いつもどおりの「集い」

研究するということは、伸びるということ。
だれが伸びるか。
まず、自分、そして子ども、当然、学校。

つまり、みんな。

ひとりよがりの研究ではなく、みんなに役立つ研究をしてきたつもり。

何度か意識してきたこと。
・もう少し長い表現で《問い》化してもいいのではないか。
・ひとつの問題意識に対して複数の《問い》を立ててもいいのではないか。
・Aフレーズをどれだけ自分の言葉で歳表現できるようにするか。
・Aフリーズは子どもにとって基本的には理解語彙、あるいは無理解語彙。それを表現準備語彙に置き換えるのは誰か。
・置き換えるのは、言葉の言葉による置き換えなのか、そこに言語活動的実感を伴うものを取り入れるのか。
・それは「行為」から「意味づけ」を生むことと同じなのか。

こんなことまで話し合えたら、きっと松屋は不夜城になってしまうだろう。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。