きっと好きな人がいるにちがいない

きょう,僕は饒舌だった。80分だという感覚が麻痺したように語り続けた。何かを探しているようでもあったし,何かに追いつこうとしていたような気もする。消えてしまわないうちに届けなくっちゃという金木犀の花を見つけたときのような足取り。

僕は自分のくせというか性格を知っている。饒舌なときは好きな人がいるときだ。だから,きっと好きな人がいるに違いないと思いながら,「少年の日の思い出」の話をしはじめた。「そうか,そうか,つまり君はそんなやつなんだな。」ていう会話文の話をしながら,「そうだ,そうだ,つまり僕はこういうやつなんだよ。」って思いながら,いったい誰が好きなんだろうって思いはじめていた。

「盆土産」の父親と「字のない葉書」の父親を重ねたり比べたりしていたとき,僕はいまこの図書館で僕の話を聞いてくれている人たちと一緒に何かを作り上げているような気になっていた。見事なタイミングでのうなずき,絶妙な笑い声の高さとその長さ,「えっ?そうそう!じゃあ?なるほど!」が伝わってくる。気持ちいいとかかんぺきだ!とかじゃない。できばえで言えばそんなに完成度の高い講演じゃないことくらい話している本人にはすぐ分かる。だけど,満足感が僕を包み込む。この図書館が教室になり,「分かる」ことが共有されてきつつあることが分かる。

見つけた。ここにはやはり僕の好きな人がいる。それは個人というより一人一人の息づかいと誠実さがつくっている仲間。そう,明日の授業を魅力あるものにしたいと本気になっているこの京筑地区の仲間。そして,もしかしたら,その仲間に僕も入れてもらっているような安心感。そんな中で,饒舌にならないはずはない。もっともっと語ったって足りないくらいだ。語りたいんだよおって紙に書いておきたいくらいだ。

見送ってくださった中学校の玄関で「上毛インターチェンジから乗ると早く帰れますよ。」と教えてもらった。下道を走るよりは小一時間は短くなりそう。だけど,結局,僕は耶馬溪を通る国道を選んだ。ゆっくりとこの地を離れたかったから。午前にこの道を通ったときは,どんな授業を参観できるのかを楽しみにしながら,自分の講演のキーワードをおさらいしながらだった。こんなに心地いい帰り道になるなんて思ってもいなかった。いや,楽しい時間になりそうな予感はしていたんだけど,こんなに大きなものに包み込まれるとは想像できなかった。

英彦山を越え,日田のインターチェンジにたどりついたころ,陽はすっかり落ちていた。コンビニの白い電気も,ファミリーレストランの黄色い看板も,赤いお弁当屋さんも,みんなみんな暖かく見える。仕事帰りの闇に家路を急ぐ人がみんないい人に見える。なんていい時間を過ごしたんだろう。こんな水曜日,贅沢すぎる。

2年間の研究のあしあとが,明日からの魅力ある授業を作ることは間違いない。京筑地区の先生方の丁寧さがきっと「これから」を作り上げていく。そこに学ぶ中学生たちが確かで役に立つ力を得て育っていくのはもうすぐだ。この研究会の誠実な強さに惚れてしまった僕はこの縁を本当に尊いものだなあと思ったし,思っているし,思い続けるだろうし,そしてこの地域の研究の応援団長だよって勝手に思い込んでいる。