浅瀬に仇波

他者が作成した学習指導案をああだこうだと指摘するのは好きじゃない。もちろん、誰かの作ったものを自作のものだと偽りそのまま提出したり、生成AIに作らせたりしたものはそれ以前に見る必要を感じないけど。

基本的に生産者は尊重されるべきである。悪事に使うものの発明はいただけないが、学習指導案はそもそも子どもの成長のためのものであるから、成長を願った教師の思いは尊重されてあたりまえである。それを重箱の隅をつついたり、鬼の首を取ったよう少しのことをひけらかしたり、本当のみっともないことだ。

それより、「この指導の意図は何か。」「どのように子どもに語るのか」「個人差をどう考えるのか」と問うことが大事である。

さあ、きょうから鹿児島。

「ああ、難しい」を禁句にしよう。「よう分からんもんね」という言い訳にふたをしよう。

自分の思考をもっともっと深いところに沈めよう。浅瀬に仇波では教師としての成長は見込めない。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。これから、鹿児島です。