あれから30年か

「考えががらっと変わる」ということなんかないと考えていた僕がの考えががらっと変わったことが3度ある。

1度目は1979年、2度目は1990年、3度目は1994年。僕はこの3度のことをよく覚えているし、何度も何度も繰り返しそのことを黙想する。きょうの午後も一人で水辺に座り黙想していた。

僕にとって黙想とは、瞳をとじて静かにすることではなく、できごとを具体的に思い浮かべ、そのできごとの向こう側のことを考えることだ。だから、毎回が新鮮で、毎回が驚きで、毎回が愛おしい。そのことをモレスキンの手帳に綴ることがこの上なく大事なことだと思っている。

3度目の回心。それは大村はま先生に捕らえられたことだ。捕らえられるといってもおにごっこではない。考えと行いと思いをすべて見直し、再創造するということだ。それまでの「授業観」ががらっと変わった瞬間だ。

「おしえるということは伝えることではなく、一人でもできるようにすること。」僕のこの考えは、既に1994年のモレスキンの手帳に書いてある。

来年はそれから30年。今、お風呂上がり、そんなことを2023年12月30日の手帳に綴った。

さあ、これからは至福の時間。今夜は、野村さんからいただいたとびっきりの焼酎をあくゆうから薩摩の黒じょかでいただく。

肴は厚岸の生牡蠣と五島のかっとっぽ。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。