平安を祈る

友人が「天声人語」を送ってくれた。昨日の日付だが、きょう味わうのがいい。

考えることも疑うことも忘れて、自失の姿であった大村先生を思い浮かべることはできない。では、そのとき自分だったらどうだったかと問うてみる。まったく自信がない。

僕は、問うことを大事にしたいと考えている。《問い》からはじまる国語教室を実現したいと願っている。問う力が十分だったら、考えることや疑うことが可能だったのだろうか。《問い》を立てても無力だったのか。

この夏、何度目かの『夜と霧』や『ハンナのかばん』にふれている。「このとき」「自分だったら」「何ができるか」。《問い》ばかりの読書の時間は重たい。

今朝、届いた「天声人語」。明日から鹿児島、そして北海道への旅。この「天声人語」を連れて行こう。

8月15日、僕は平安を祈っている。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。