今さら、「夏は来ぬ」事件

先日、大学の教授会のあと、研究室まで帰る途中で同僚に呼び止められた。

「先生、こんど鳥栖で大きな講演会をされるんでしょ」
「ええ、よくご存知ですね、そんなこと」
「図書館とかにポスターがたくさん貼ってありますよ」

そんな馬鹿なと思っていたけれど、当日、会場に着いて驚いた。本当にポスターが並んでいる。

おかげで、それを見たたくさんの一般の市民も集まってくれた。

僕が伝えたいこと。それは「ことばが人をつくる」ということ。

校歌の言葉の意味をよく知らない子どもは、想像するしかない。

「世界に呼ばん」が「世界に4番目の」になってもいいじゃないか。
「緑なす」は「みどりいろのなすび」と想像するなんてたくましいじゃないか。

僕だって「行き交う人になぜ亀を伏せながら」って思っていたし、
せがれは「君を呼子へ 力にしてくよ 何度も」って歌っていた。

想像するから言葉はおもしろい。いろいろ問うからもっと楽しくなる。

子どもの頃から「浜辺の歌」を歌っていたいたら「あした」の意味が分からないなんてことはない。「ゆうべ」と対句になっているんだから子どもにも簡単にわかる。

だけど、さだまさしさんの「精霊流し」の「あさぎ色」は僕の知っているあさぎ色ではなかった。浅葱色のほかに浅黄色があるなんて知らなかった。

そして、僕とっての「夏は来ぬ」事件はもっと重大なことだった。

京ことばでは、「来ない」ことは「きいひん」。だから「来ぬ」は「こぬ」ではなく「きぬ」って読んでしまう。そうなると、「来ぬ」は「こぬ」か「きぬ」ではなく、「来ぬ」は「きぬ」だけ。打消も完了も「きぬ」。だから当然、「夏は来ぬ」は「夏は来なかった」しかない。

だけど、この唱歌。歌詞のどこを見ても「夏、来てるやん」となってしまう。

中学校の国語の時間に「来ぬ」を詳しく教えてもらったとき、僕はこの幼少期の「古文助動詞」にもてあそばれたような経験を「夏は来ぬ」事件と名付けた。

だから、「世界に呼ばん」を「世界に4番目の」と想像する子どもって、とってもすてきに感じる。

こんな話を聞いてくださった鳥栖市民のかた、ありがとうございました。

高校生の頃、僕は古文の大好きな理系少年だった。

なぜ、古文が好きだったか。どうして、日本語にわくわくしていたのか。

それは、唱歌や歌謡曲を母の背中で聞いていたから、父が教えてくれたから。いつもいつも歌っていたから。

谷村新司さんの「いい日旅立ち」は、言葉に学び、言葉で育つ僕たちの軌跡を見事に言い表している。

小田和正さんの「さよなら」のすてきな感じ方を紹介して講演を終えた。

佐賀でいちばん身近な町、鳥栖。夕食までのわずかな時間、ホテルの窓には白い雪。

明日はきっと積もるに違いない。真っ白な鳥栖に新たな恵みの日が来る。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。