授業するなんて、もう言わない

日々、授業をしている先生はそれだけで尊い。どんな言葉もいらない。授業に身を置く先生に僕は憧れる。

子どもはこんなに素敵なのに、散々な姿でした。きょうの授業。

子どもは学びに向かっているのに、声を共有できなかった。きょうの指導。

この子どものがんばりに大きな拍手を贈りたいのに、当の本人は、あかん、あかん。これでは。

かつての同僚がそばにいたらきっと言うだろう。「たつとみ、もうやめとけ。」って。

西村隆志さんがいたらあきれるだろう。「なにしてんのん?」って。

天王寺附小のヤングたちは「たつとみさん、もう抜きました。」っていたずらな目をするだろう。

清原先生が「錆びつきましたな。」と、大村先生が「指月の指は、」と、おっしゃるに違いない。

単元で教えるときと、45分を教えるときと、そんなことも分からなくなっていた僕を恥ずかしく思うし、情けなく思う。

あかんあかん。錆びついちゃいました。

授業するなんて、もう言わない、きっと。

神様、きょうもいちにちをありがとうございます。