朝5時半。ぐっと冷え込んだ大曽教会。僕は地元の祈りに包まれた。
約3時間,教会の外は快晴。
十字に鳶がやけにのんきそうだ。
奈良尾港まで,しばし花ちゃん校長と昨日の授業協議の協議。先生方の誠実さの褒め称える言葉しか出てこない。と,僕を乗せるフェリー椿の入港。
二度目のきょうは紙テープはないだろうと思っていた僕が甘かった。さすが花ちゃん。やっぱり花ちゃん。
同い年の男を見送る同い年。同い年の姿の上に,同い年の影。
金曜日の朝のフェリーなど,見送る人影はない。たった一つの人影がいつまでも手を振っている。小さな島影より大きな花ちゃんの影。ありがとうを置いていくよ。
さて,遅めの朝ご飯はクリームパン。旅の途中はクリームパン。
そう,まだ途中なんだ。きょうは午後から大きな授業研究が待っている。これほどに熱量を感じる単元研究があるだろうか,と思うこの半年。竹ちゃん先生は見事な授業を楽しんでいた。
教師が授業をつくるということは,学級を創ることにほかならない。小さな揚げ足を取るような発言はみっともない。何より見つめなければならないのは,「授業者の技」ではなく「自分の授業を観る目」。授業を観ることができる目と感性をもつことができれば,その人の授業力は伸びる。
この授業。間違いなく輝いていた。この授業に生きる子ども,間違いなく響いていた。
「おつかれさま!」の言葉より,「またね!」の笑顔。時津はこべらの教師たちはいつも「またね♪」だ。だから,僕も「Yes!」か「はい!」か「よろこんで♪」。きょうからは「もちろん★」も付けることにする。
見上げればクリスマスイルミネーション。今朝の大曽教会の祈りの声と長崎駅前の人の音。
神様。きょうも一日をありがとうございました。僕の働きが何かの望みにかなうならうれしいです。