Liveで考えていること

僕は今,授業観察してる。

いい授業だ。だから考えてる。

子どもは,何のために作品を読んでいるのだろう。子どもは,何のために考えてるんだろう。

この問いは僕にとってたいへん新しい問いだ。

だってこの問いは,何のために読ませてるのか,何のために考えさせてるのかということだから。僕は即答できない自分を残念に思っているところ。現在、10時45分。

意図的に指名して子どもに語らせることがある。事前に観察して準備したものだから効果的なものになる。しかし,語らせる準備はしているが,聞かせる準備はしていない。だから,教師の意図的な「子どもの語り」は全体に共有されないことが多い。

どうするか。教師が復唱するという手もあるだろう。しかしそれでは,声の共有にはならない。子どもの声のやりとりを教師が奪うのではなく,教師は「誰にでも聞こえている声」を「わたしが聞く声」になるように調えなければならない。僕はそれが腕の見せどころだと感じているので,この技術を磨き続けている。ということで,現在,11時35分。

学習課題のBフレーズは思考操作。単元を通じて有効だと考えられる「考えるという営み」を一つか二つ示す。ただ,示した思考操作だけで考えることに浸る単元になるわけではない。往還する子どもの言語活動には,突然現れたり消えたり,隙間にとどまったり何となくいつも気になっていたりする小さな思考がある。この小さな思考操作,つまり「そのとき」に有効な思考行為動詞を教師はたっぷりもっておくことが必要だ。12時30分。お弁当を目の前に,包みを「ひらく」か,「あける」か,「ほどく」か,「とく」か,どの動詞を使うか選んでいる。

その前に感謝するを忘れてはいけない。

神様,きょうも日ごとの糧をありがとうございます。