美術館で感じたこと

学生の頃はよく美術館に行った。本物を見ることは、本物から見つめられていることだと感じ、絵筆を持つ小磯良平や佐伯祐三と目を合わせている気持ちになったし、ルノワールやミケランジェロと同じものを見ている気分にもなった。土門拳とは同じファインダーを覗き、シャッタースピードや絞り値で言い合いをしている錯覚に酔った。

きょう、数年ぶりに美術館を歩いた。

しかし、なんだろう、きょうはつくり手のメッセージの押し付けのように感じた。僕が見ようとしているものを見ているのではなく、できあがったものを見せつけられているような時間は退屈だった。

翻って、僕の授業。

学びたいことを授けているだろうか。余計なことを押し付けてはいないか。

大人の、そして教師の都合をやめよう。