親父

小学生のとき。年に何度か親父が甲子園球場に連れて行ってくれた。西陣織の仕事を早く切り上げてくれて連れて行ってくれるその日はお正月よりも誕生日よりも特別な日だった。

6時間目が終わってすぐに帰る。お父さんが「洋二」と呼んでくれる声をひたすら待つ。あまり近づきすぎたら叱られる。あきれられる。でも、離れすぎて「洋二」が聞こえなかったらと思うとお父さんの匂いのするところにいなくっちゃと焦ってしまう。

待っている間にはしゃぎ過ぎて、素足にサンダルで遊んでいて足の指を切って連れて行ってもらえなくなったこともある。お父さんの仕事の段取りが悪くなって行けずに泣いたこともある。そんな中でもいちばんの思い出といえばやはり6月の甲子園だ。

てるてる坊主の機嫌も悪く、その日の予報は雨。今のような降水確率などない時代。ぼくは何度も何度も空を見上げていた。お父さんとお母さんの会話から連れて行ってもらえそうにないことを感じ取ったお兄ちゃんはかぶっていた野球帽を机の上に片付けたのに、ぼくは緑色と蜜柑色の帽子を脱ごうとはしなかった。阪急電車に乗って大阪に出て、さらに阪神電車に乗り換える道のりは小学生にとっては本当に遠いものだったし、野球じゃないんだったら決して行きたい距離じゃなかった。

それでも帽子をかぶり続けていたぼくは「試合ないかもしれへんよ」というお父さんの声に「かまへん」としか言えなかった。

甲子園球場。カクテルライト。試合前の練習。何もかもが予定通り。雨が降りはじめたこと以外は。結局、試合開始時間を遅らせることになり、カッパを着たぼくたちはスタンドから通路に移動した。1時間近く待っても試合は始まらず、中止。

「洋二、イカの下足焼きたべるか。イカ食べて帰ろ。」

2017年6月18日。親父の命日。カッパを着たぼくは土砂降りのスタンドに座ってる。帽子の色は青に変わったけど、親父が好きだったチームをぼくは今も応援してる。こうして雨でノーゲームになってもここに来てしまう。この球場にイカの下足焼きはないけどその匂いは今でもぼくの中にある。

あの日、雨が降ることは小学生のぼくにも分かっていた。だけど空を見ないでグランドを見ていると試合が始まるような気がしていた。だって松原選手や江尻選手、シピン選手が目の前にいるんだから。雨じゃないんだ。お父さんとここにいるんだ。

だから、ぼくは今でも試合前の練習を見るのが好きだ。きっと、練習だけでもいいんだと思う。いや、球場にいるだけでいいんだと思う。野球場に来れば、ここに親父と来ているんだって感じられる。

通路の向こうに芝が見えたら、そこがぼくとお父さんの時間なんだ。