先生、ありがとう。の声に心高くする春

弟分から届いた写真。クラスの子どもとの別れのときにもらったそうだ。宝物のメッセージ。

僕たちの仕事は、子どもに教えることだ。「力を付けること」「人として大きくすること」「人と交わって創造できること」「一人でも生きていけるようにすること」など、いろんな言い方で「教えること」を言い表すことができる。

そのためにも、僕たちには仲間が必要だ。研究会に身を置くことが大事だ。そして、研究会では受け身であってはいけない。

一人一人が、ひとつずつ「自分が遣わされている意味を確かめつつのりしろの仕事を引き受ける」からこそ、みんなが伸びていくことができる。九州の仲間とはそのようにして学んでいきたい。こうした謙遜を実現できる集団でいたい。

そんなことを感じさせてくれたこのメッセージ。

「先生の授業をうけていって」の言葉がうれしい。だけど、この「先生」は一人じゃない。「先生」はたくさんの「先生」の中で学んでいる。そう、「先生」が「先生たち」と伸びているから、みんなにも教えられる。

「教えられる教師」は「先生たちの中で学び続けている教師」なんだ。

そんな「学び続けている教師」のエピソードをもう一つ。きょうの午後3時に届いたメールがひとつ。

…‥……
先生のブログをいつも読ませていただいていますので、その先生のお言葉を読んで、「ちゃんと終わろう」と決めていました。(略)
最後の最後、5時間目は、子どもたちが不安な気持ちで明日からを過ごさないように、話をたくさん聞く時間をとっていたのですが、そこでも「私の問い」についての話になったので、本当の気持ちを私からも話し、子どもたちは子どもたちなりに受け止めてくれているようでした。31の問いを解決するところを見たかったなと思います。あの日は、いつも以上に子どもたちは、私の言葉、友達の言葉、校内放送の校長先生の言葉、すべてに真剣に耳を傾けていた一日でした。最後まで、この1年、ずっと言い続けてきた、「今、何ができるか。」を子どもたちが自分に問うていたと思います。(略)
ちゃんと終わらせようと休校中も毎日、ばたばたとしている中で、達富先生が「6歳から問いを立てる」をしていこうというお話をしていたことが忘れられないでいました。わが子も6歳です。このたった6年しかいきていない子に、力をつけさせることに向き合ってみたいと、来年度は、1年生担任を希望しています。

今年は、ぜひ九州にも学びに行きたいと思っています。「この指とまれ!」は、九州に住んでないとだめかあ。
阪急電車では九州は行けないけれど、コロナなんかには、負けないで「問いを立てられる6歳」を育てたいと思っています。
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阪急電車とは、関西を走るかっこいい電車。僕もいつも乗っていたおしゃれな電車。その阪急沿線に働く「なかつる先生」からの便り。

僕が新幹線のぞみ号で、「問いの練習単元」を持って行きますよ。

ずっと担任なんだから。