丁寧な仕事はすべてオリジナル

教科書を基本とした構想で単元学習に挑む若手教師、小川。緑色の用紙にまとめられた学習計画こそが丁寧な仕事だ。そばに居る赤城ィや姉さん先生たちの支えが彼を育てる。安心感の中に彼の成長が著しい。子どもの書いたものに見られる「競っている」と「対決している」は「ふくらませ合い」と同義ではないはずだ。関連づけるという思考操作を難しく感じる教師の見守りのなかに、子どもは確実に関連づけることを習熟しつつある。小川さん、成長している。

「単元学習の効果は絶大なのです。」と言い切る頼りがいのある教師、髙木。これまで彼に実践を語ってもらう場を提供できなったことにずいぶん反省していたが、きょうの話題提供はその反省をより大きなものにするとともに、これからの彼の活躍に胸を躍らせるものだった。「わたし一人、私の教室だけの成果ではなく、学校全体で実践したいのです。」「相手の期待を手応えにかえます。」どうして、こんなに名言が次々と語られるのだろう、「髙木公裕、いいじゃないか!髙木の教師力はコンピテンシーに満ちているぞ。」これがきょうの僕からの言葉だ。そうそう、もう一つ。「だし巻きの作り方」、これでいい!髙木、澄んでいる。

屋久島からの名言は「学びに心を向ける下ごしらえ」。生徒の学びの扉をひらく教師、中村。中村国語教室の魅力は、生徒が終わりをつくらないことだ。11月に屋久島の中学校に行ってきた。そして単元びらきをさせてもらった。「はじめまして」というぎこちなさはない。「わたしたち学びたいんです」があふれている。そういった意味で、中村は妥協を許さない。生徒の姿をまるごと受け入れ、生徒の力を心から信じ、生徒の成長に向かう生徒の力の発揮と教師としての指導の妥協を許さない。だから、毎日、伸びる。成長し続ける教室がそこにある。中村、そのひたむきな強さが美しい。

思い起こせば2017年8月8日。宮崎の教師と一緒に学ぼうと約束した。その声が実った。「確かな自分の考え」と「情報の扱い方」と「教科書における重点事項」、からの単元づくり、言うまでもなく言語活動を通した単元づくりに取り組んでいる教師、佐藤。4年間、お互いに熟考した単元づくりの考え方は同じ基底に支えられていることを実感した。「確かな自分の考え」を形成するために必要は《私の問い》、「情報の扱い方」を知識及び技能(2)にとどめず、かつ行為動詞として精査したものが「思考操作」、「教科書における重点事項」は「指導事項」そのもの。そして、「学びがいのある言語活動」。時は熟した。2022年、初夏の宮崎に集うことを心待ちにしている。

見事にコンパクトにまとめられた校内研究成果「東小の研究 丸わかりBOOK」をたずさえ、そして立ったまま無駄のない手振りを交えて語りきった教師、竹中。竹中は、研究主任として職員室の真ん中にいるわけではない。竹中はそれぞれのすべての教室の中にいる。「みんなでやりましょう。みなさんの力を出してください。一緒になやんで創り出しましょう。」の姿勢が「丸わかりBOOK」に語られている。謙遜のうちに仕事をする姿、それは子どもと教師に役立つ仕事こそが自分の居場所であるという分かち合う心に支えられているんだろう。ときに端的なことばで、ときに後ろ姿で、ときに包み込む安心感でともに居てくださった校長の信念とのコラボレーションとしてひとつの作品だったこの話題提供。それをライブで聞くことができた胸の高鳴りは未だ冷めない。奈月、今、楽しいでしょ。

同じ志をもった私たちの仕事がこれほどに異なる魅力に満ちているのは「形式のコピー」に満足するのではなく、一人一人の「意味の創造」にみなぎっているから。それぞれの丁寧な仕事はすべてをオリジナルにする。《私たちの問い》は、ひとりひとりの《私の問い》になり、私の学びは、私たちの学びになる。みんなの成果ではなく、一人一人の「私」が集まった「私たちの成果」なのである。

「私たち」は、「みんな」とひとくくりにしないで、いつまでも「私+私+私+私+私+私+私+私+私+私+私+私+・・・・・・」でいよう。

ということで、今回の5人の教師たちの使命と信念に学びながら、次の研究会を企画しています。

「校内研究で学校は育つ(仮)」をテーマに、僕の親友との対談を中心に3月26日に長崎で小さな集いをひらきます。