大分,旬の会

仲間と4年目の夏。「一年のご無沙汰でした。」の言葉を疑う。先週の続きのようだ。

午後の講演会での黙々とした熱さ。先生たちの静かな思考から,子どもへの確かな,そして値打ちのある単元が生まれることは間違いない。2時間なんて,ほんのわずかな時間だ。

アーケードを歩いた先の夜の会。幻の(うわさの)クロメにはお目にかかれなかったけれど,今年も跳ねるような豊後水道の魚と,滴るような豊後牛に二階堂がすすむ。もちろん,なくてはならない食卓の貴婦人の「かぼす」。3時間なんて,飲み込むような時間だ。

4年。確かに,僕たちは4年分の歳はとった。だけど「ここ大分に仲間がいるんだ!」と言えるようになったこの4年は,僕にとっては大事な大事な,そしてつくりあげたという実感の時間だ。

4年という歴史が僕に問いかける。「4年間に何をしてきた。」って。僕がつぶやく。「まだまだなんにも,もっとできたかも。」って。そして仲間の声が響く「それじゃあ,また。」って。僕は大きく息を吸い込む。夏の大分。この空気がたまらなく美味い。

「旬の会」。「20年間,ずっと旬です!」とのたまう素敵な仲間がいる。『定員3名の熟れた旬』の仲間もいる。そして,旬を作り出そうとしている勢いがある。そう,僕たちはいくつもの旬を味わってきた。どの旬も,きらきら輝いている。今も,きらめいている。旬の会(特別会員枠は定員3名),がはじまった。

 

そうそう,大分ホルトホールで出迎えてくれたびっくりする茶菓子。

ちょっと期待したけど,やっぱり,最中の中に「関アジ」は入っていなかった。

ホテルからの広い空と別府湾。

それにしても,大分駅はどうして鶏なんだろう。改札の前にも大きな鶏がいたような気がする。

帰路は,完全につながった久大本線をゆっくりと味わった。「おめでとう久大線!」


九州,まるごと九州。ここに暮らして,ここを動いて,ここの仲間と語れることが僕の自慢だ。終の棲家。