縁側でえんどうをむいて豆ごはんの支度をしていた。さやの持ちかた、左手の薬指の添えかた、親指ではなく人さし指の傾けかた、お母さんの教えかたは上手だった。はじめての僕が夕飯のときにお父さんに自慢したくなるほどまでできるようにしてくれた。
それまで縁側に射していたお日さんがスイッチを切ったように弱くなったとき「洋二、お茶のもうか」と、ひざの上のさやを払って立ち上がるお母さん。
まあるいお盆に二つ清水焼の湯呑みと八ツ橋のかけらをのせ、お母さんがおだいどこから戻ってきたとき、またスイッチが入った。
ばあっと明るくて温たくなった縁側。
今でも、日差しが射すと、母がこっちに歩いて来そうな気がする。明るくて温たい陽射しの柱の中には母がいる。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。