「はじめまして」の次があるから

きょうは京都の小学6年生と45分を過ごす日。学びのきっかけを作るため「はじめまして」の時間をいただいた。無難に運ぶことに不安はないけど、「はじめまして」の次をどうするかを考えると、無難というのが無責任に感じる。やはり、教室の「はじめまして」は生命と生命の営みでなければならない。授業は生命と生命。教室はかけがえのないもの。

だから、無難ではなく誠実、そして丁寧、ただひたすらでなければならないと思う。

「先生の45分には無駄がなく、流れるようにやりとりが進みましたね。」と、感想をくださった。ありがたいことだ。

だけど、無駄とか流れるようにとか、そんなんじゃないかもしれない。だって、生命と生命なんだから。

ぼくは、一生懸命に45分を生きたと思う。やった。やれた。だから、終わったあと、ふうっと息を吐き出したとたん、お腹がすいた。

今夜は串カツにビール!