京都の夏は祇園さん。はなやかで少しばかりの寂しさをあわせもつのが祇園さん。
僕にはもうひとつ京都の夏がある。それは壬生の兵の夏。
小学生の頃。父と兄が話している壬生の浪士の話。その話が夏の話だったからなのか、その話を聞いたのが夏だったからか、勝手に夏の話に仕立てたからかは覚えていないが、僕には「誠」が散っていくという京都の夏の物語がある。
僕にはコオロギの声が悲しく響く。淀んだ夏の草のにおいは不安を誘う。路地裏を歩く野良猫に声もない。いずれは独りになってしまうとあきらめるしかない。
僕は何処に行けばいいんだろう。
もしかしたら火筒に燃える鳥羽伏見はこれから先のことかもしれない、とさえ思えてしまう。