この評価がいいかどうかは学び手が知っている。

言うことなし、っていう評価はない。

だから、この優秀な学生たちの評価は長い長い記述によってなされることになる。あるいは、事前に周到につくっておいたルーブリックによって採点されることになる。僕は、その両方で評価することを心がけている。

ということで、単元づくりの大半が評価づくりとなる。

いや、

「単元づくり」の中に「評価」があるというより、「単元づくり」と「評価づくり」が並行して進んでいるという感じかもしれない。

僕の評価計画には、学生全員が反応するに違いない。学生全員が評価計画に質問を寄せるに違いない。

なぜか、学習者こそが評価規準が申請であるかどうかを判断できる位置にいるからだ。

中等国語科教育法、僕は本気で向かっている。

こんな夜は、帰り道に一杯ひっかけても許される(かな)。

神さま、きょうも一日ありがとうございます。学び手を信じるなんてあたりまえのことを、きょう、今いちど言葉にすることができました。ありがとうございます。