手びきって、結局は手だすけのことなんじゃないかと思いつつある。
ただ、手だすけと言っちゃうと、なんだか「先生が助けてやったんだぞお」のようないばりんぼうになってしまいそうな危うさがあるかもしれない。子どもにも「助けて」もらわないとできない、というような不安は感じさせたくない。
助けるよりも手を引くというのは謙虚さと優しさとそこに小さな私の責任感のようなものを感じる。
だけど、「引く」だけで「助け」になっていなければ残念なこと。
いつもいつのときでも、神さまに手びきしてもらって手だすけしてもらっている僕が誰かにしてあげるなんて、まだまだ早すぎるのかもしれない。