宿から出ると小雨が鞄を濡らした。
とてつもなく熱い温泉にほてった身体にそれは気持ちよく、女将がさしてくれた傘からはみ出した右腕を拭おうともせず迎えの車に乗り込んだ。車がUターンするまで手を振ってくれている雪靴姿の女将は、ゆうべ料理を並べてくれていたときとはまったく違うあたたかさを放っている。ゆうべのあたたかさは箸を持つ僕を射止める確かなあたたかさ、小雨模様に手を振るあたたかさはなんともたよりないずっと引きずってしまいそうになるあたたかさだ。
旅の宿。この一宿一飯の出会いが旅をつくる。七釜温泉、大田荘。僕の隠れ家のひとつになった。
旅をつくるもうひとつがつながりと育ちだ。きのうの学びの3時間。舌鼓の3時間。もう何度もかかわった仲間、その仲間とのつながりが育っている。これがいい。「この前は、」や「次のときは、」なんてことばは育ちを共有している仲間の中でしか出てこない。
日本海の小さな学習会、次は夏休み。
そんな思いを口にしたかどうか覚えていないけれど、出発の時間に余裕をもって駅に着いた。土産に持たせてくれた浜坂の練り物に合う辛口を駅の売店で調達し、日本海をぐるりと回る列車に乗った。
持ってきた小説も難しい本も開くことなく、携帯電話や音楽をさわることもなく、5時間ほど車窓に聞き、流れる雲に語る。九州とはちがう景色からは新しいことばがあふれてくる。
これが旅をつくる三つめの楽しみだ。
気がついたら雨はすっかりやんでいる。遠く海岸べりには虹。
なにもかもがゆっくりとできあがっていく。この旅、いい旅。春のはじめの小さな旅。
そうそう、今朝の女将の手づくり小鉢、忘れられない味。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。