比叡山からのやさしい風は明徳の学び舎へ

きょうの京都は春の日差し。比叡おろしを期待していたんだけど、やはり暖かいのはうれしい。ほっと山を見上げる。

これから友人の学校の研究発表会。期待に応えられる講演にはならないかもしれないけれど、語りかけてくる。

さあ,京都市立明徳小学校の研究発表会。こんなに多くの教室の授業を一気に公開できる学校はそんなに多くない。学級をまたいで学年で取り組む総合的な学習の時間。学年をまたいで取り組む国語や道徳の授業はどれも教師たちの熱が伝わるものだった。ひとこと,「丁寧な授業」だった。授業前にまとめられた「主体的・社会的な学びを通して,言葉の力を育成し,深く学ぶために」と題して12枚にまとめられた「授業記録(案)」は圧巻だ。研究主任の地道な取り組みはもちろんのこと,それを影で支えている教頭先生,そして,職員室の力がなければできる仕事ではない。

教室の移動に付き添ってくれる校長の背中がそれを物語っている。同級生の校長に「よかったなあ」と声をかけるのは失礼な気もするし,「よくやったなあ」はさらにえらそうだし,「いい教員と働けてうらやましい」と伝えた。適切なことばが見つからないことがかえってうれしいのはなぜだろう。陳腐なことばを贈りたくない。

昨年に続き,もちろん原稿をもたないスタイルの校長挨拶もよかった。京都の学校史を2分でまとめ,本校の沿革を1分で語り,さりげない言葉の中に職員室の力を称えているこの校長は僕の友であり,自慢の男だ。

注文をつけるとすれば,講師紹介が下手なこと。「きょうの講師の達富洋二先生は,,,,」なんて言うなよ。と思いつつ,舞台を挟んで右と左に座っている距離を不思議に思った。学生時代を知り尽くしているだけに。

僕の講演は,国語にとらわれない「言語能力」。算数科や社会科の教科書を取り扱って「ことばの力」を育てることについて語りかけた。結果はどうだったろう。

体育館を出るまで続いた拍手を僕はうれしくも,熱くも,尊くも,そして,それに慣れちゃいけないと思った。

ありがとう,雅文校長先生。