今月二度目。鹿児島。
きょうは書写の単元学習。新しいことをやる。これがあくゆうのモットーだ。とにかく楽しみで仕方がない。新幹線の中を駆けて行きたい気分だ。
そのあとは薩摩半島へ。
向田の作品にある山川漬けのことを壮にたずねると、枕崎あたりのひなびたところらしい。
そんなことを思い浮かべているうちに鹿児島到着。
いつもの笑顔が改札に待つ。鹿児島豚のカツを食し、中学校へ。ここにも仲間、そして学び手。
廊下が輝いている。学校全体が、もちろん生徒が。
今日のテーマは思考と書字。「ようこそ」に「ありがとう」を。
教室に並ぶ言語活動のモデルは「あくゆうの会」の仲間の作。
そして、生徒。
考え、語り、創作する。この往還する学びを繰り返すことが大事だ。もう一つ高みを目指す。高みに導くのは教師だけではない。生徒が高みにたどり着こうとすることが必要だ。そのためにはこれまでの《私》に手応えをもち、今の《私》を知り、今からの《私》に対しての問いを立てることだ。
そんなことに学んだ授業後の研究会も最高だ。あくゆう、ますます質が高まってきている。あくゆう、この尊き学びの集団。鹿児島に確かに在る。ちなみに上の写真の中央に写る男は授業者ではない。はじめての学級でもすぐに溶け込むことができる我らの末っ子的存在で筆ペンの扱い方に詳しい男。
陽が東シナ海に沈もうとする頃。僕は旅の友と枕崎へ。途中、寄った酒屋。どれを連れて帰ろうか。
と、僕にとっては幻、大好きな六代目百合がずらり。鳥肌。六代目に心奪われかけてる横から旅の友がひとこと、「いいのがあります。」
「熟柿」
確かに、名前がいい。箱の色がいい。香りが漂ってきそう。飲んだあとの感覚まで想像できる。
そして宿へ。一人で泊まるのになんと大袈裟なことを。
近くの郷土の店へ。どれもたまらなく美味い。
ほろ酔いで帰った宿。深夜の温泉、窓の外は東シナ海。漆黒。
夜中、何度も目が覚めたのは焼酎のせいではなく、潮騒、波の音のせい。3時過ぎから葉書をしたため、朝風呂に身を沈めた。
枕崎は鰹が空を飛ぶ。
線路の端。最南端。始発。
土産にもらった蜜柑が一つ。鞄に乗っけて枕崎線の旅が始まる。
思えば鹿児島の「あくゆう」たち、この良き友たち。今回は学期末だから、授業研究のあとのがぶ飲みは我慢しようと、僕は柄にもなく気づかい鹿児島市内を離れて宿をとったのに、連中はしっかりと市内で飲んでいたようだ。だったら一緒に、とも思ったけど、こうして昼の研究を一緒に過ごし、夜は互いに離れてみるとなおいっそう友の重さに感じ入る。
こら壮!おい浩!なあ村永、なんやタチワダ、えっ柏木、うんうん前園、いつ来たん粗相野?なんて、まるでそばに居るよう。「洋二兄、」「アニキぃ!」っ声が聞こえる。
枕崎、ひなびた町だからこそ僕は元気であることを確かめられた。
車窓。
7時38分発は僕ひとり。
尾花は山を見てるのか僕に手を振ってくれてるのか。
指宿、次はここに投宿。
みんなの金曜日がいつも通りの一日でありますように。僕の金曜日がいつも通りでありますように。
そうそう、壮から手渡された一品。
ありがとう。壮。
神様、鹿児島に導いてくださりありがとうございます。