連休中のてがら 我が家の離れの薪棚。次は母屋の薪棚に積む。 三年先の薪づくり完了。生きるということは,生きていける準備を調えること。 こうやって自然の中に生きていると,三年先の自分がいつも隣にいる。三年先の仲間の姿もある。もしかすると,仲間本人よりも,仲間の三年後は僕のほうがよく知っているかもしれない。でも,百年先の僕のことを知っておられるのは天の父。 さあ,連休もおしまい。明日からの五月を新しく生きる。