マイナス11度の露天風呂

露天風呂で髪を鉄腕アトムのようにとがらせてみた。一瞬で髪が凍ってかちかちになる。もぐってやり直し。今度は全体を立ててみた。漫画の世界ができあがる。まだだれも入って来ない午前5時の露天風呂のひとり芝居は楽しい。

昨夜のお酒も気持ちのいいものだった。3年担任の吉田さんとの授業。もちろん僕は邪魔をしないように小さく支えるだけだけど、一人の子どもの「問いを立てる」事実をいちばん近くで観察できたことに満足していた。

問いを解決することは教えられるけど、問いを立てることは教えられない。

問いを立てることができるようにするための教師の仕事のはじまりは問題意識が育つような学びにすることだ。では、問題意識が育つような学びのために教師は何をするのか。

その子どもと僕とのやりとりをずっとそばで聞いて記録を取っていた二人の教師は、ともに子どもの「育ち」に感激していた。

中学校の国語教師は、授業後、「感極まる瞬間が何度かありました」と言葉をくれた。そして夕方には「背筋が伸びる思いがいたします。来年度も頑張ろう!と力が沸きました。」とメッセージを届けてくれた。

僕がその子どもの問題意識を育てたことに感激したのではない。僕はそんな見事な技をもってはいない。ただ、二人には子どもの問題意識とはこういうように育つんだということが見えたのだろう。

問いを立てることができるようにするには、直接的に「問いを立てなさい」と何度繰り返しても実現しない。考えさせるために思考行為動詞の具体的な提案が有効であるように、具体的なてびきが必要である。

そのことがようやく一義的に言葉にできそうな手応えを感じた今週の鹿児島と北海道の旅だった。それは、一人芝居ではない。現実の教室の中での手応えだからこそ言葉にできるのである。

教室、このかけがえのない仕事場をくださった神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。