僕の友人に國枝勇希という男がいる。前任の大学で知り合った男なんだけど、数年前に再会してからは2ヶ月に一度声をかけ合うようになった。國枝は、国語科、体育科、道徳の学習など、「学ぶ場」において《問い》を立てることを日常にしている。さりげなく「子どもは《問い》を立てて成長しています」という國枝に僕は何か憧れのようなものを感じる。
國枝は子どもと真正面に向き合う。
國枝は不器用なくらい子どもを信じ、子どもを受け止める。
その誠実な対峙の姿勢はきっと誰もが憧れる教師としての矜持なんだと思う。
僕には決して近づけない美しさがある。
不器用な國枝がまぶしく映るのはなぜだろう。
そんな國枝が綴ったものが教育誌に掲載された。
冒頭、次の文が力強い。
・年間計画を立て実践することで子どもたちの「できる」を着実に積み重ねることができた。
・通常の学級、育成学級(特別支援学級)、総合支援学校(特別支援学校)に関係なく、自ら問いを立て解決する力、その考えを周囲に発信する力、相手の言葉から感じたことを発信する力は、すべての子どもたちにとって将来の生き生きと自立した生活を送るためにはなくてはならない力である。
「達富先生、育成学級の子どもが《問い》を立てて学ぶようになって本当によかったです。」の國枝からの言葉を僕はたからものにしている。國枝から学び、國枝学級の子どもに学び、竹の里小学校と一緒に成長したこの数年間、僕は本当に充実していた。
特別支援教育研究、2025年1月号(通巻809号)、東洋館出版社、ぜひ、手元に置いて何度も味わってほしい。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。國枝の仕事にふれさせてくださってありがとうございます。