは見えてくる。

だから僕は一生懸命、手帖と向き合ってる。この歳になると、どんな方法で自分を育てるかが分からなくなってくる。だからこそ、具体的な育て方を決めている。

こんな話をしながらお酒でも飲めるといいんだけど、誰かつき合ってくれないかなあ。

そうだ、このメッセージの彼と飲みたいなあ。どうだい、手帖を持って居酒屋で待ち合わせしよう。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。