授業と教師の仕事

朝は日高昆布の出汁茶漬け。

「居酒屋 徳」での酔いは残っていないけれど、また新鮮な身体に戻った感じ。

さて、小学校到着。

「教えるということ」を再考することしばしば。

教えるということは、一人でも学び続けられる人に育てること。それに尽きるように思う。

だから、小学校1年生へのかかわりかたと中学生とのかかわりは同じじゃいけない。

同じ学級の中でも、同じように教えられる場合と個別にかかわらなきゃならないときとがある。それを時間がかかるからとか、準備が大変だからとか、教師の都合や子どものせいにし、たったひとつのだけの、思いつきのような計画で進めようとするのは間違っているように思う。いく通りもの手立てがあって、その中から最適な計画を選ぶことが必要だ。

言語活動を設定さえすればいいという考え方は間違っている。《私の問い》を立てさせれば主体的な学びになるというものでもない。振り返りましょうと言えば、どの子どもも振り返れるというものでもない。

もう一度「教えるということ」を考え直そう。教師の仕事を子どもを主語にして書き表してみよう。

そんなことをうんと考えたきょう。ホロシリ牛乳が妙に濃く感じる。

神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。