例えば言語活動。
子どもが楽しんで取り組むならどんなことでも言語活動にすればいい。というのは間違っていると思う。
レーダーチャートを作ったり、心情曲線に表したり、動画を編集したり。僕は間違っていると思う。否定はしない。だけど国語の授業として認められるかどうか、十分な点検が必要である。
ここに値打ちのある思考があるのか。子どもが問いを立てられるのか。子どもの発見と感動があるのか。本当に豊かな学びが実現するのか。ことばの学びが連続していくのか。
奇想天外、複雑怪奇、支離滅裂な言語活動は子どもが育つ機会を奪うことになっていることを知るべきである。せっかくの素晴らしい学びの機会を教師の陳腐なひらめきで台無しにしていいはずがない。
まずは教科書通り。学級の様子と重ねてみて小さな不都合があれば、そこを修正すればいい。鼻っから教科書を使うことを検討せず、一時の感情で単元を私物化するのはやめよう。