器にものが入ってきたとしよう。器は満たされる。ものがなくならない限り器はそのままだ。ものを出さない限り、新しいものが入ってくることはない。もういいや、とものを出したら器はからっぽになる。
器の中にものが湧いてきたとしよう。器は満たされる。ものを出さない限り器はそのままだ。ただ、そのものに飽きたりつまらなくなったり十分に楽しんだりして器から出しても、また器には新たなものが湧いてくる。
《問い》を立てる、ってそんなものだと言っていいと思う。
発問を受けることと《問い》を立てることって、全然ちがう。
だから僕たち教師が発問するときは、たずねて完結するよりも、個人の《問い》が湧いてくるようにたずねるほうがいいように思う。
こんなことを考えながら地下鉄に乗っている。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

