新しか橋ば作らんば

午前中の雨も上がり、計画通りに天草に着いた。勉強会の会場までの橋を渡るときの渋滞にひやひやしたけれどみなさんは笑顔で迎えてくださった。

ひとつしかない橋だから混むのは仕方ない。だけど、誰もがここを通らなければ対岸に行けないという事実を僕は嫌いじゃない。

誰もが同じ道を通って行きたいところに行く。ここだけは誰もが同じ。だから少し遅れても「しかたんなかですもんね」って、共有できている。そう、しかたんなかなんだ。

だけど、次、来るときに同じことをしでかすわけにはいかない。

これは授業も同じ。誰もが通るしかたんなか時期がある。ゆっくりになったり、いらだたしく感じたり、時には止まってしまうこともある。誰もが通らなければならないこの橋みたいなものだ。

いつまでたっても渋滞に巻き込まれる奴もいる。渋滞するもんだと決めつけてる奴もいる。渋滞をあきらめてる奴もいる。そんなもんだと開き直る奴もいる。

しかし今夜は違った。もうひとつ新しか橋ば作らんばね、あと三つか四つ欲しかね、の声が共有する。

天草の友たちは、今のままでとどまろうとはしていない。だからこそ、仕事が終わってからもこうして多くが集うんだ。今はひとつしかない橋だけど、そのたったひとつの橋を渡って集まってくることが美しい。みんな同じ気持ちというのがいい。

天草の小学校の教師も中学校の教師も自分たちの教室にかける新しい橋を自分たちで作ろうとしている。

夜は友と語らいの時間。