4つ上の兄貴と僕が運転席と助手席。親父とお袋は後部座席に。母が生まれ育った伊勢まで、年に何度も車を走らせた。
両親が起きているときは岡本敦郎や藤山一郎、美空ひばりの歌を鳴らし、後ろから寝息が聞こえはじめると吉田拓郎さんの曲に変えるのがいつものことだった。
大学生になった頃から僕がハンドルを握ることが多くなり、兄貴は隣でビールを飲んでいた。後ろからお袋が、「洋二、拓郎さんのあの歌、かけなさい」と言うようになった。
僕たちは親父やお袋が拓郎さんを聞いてくれるのがうれしくていつもいつもその曲を鳴らした。
春を待つ手紙
♪旅する人には人生の文字 似合うけど
人生だからこそひとりになるんだね
ここでも春を待つ人々に逢えるでしょう
泣きたい気持ちで冬を越えてきたひと♪
兄貴との何気ない話はいつも「おかんは春を待つよりも春を連れてくる人やなあ」となる。
僕たち放蕩息子はまだまだ冬を越えられそうにない。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。