9月26日,きょうから長崎純心大学での授業がはじまった。ちょっとばかり元気の出ないここ数日だったから,あの三ッ山の坂道はこたえるだろうと覚悟して向かった。
案の定,息が切れた。すれ違う学生の軽やかな足取りに年の差を感じてしまう。
きょうは1コマだけ。はじめの一歩としては,ちょうどいい。授業に緊張感はなかった。
そりゃそうだ。こっちだってもう何年も教師をやっているんだ。変な緊張はない。くたびれた心で授業ができるかが心配なだけだ。
しかしそれも杞憂のものだった。
何かにつけ,学生に透き通る空気を感じる。授業をすることで身体が洗われる。学生と交わることで今が見える。ここに居ることで自分が分かる。爽やかな光が降っている。
この大学,廊下を歩くといつも見えることば。僕は,透き通ることばの中に今の僕を確かめてしまっている。
授業後,大村湾の落陽。
神さま,きょうも一日ありがとうございます。
「いやなことは僕がよろこんで」。ありがとうございます。ありがとうございます。
おまけ
今夜は仲間で集まりました。そして神父さまの誕生日お祝いし,僕の純心大デビューも祝福してくださいました。僕は望まれた仕事を丁寧にしていきます。
アレルヤ。