何年ぶりだろう。広尾を歩いた。以前、友人が住んでいたこともあったのでだいたいの方角は分かる。何10億円するのかわからないような大きな家の前で遊ぶ子どもも長崎の漁村に戯れる子どもも笑顔の愛らしさは変わらない。
さて、14時半からが僕の出番。
子どもの行為が実現する学び性を伝えるのがきょうの僕の仕事。
庭の赤い木の実を集めるのも、玄関で家族の靴を並べるのも、川原で足を積み上げるのも、行為の造形の学び。
何気ない日常を日記にしたり、家族とのやりとりを切り取って短い作文にしたり、教室の風景を物語に仕立てたりするのも行為の言葉の学び。
欲張ってしまうのは僕の悪いくせ。そんなの分かってる。
ただ、僕はとにかく一生懸命に伝えたかった。子どもは一生懸命に伸びたがっていることを。子どもはできるようになりたがっていることを。いちばん近くにいる大人がこのことを信じなきゃ。
帰り道。街はすでにクリスマス。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。



