9月22日,福岡教育大学での九州国語教育学会。僕は毎年この学会での発表を自分に課している。ここで発表することは,この1年間に訪ねた教室への恩返しでもある。子どもたちの学び,先生たちの工夫から「教室の事実」を考えることが僕の仕事。「教室の事実」を言語化することが生涯の仕事だと決めている。だから続ける。
さて,今年。きょうも多くの学問にふれ,多くの指摘に学び,多くの展望と反省に包まれた。今日までの日本の国語教育を支えてきた研究のスタイルがこの学会を形作り,その流れがこれからを導いていくに違いない。この安定感が教育を揺るぎないものにしているのは事実である。
しかし,これまでのスタイルだけが研究の方法ではないような気がする。
《これから》を記述するとき,「これまでと同じスタイル」とともに,「ちょっとだけ同じでないスタイル」でもやってみたら,《これから》がぐんと多様なものに見えたり,魅力的なものになったり,違和感を覚えるようなことも受け入れられるようになったり,自分が変われたりするような気がする。はじめは少しの不安定感があるかもしれないけれど,みんなのことや自分のことを尊重し,多様性を愛おしく思えるようになるに違いない。
ちょっとだけ同じでないことがたくさんあつまれば,これまで遠くだと思っていたことが、思いのほか近くにあったことに気づくんじゃないかなあ。
新しい《これから》は,「同じじゃないこと」がたくさんあることに気づくことで見つかるように思う。僕の研究もそんなんだったらいいなあ。
そうそう,僕のライバルの《これから》へのスタイルも素敵だった。とっても。
同じ時刻,松坂世代の引退試合があった。ゴメス選手を見送る松坂大輔。中日ベンチに一人残る松坂。ゴメスと松坂,小池の視線の中に入れるのは何だろう。同じではないことを求め続ける松坂世代。僕は憧れる。僕はそうありたい。僕はちょっとだけでも同じじゃない明日を創り続けたい。