今年、研究熱心な実践者と話す機会があった。
「達富先生のおっしゃる学習課題を設定しなくてもこのように子どもの力が伸びました。特に学習課題を設定したり、問いを立てたり、コンパクトに書いたりしなくてもいいんじゃないですか。」
「子どもの力が伸びたのはいいことですね。その指導法を丁寧に言語化しておくといいですね。」
「別に学習課題や問いやコンパクトライティングをしなくてもいいんですよね。」
「もちろんです。ただ、学習課題を設定し、そこから《私の問い》を立て、問いからはじまる学習をデザインし、ふさわしいタイミングで一枚に書くことを取り入れることが主体的な学習を阻むということはないですよね。やるのがいいのか、やらないほうがいいのか。教師の都合でその対決の結果を出すことが大事なのではなく、すべての子どもをできるようにすることが大事なのです。ただ、僕は効果的な学習方法であり、それを支える指導方法だと考えています。実績もあります。」
きっと、「学習課題」や《私の問い》、「一枚に書く」をパターンと考え、形式的指導方法としてとらえているんだろう。そして、これ以外の方法もあることを言いたいんだろう。
そりゃそうだ。学び方だって教え方だって、数え切れないほどある。
僕は決して、ひとつの出来事として「型」を提案しているわけではない。
僕は「あなたが教師として成長する」ことだけではなく、「すべての子どもをできるようにしようとする教師たち」を応援したいだけだ。
「戦うなかみをまちがっているよ」とは言わなかったけれど、とても残念でつらい思い出だ。
来る2024年。僕が望まれている仕事は、「迷っている教師、自信をもてない教師、ひとりぼっちの教師」に声をかけること。分かち合うこと。こんな僕でも一緒にいていいなら、いつでもどこへでも行くつもり。
多くの教師たち、教師の子どもたち、今年も一年、ありがとうございました。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。素晴らしい一年でした。