2290字の思索

九州の通信を送った。私の中では「学級通信」のようなものである。だから読者からの反応は期待してはいけないと思っている。反応しないのではななく,反応できない,今はできない,その術をもたない,ということがあることを知っているから。

反応を期待してつくっているのではないと言うと嘘になるが,どう読んでもらえるかよりも,どう伝えられるかだ。だからこそ,思いがけないときに感想をもらったり,こぼれ話を聞いたりするとうれしくなる。何より,これが役立つものになってほしいと願ってる。

小学校の担任をしていたときのエピソード。
学級通信「藍より青く」は金曜日発行。子どもと兄弟と母親とおばあちゃんとの金曜日の夕飯は「藍より青く」の話題になるそうだ。
そして,食事の片付けのあと,「藍より青く」は冷蔵庫にマグネットで貼られるそうだ。
深夜,帰ってきた父親は冷蔵を開け,缶ビールを飲みながら,冷蔵庫の前に座って「藍より青く」を読むらしい。なんともうれしい光景だ。
その父親が年末の個人懇談会に登場。
「先生,はじめて会った気がしません。」
なんともうれしい一言だった。

僕の「九州通信」がそんな存在になればいいなあ。

一方で,反応があることは正直うれしいし,私自身の大いなる学びになる。文章にしてよかったと,自分の仕事が役立つものになっていることを誇りに思う。

この休校事態の間に3通の通信をつくった。昨日で佐賀大学の在宅勤務も解除されたので,通信もこれで終わり。

 

この3通の「私の独り言」に付き合ってくださったみなさん,ありがとう。一方的な「送りたい放題」を許してくださったことに感謝している。

そして,声を返してくださった方々にも感謝。

昨夕,届いた熊本からの「2290字の思索」に兄弟愛みたいなものを感じた。正直,ここまで読み込んでくれているんだと身体が熱くなった。
僕が綴った時間よりも,返信に費やした時間の方が長いにちがいない。

この「たつログ」や「通信」が,謙遜の中に生きる者としてみなさんの仕事に役立つものとなっているなら,こんなにうれしいことはない。

通信の反応は,達富「に」ではなく,みなさんの仲間内「で」大いに話題にしてほしい。

そして,できれば僕もその仲間内の語り合いの中に入りたい。

神様、きょうもありがとうございます。感謝のうちにきょうの仕事を終わります。